むしブロ

クマムシ博士のドライ日記

研究活動支援型クラウドファンディングサイトがオープン

STAP細胞騒動の影にすっかり隠れてしまった感があるが、日本初となる研究活動支援に特化したクラウドファンディングプラットフォームサイト「academist(アカデミスト)」がオープンした。


研究費獲得のためのクラウドファンディングサイト「academist(アカデミスト)」


研究者が研究活動に必要な資金を、このサイトを通して一般市民から集めることができる仕組みだ。必要金額は研究者が自由に設定できる。期限内に目標金額に到達しなかった場合は、寄附金は没収されて各寄附者に戻されるオール・オア・ナッシング型のシステムになっている。目標金額に達した場合、研究者に金額の80%が渡り、残りの20%はプラットフォーム側の取り分となる。


目標金額を獲得するためには、研究者は自身の研究の重要性や面白い部分をいかにアピールできるかが重要となる。このあたりのことはacademist側も当然認識しているようで、研究者のプレゼン資料作成の手助けをするサービスもしているようだ。


ただし、プラットフォーム側だけでなく、研究者側もSNSなどを使って積極的にアピールする必要がある。petridishexperimentなど海外の研究資金特化型クラウドファンディングサイトでも、研究者が積極的に動かない場合は寄附金がほとんど集まらないケースもよく見かける。Twitterで多くのフォロワーを抱えていたり人気ブログを運営するインフルエンサーの目に留まり紹介されるかどうかが、成功の鍵を握るだろう。


さて、academistのプロジェクト第一弾は、京都大学ポスドクの岡西政典さんによる「深海生物テヅルモヅルの分類学的研究」だ。


深海生物テヅルモヅルの分類学的研究: academist



このような研究テーマをプロジェクト第一弾にもってきたあたりから、academistが「金にならないけどユニークな基礎研究」を支援する方向性を打ち出していることが窺える。ちなみに本プロジェクトは2014年6月5日までに40万円を集めることを目標としており、2014年4月22日の時点で22万円が集まっている。3万円を寄附するとテヅルモヅルの乾燥標本が貰えるらしい。


政府や既存の財団に依存しない、一般市民から直接研究資金を集めるオルタナティブなシステムが確立されるかどうか。本サイトにはぜひとも成功してもらいたい。


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小保方さんの会見に思うこと

2014年4月9日、小保方晴子さんと代理人の弁護士が記者会見を開き、理研調査委員会の最終調査結果への不服申し立て内容について説明しました。


小保方氏一問一答: 毎日新聞


会見で小保方さんはNatureに掲載されたSTAP細胞研究論文に不適切な点があったことを認めて謝罪しました。しかし、理研調査委員会による調査は不十分であり、データ画像の改ざんと捏造の認定については容認しない旨が述べられました。その他にも、STAP細胞を200回ほど作製してきたことや、第三者がSTAP細胞作製の追試に成功したことが報告されました。


ただ、作製した細胞の多能性マーカー遺伝子Oct4の発現を確認しただけなのか、それとも細胞の分化能まで確認したのかなど、STAP細胞をどのレベルで確認したかについては言及されませんでした。また、追試に成功した人物についても明らかにされませんでした。


ここでは、STAP細胞の存在自体の真贋については脇に置いておきます。科学論文が適切なものかどうかと、研究結果に再現性があるかどうかは、切り分けられるべき問題だからです。そして、論文がその体を成していない不適切なものであれば、その研究結果の再現性がどうであれ、そこに書かれた研究内容の妥当性は無いものと判断されます。それが科学コミュニティのルールだからです。理研調査委員会が調べたのは論文上の疑義についてであり、この中で一部のデータに改ざんと捏造があったという結論が出ました。


小保方さんの主張に、理研から小保方さんへの聞き取り調査が不十分だった、というものがありました。理研は調査は十分だったと反論しているようですが、これについては現段階ではよくわかりません。ただし、当該のNature論文が論文の体を成していないのは事実であり、改ざんと捏造の認定も妥当に映ります。


先日のメルマガに書いた予想通り、代理人の弁護士の主張は、あくまでも悪意(=故意)のない過失であったという主張を通していくとのことです。しかし、弁護士が主張するような捏造や改ざんの定義は、科学コミュニティーのそれらとは大きくかけ離れているため、理研に対する不服申し立ては棄却される可能性が高いと思われます。


また、こちらも先日予想したように、今後、理研で設置されるであろう懲戒委員会により何らかの処分が小保方さんに下された場合は、法廷に場所を移して地位保全について争うことを厭わないとする旨を暗に示す発言も弁護士からありました。


万一、小保方さん側の主張が法廷で全面的に認められることになると、そのときは、日本の科学が終焉を迎える瞬間になるかもしれません。日本の司法機関からあのレベルの体裁の論文が不正でないというお墨付きが与えられれば、倫理を守らない研究者は野放しでも問題ないということになってしまいます。もちろん、法廷でのジャッジによって科学コミュニティの小保方さんに対する評価には影響を与えませんが、日本はそういう国だということを世界に向けて宣言することになるわけです。


そう考えると、この争いは一個人の問題の枠にとどまらず、日本の科学界全体の未来に影響を及ぼしかねない案件になりかねません。もっとも、いくら世間が小保方さんを擁護したとしても、まともな裁判官であれば、このような判決を下さないとは思いますが。


これ以上争うのは小保方さんも理研もお互いにとって不毛であり、多大なリソースの無駄になります。最初の研究成果発表で大きな注目が集まった揺り戻しもあって、問題を長引かせれば嫌でも小保方さんはマスメディアに取上げられ続けてしまい、心身も消耗してしまいます。共著者間で連携をとって論文取り下げに向けて動き、早くリセットすることがベターな選択ではないでしょうか。


最後に。堅いデータが揃わない限り論文にせず、あと一歩のところでアカデミックポジションに付けずにドロップアウトしていった正直で優秀なポスドクを、私はたくさん見てきました。彼らの本件での心中を察すると、正直、なかなか堪えるものがあります。


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現代の幸せの見つけ方:逆境エブリデイ(大川弘一 著)


逆境エブリデイ: 大川弘一 著


本書は世界最大規模のメルマガ配信スタンドである「株式会社まぐまぐ」の創業者、大川弘一さんによるポーカー戦記である。私は大川さんの考え方や文章が好きで大川さんのメルマガも購読しているが、本書はこのメルマガに書いていた内容がもとになっている。


通常、ポーカー大会ではテキサスホールデムという各プレイヤーが2枚の手札と共通カードの組み合わせで役を競う。ポーカーは偶然性に支配されるゲームというよりは、プレイヤーの振る舞いの適切さでプレイヤーの強さが決まるゲームである。ゲームの大半は、手持ちのカードを見せる前に決まってしまう。つまり、実際のカードの役の強弱よりも、駆け引きが重要な要素となる。


大川さんは海外のポーカートーナメントで入賞するほどのポーカーの腕前である。私は大川さんに公私にわたりお世話になっており、ポーカーの手ほどきも受けさせていただいた。ポーカーというゲームは面白いもので、ゲームの進め方にそのプレイヤーの性格が如実に反映される。


自分の場合、ポーカーをすると、あまり後先考えずに勝負にどんどん乗ってしまう癖がある。リスクを背負いすぎてしまうのだ。自分の過去を振り返ってみると、失敗リスクの高いクマムシの研究テーマを選んで研究に邁進したり、クマムシキャラクターのビジネス化に突き進んだりと、確かに人生においても思い当たるフシがあるのだ。ポーカーをすることで己の欠点が浮き彫りとなるので、自己反省の材料としてはもってこいのゲームでもある。


さて、本書は世界各国でのポーカー戦記が軸となっているが、読みとるべきところは別にある。時価総額300億円まで達した関連会社の価値が暴落し、さらには長期にわたる係争を経験した、著者ならではの現代の生き方や幸せの見つけ方を、本書に学ぶことができる。


キャンピングカーの移動のための運転アルバイトをすることで、レンタカーを借りるよりも格安でアメリカ大陸を移動するところなど、実に大川さんらしい。また、C to Cの宿泊サービスサイトを使うことでホテルよりも安価に民家で寝泊まりし、さらにその家の主である美女と微妙な距離にまで接近したりするところも、実に「らしい」。これらの「マジョリティをフォローして安心するだけの人」からは出てこないような著者の知恵や賢さが随所に見られる。


また、テクノロジーとグローバル化が世界各地に住む人々にどのような影響を与えつつあるのかも、独特の筆致で描写されている。世界各国において、人々は好むと好まざるとにかかわらず大きな変化が求められる。とりわけ日本を含めた先進国では、今よりも格段に大きな努力をしなければ、経済的豊かさを確保できなくなってしまう。


そんな現代の中で、天国と地獄を見た実業家が見つけた幸せとは何か。それは「世界中で面白い人間と会う」という、いたってシンプルなものだった。


幸せはマジョリティが使う物差しで測るものではない。その物差しは、十人十色あってよいはずだ。自分なりの幸せをどう見つければよいのか。そのヒントが、本書に隠されている。