クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

クマムシを研究している高校生の「脚ポンプ仮説」について

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めずらしくネット上でクマムシの話題が盛り上がっています。その話題がこちら。


クマムシの足、実は循環器か 京都の高校生の仮説脚光:京都新聞


私が過去に発表した研究成果よりもはるかに注目を浴びています。こうしてクマムシのことが世に広まっていくのはとてもよいことだし、この木津高校科学部の北澤さんのことは応援したいですね。


さて、この記事によると、クマムシの脚が移動ではなく循環器の役割を果たしているのではないかということを、北澤さんが仮説を立てて実験しているとのこと。さらに北澤さんは、クマムシの休眠(乾眠のことと思われる)では体が縮むため、脚を収縮させることで水分を積極的に放出しているのではないかと考えているようです。この研究発表は、今年8月に行なわれた進化学会の高校生部門で最優秀賞を受賞したもようです。


私はこの研究内容についての発表を聞いていないので、この新聞記事の内容以上のことは分かりません。また、新聞記事がこの研究内容のことをどこまで正確に伝えているかも分かりません。前提の情報が不足しているので、この研究内容をきちんと評価することができないのですが、せっかくなので少しこの件に触れてみようと思います。まず、クマムシについての前提知識から解説します。


・クマムシの脚


クマムシは昆虫ではなく、緩歩動物動物門に属する無脊椎動物です。クマムシは4対8本の脚があります。水を浸した寒天培地の上でのしのしと歩行しますが、第4脚目の2本の脚はずるずると引きずるようになっており、歩行に使われているようには見えません。北澤さんが「移動に使われていない」と指摘する脚は、この第4脚のことだと思われます。


・クマムシのガス交換


クマムシは1200種以上が知られていますが、すべてのクマムシは水生生物であり、周囲に水がなければ活動できません。クマムシはこれといった循環器を備えておらず、酸素は体表から拡散する形で体内に浸透します。クマムシの体長はおおむね1mm以下と小さいため、拡散によって酸素をじゅうぶんに供給できるものと考えられています。


・クマムシの脚は循環器か


それでは、北澤さんが指摘しているように、クマムシの脚は循環器としての役割があるのでしょうか。実はクマムシには昆虫のような硬い外骨格はなく、脚には関節もありません。マシュマロマンやベイマックスのようにぶよぶよとした体の中に、液体がつまっている水風船のようなものとイメージしてもらうと分かりやすいかもしれません。


体の動きは筋肉によって調節されます。体性筋によって脚の内側が引っ張られると脚が収縮します。このとき、体腔内で平衡状態になっている静水圧に逆らって体液が「押される」ために、体内で水流が起こります。この反対に脚を伸ばすことでも水流が起こるので、体腔内で体液が循環するようになります。顕微鏡で観察すると分かるのですが、クマムシの体腔内には貯蔵細胞とよばれる浮遊している細胞があります。クマムシが動くと、この浮遊細胞が体液の水流によって動き回るようすを見ることができるのです。次の動画で、そのようすを見ることができます。



つまり、クマムシは脚を動かすことで体液を循環させて酸素を体内に行き渡らせている、ということが言えます。脚が循環器の役割を担っているとも言えるでしょう。実はこのことは1983年に出版された『The Phylum Tardigrada』という総説に書かれています。北澤さんがこの文献を読まずに「脚には循環器の働きがある」という仮説を立てたのであれば、よい観察と着想をしていたことになります。


・クマムシの乾眠と体の収縮


路上のコケなどに棲んでいる陸生のクマムシは、周囲の水がなくなると脱水して乾眠とよばれる仮死状態になります。このとき、つぶした空き缶のように、クマムシの体も前後で縮み収縮します。この縮んだ形態を樽とよびます。ヨコヅナクマムシが乾眠に移行するようすを撮影した次の動画を参照してみてください。



北澤さんは「(体の)収縮率が一定の比率にあるときに生存する傾向がある」ことを観察したそうですが、これもその通りです。クマムシが乾燥したときに収縮して樽型にならずに体が伸びていると、死んでいる場合が多く、水をかけても復活しません。北澤さんはこのことから「脚を意図的に収縮させて計画的に水分を出している」と、脚ポンプ説を提唱したようです。


ただ、こちらについては、次のような知見があります。まず、クマムシは急速に脱水すると乾眠に入れずに死んでしまいます。つまり、死なずに乾眠に移行するためには、ゆっくりと脱水することが重要なのです。体が伸びた状態に比べ、縮んだ樽型になることにより、体からの脱水をゆっくりにすることができます。体がボール状に近くなるため、体積あたりの対表面積を小さくすることができるからです。


以上が私の意見です。繰り返しますが、北澤さんの研究内容の詳細が分からないので、少しずれたことを書いている可能性があることをご了承ください。いずれにしても、文献へのアクセスや専門家との接触が制限される中で、観察と実験からこのような独創性のある仮説を導き出したところについては、評価に値します。進化学会の審査委員も、回答が用意されているような課題をじょうずに解く力よりも、このように柔軟に発想する力を評価対象にしていたのでしょう。このままクマムシ研究を継続していただければ、個人的にもとても嬉しいです。


・裾野が広がるクマムシ研究


クマムシ研究はマイナーなジャンルですが、2015年6月にイタリアで開催された国際クマムシシンポジウムでは、参加者数が初めて100人の大台に乗りました。同シンポジウムに参加した国内のクマムシ研究者も11名と、過去最高を記録。クマムシ研究者は確実に増え続けています。


そしてもっと驚くのが、クマムシ研究を行なっている中学生と高校生の多さです。この1〜2年でクマムシ研究のことで問い合わせてくる中高生や教員が劇的に増えてきました。私が発行しているメールマガジン「むしマガ」上でも中学生(中学生クマムシ博士と名付けている)が毎月のように実験結果を投稿してきており、それに対して私がアドバイスをしています。中学生クマムシ博士が行なっている「クマムシに対する低酸素の影響に関する研究」の内容は非常にレベルが高く、このまま継続すれば国際科学雑誌にも掲載されるような成果になりそうです。


クマムシ研究人口も増えてきたことだし、バーチャルなクマムシ研究所を設立し、10代のクマムシ研究者やその他のプロ・アマチュアクマムシ研究者を集められれば面白そうだな、と思っています。Facebookグループの中でそれぞれの研究の進捗状況を報告し合ったりとか。どうかな。来年の春にはクマムシ研究会の開催も予定していますし、クマムシ研究の裾野がもっと広がってくれればいいですね。


・クマムシ参考資料


せっかくなので、クマムシについてより深く知りたい人のための参考資料を紹介します。


クマムシ?!―小さな怪物:鈴木忠 著


クマムシ飼育のパイオニア的存在、慶應大准教授の鈴木忠さんによるクマムシ本。クマムシ研究の古い文献情報や図版も豊富。平易な文章で書かれており分かりやすい。


クマムシを飼うには―博物学から始めるクマムシ研究:鈴木忠 森山和道 著


サイエンスライター森山和道さんによる鈴木忠さんへのインタビュー。


クマムシ研究日誌:堀川大樹 著


私のこれまでのクマムシ研究人生を綴った本。クマムシを知りたい人はもちろん、これから研究者を目指す人にもおすすめ。


クマムシ博士の「最強生物」学講座:堀川大樹 著)


クマムシについての記述は3分の1、残りは面白い生きものや研究者について。


クマムシ観察絵日記:ナショナルジオグラフィック
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イラストでおくるクマムシ観察記録。


クマムシ日記
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慶應義塾大学クマムシ研究グループのクマムシ日記。


それから、有料メールマガジン「むしマガ」ではクマムシ研究のQ&Aも充実しています。ちょっとしたクマムシ研究コミュニティとしての役割ももつ媒体なので、よろしければこちらもどうぞ。