クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

クマムシさんのクレーンゲーム景品が登場します

私が発案しプロデュースしているクマムシキャラクタークマムシさんが株式会社タイトーとライセンス契約を結びました。今年2014年4月より、全国のアミューズメント施設のクレーンゲーム用景品として登場します。


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クマムシさんのプロジェクトは科学啓蒙と、私が行っているクマムシ研究の研究費獲得の二つを大きな目的としています。「かわいい」を入り口として人々から生き物や自然科学に興味をもってもらいつつ、エンターテイメントの対価としてお金をいただく。クマムシさんがきっかけとなり、研究者を志す子どもたちが出てくれれば私にとってこんなに嬉しいことはありません。


クマムシさんのプロジェクトが始動してからおよそ2年。思ったよりも早くクマムシさんが市場に認められているようで、とても嬉しいですね。いつも応援いただいている方に感謝します。上の写真のグッズだけでなく、その他の種類の景品もタイトーから続々と登場する予定です。


これにも関連して、昨日2月5日に放送されたテレビ東京のワールドビジネスサテライトでクマムシさんが取り上げられました。研究者自身がキャラクタービジネスを行っていることも、興味があったようです。この中で、クマムシさんのプロモーションについて私が話しています。当日の放送内容は以下のテレビ東京のサイトから視聴できます。


キャラクター 成功のカギは:ワールドビジネスサテライト:テレビ東京


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こちらとしては資本が少ないため、クマムシさんのプロモーションのために広告をたくさん打つことは不可能です。おまけに私がフランスにいるため、営業活動もままなりません。それでも、ユニークなコンセプトを打ち出してキャラクターのアカウントをTwitterFacebookに作って活動すれば、うまく展開していけることがわかりました。今は、必ずしも大きな会社でなくてもアイディア次第で勝負できる時代になってきたのです。現在、他の企業さんからもクマムシさんのライセンス契約の話をいただいています。


さて、アミューズメント施設でのクマムシさんグッズの登場は4月からですが、現在、日本科学未来館、東急ハンズ池袋店、ジュンク堂池袋店、大阪市立自然史博物館などで公式グッズを販売しています。また、以下のオンラインショップからもクマムシさんグッズをお求めいただけます。


クマムシさんのお店


ということで、クマムシさんをさらに大きく育てていきたく思っています。クマムシさんともども、今後ともどうぞよろしくおねがいします。

人気ブロガー藤沢数希さんとの対談内容が公開されました


昨年むしマガでお届けした人気ブロガー藤沢数希さんとの異色対談の内容が、藤沢さんのブログ「金融日記」に公開されました。


生物学者の堀川大樹さんと恋愛工学対談: 金融日記


動物の生殖行動から海外文化まで話題にしています。硬い内容ではないので、まったりとお楽しみください。

はてなブログに引越しました。

はてなダイアリーからはてなブログに移行しました。時代の流れですね。


はてなダイアリーからの以降だと、コメントやはてなブックマークも一緒に移動できるので便利ですね。でもFacebookのlike!の数はリセットされますね。当たり前だけど。納豆菌の記事には7000近くのlike!がついていたのですが。


というわけで、今後ともむしブロをよろしくお願いします。

乾いても死なない線虫のサポーターたち

・線虫シーエレガンス


クマムシに比べると、肢もなくニョロニョロしていてあまり可愛くない線虫シーエレガンス(主観)。





シーエレガンス from Wikimedia


だが、このシーエレガンスは生物学研究において非常に大きな役割をもっている。大腸菌を餌として爆発的に増殖するため、飼育が容易だ。また、細胞も1000個ほどしかなく、動物の中でも単純な体の構造をしている。シーエレガンスについては、解剖学、発生学、そして遺伝学まで、調べに調べ尽くされている。いわゆるモデル生物だ。


とくに、シーエレガンスは遺伝学の材料としてすぐれている。この生物には色々な変異体が存在し、各遺伝子の機能を調べるのにうってつけである。RNA干渉とよばれる技術を用いることでも、ある遺伝子の機能をピンポイントで調べることが可能だ。


クマムシと同様に、線虫の中には乾眠をする種類が知られている。つまり、カラカラになっても死なないやつがいるのだ。実際に、乾燥したコケを水に浸すと、コケの中からクマムシと一緒に線虫が出てくることがよくある。ただし、シーエレガンスは乾燥すると死んでしまうと長い間考えられてきた。ところが2011年に、シーエレガンスが実際には乾眠に入れる能力があることを、ドイツのマックス・プランク研究所の研究グループが発見した。


生命活動のオンとオフ:やっぱり重要だったトレハロース: むしブロ


そして今回、同じ研究グループの研究により、このシーエレガンスが乾眠に入るために必要な「分子サポーター」たちの顔ぶれが浮かび上がってきた。


Molecular strategies of the Caenorhabditis elegans dauer larva to survive extreme desiccation: PLoS One


・2つの状態の違いを見て推定する


シーエレガンスは通常の状態では乾燥すると死んでしまう。ところが、長期休眠幼虫期である「ダウアー」の時期に限って、乾燥しても死なずに乾眠状態に入ることができる。


そこで、「1. 乾眠していないとき」と「2. 乾眠に入るとき」の2つの状態における遺伝子発現を調べ、乾燥ストレス特異的に動いている遺伝子を特定した。さらに、これらの遺伝子が機能しない変異体を用いて乾燥ストレスを与え、死にやすくなる変異体を特定。このようにして、乾燥耐性の成立にとって重要と思われる、以下の機能をもつタンパク質(酵素)をコードする遺伝子が特定された(なお、乾燥に伴ってこれらの遺伝子から実際に目的のタンパク質が作られることも確認されている)。


1. 頭部の感覚神経で環境中の湿度変化を察知するのに関わるタンパク質
2. タンパク質の構造を保護させる働きをもつタンパク質
3. 活性酸素を除去する酵素
4. 解毒作用に関わる酵素
5. 脂肪酸の代謝に関わる酵素


これらの結果から導かれるシーエレガンスの乾眠メカニズムのシナリオは、こうだ。 まず、周囲の環境が乾燥すると頭部の感覚神経でこれを察知し、乾燥してきたことをシグナルで伝える。これにより、一連の乾眠特異的な遺伝子からメッセンジャーRNAが多量に作られ、タンパク質が作られる。これらのタンパク質のあるものは保護タンパク質であり、あるものはトレハロース合成酵素や活性酸素除去酵素だったりする。


細胞が乾燥すると生体膜などの構造が破壊されたり、タンパク質の構造が不可逆的に変化して機能しなくなる。トレハロースやLEAタンパク質は、乾燥時にこれらの構造を守っていると思われる。さらに、細胞膜は脂肪酸を構成員としているが、シーエレガンスはこの脂肪酸の構造を変化させることで乾燥耐性を身につけている可能性も浮上した。


乾燥ストレスにより活性酸素種も発生し、これが生体物質にダメージを与えると考えられている。活性酸素除去酵素により、このときに活性酸素種の攻撃から生体を守
っているのだろう。この他、解毒代謝に関わるタンパク質をコードする遺伝子も、乾眠にとって重要なサポーターであることが分かった。だが、これらの遺伝子の具体的な機能はまだよく分かっていない。


さて、今回の研究結果は、これまでに提唱されていた乾眠メカニズムをより強固な形で示したといえる。だが、これで乾眠の謎がすべて解明されたとはまだいえない。


この研究を行った研究グループは、乾眠の成立に関わる遺伝子や生化学的経路は非常に少ないということを強調している。だが、今回の研究では、「ダウアー」という特殊なモードにおいて「1. 乾眠していないとき」と「2. 乾眠に入るとき」の2つの状態を比べていることを忘れてはならない。というのも、通常の線虫のモードからダウアーのモードに移行する段階で、すでに色々な遺伝子やタンパク質の発現パターンが変化しているはずだからだ。つまり、ダウアー特異的に発現するいくつかの遺伝子も、乾眠に関わっている可能性は否定できないというわけだ。


とはいえ、シーエレガンスのようなモデル生物を乾眠研究の材料として使えるアドバンテージは大きい。今後、一気に乾眠研究が進むポテンシャルは大いにある。


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ヒルはクマムシよりも強いか

・ヒル


ヌマエラビルというイシガメの体表に寄生するヒルが、−196ºCもの低温で凍っても生き延びることが分かった。東京海洋大学と農業生物資源研究所の研究グループの研究だ。


A leech capable of surviving exposure to extremely low temperatures: PLoS One


研究グループはヌマエラビルを含めた7種のヒルを使用している。これらのヒルたちを−90ºCの冷凍庫および−196ºCの液体窒素に放り込んで丸一日間保存した後、室温に戻して生死判定を行った。結果は、ヌマエラビルのすべての個体がピンピンしており、その一方で他の種類のヒルたちは全員凍死していた。


ヌマエラビルの中には−90ºCの温度下で最長32ヶ月間生き延びるものがいた。また、−100ºCと+20ºCの凍結-解凍のサイクルを12回繰り返した後に生きている個体もいた。卵も凍結に強い。


通常、凍結耐性のある動物はゆっくりとした温度の低下を察知し、体が凍結に耐えられるモードに移行する。準備期間が必要なのである。しかし、ヌマエラビルの場合はこの準備期間なしの急速冷却による凍結がおきても問題はない。これが、ヌマエラビルの凍結耐性の大きな特徴である。


・生態学的には無駄


ヌマエラビルが寄生する野生のイシガメは、当然ながら、自然環境でこのような極端な低温にさらされることはない。もちろん、ヌマエラビルも同様である。通常、環境温度はきわめて大きな自然選択のファクターとなり、生物の進化適応に影響する。


すなわち、通常はある動物種の生存限界温度は、その種の生息環境の温度に左右される。ヌマエラビルの本来の生息環境の温度を考えれば、この極端な低温耐性は生態学的に無駄な能力といえる。


・凍眠


このヌマエラビルの凍結耐性に見られるような、1. 急速冷却による凍結でも耐える、2. 致死最低温度がなさそう、3. 生態学的に無駄な低温耐性、の3つの条件を備えた凍結耐性を凍眠(クライオバイオシス)とよぶ。いわば、究極の凍結耐性だ。


さて、ここまで読んできて多くの読者が「このヒルとクマムシ、どっちが強いの?」と疑問に思っているかもしれない。実際に、ネット上では以下のような意見もあった。


「クマムシは乾眠しないと低温に弱いが、ヌマエラビルは通常状態で低温に強い」
はいここテストに出ますよー。

『寒さに最も強い生物はヌマエラビル!?』 -196℃でも生存できるヒルが見つかったんだってさ: アレ待チろまん


これは、事実とちょっと違う。実は、クマムシも通常状態で超低温にべらぼうに強い。つまり、クマムシも凍眠能力を備えているのだ。体に水を含んだ通常状態の生クマムシが−253ºCの超低温に耐えられることが、1920年代に既に報告されている。また、毎分−30ºCという急速冷却速度で−196ºCにさらしても、個体の半数が生きられることも判明している。


だが、このヒル論文の中でも、「クマムシは通常状態では凍結に弱い」という記述がある。その根拠として、私たちの論文を引用している。


私たちが行った実験では、通常状態と乾燥(乾眠)状態の2通りのヨコヅナクマムシを試験管に入れ、液体窒素に直接放り込んだ。これは超急速冷却による凍結であり、どんなに凍結耐性の高い動物でも、大半は死んでしまう。この条件では、乾燥状態のクマムシはほとんどが生存していたが、通常状態のクマムシは20%そこそこしか生き残らなかった。まあ、この条件で20%の生存率というのはかなり立派なのだが。いずれにしても、この研究結果をもとにして「クマムシは通常状態では乾燥状態よりも凍結耐性が低い」と記述されている。


「ヌマエラビルだって、このようなやりかたで凍らせたら大半は死んでしまうだろう」。ツッコミを入れようと思いながらこのヒル論文を読んだが、「毎分−1000ºCを超える速度で凍っても平気」とのこと。驚きである。正直、悔しいが、ヌマエラビルは「凍結耐性」に関してはクマムシよりも上と認めざるをえない。


・凍結耐性と乾燥耐性


この凍眠の能力をもつ生物は、カラカラに乾いても死なない乾眠の能力をもつ場合がきわめて多い。すでに出てきたクマムシがそうだし、他にも一部の線虫やワムシにも凍眠と乾眠の両方の能力をもつ種がいる。



図. クマムシの乾眠と凍眠


凍結と乾燥は、お互いに似たようなストレスである。両方とも、細胞内からの脱水を引き起こす。つまり、凍眠も乾眠も同じようなメカニズムで凍結や乾燥による害に対処しているのだろう。


海や川や池に棲むクマムシは乾燥に弱く、乾燥すると乾眠に入れずに死んでしまう。その一方、乾燥にさらされる陸のクマムシは乾燥耐性が高い。乾燥耐性の度合いは、生息環境の水まわりの環境と密接な関係があるのだ。


クマムシや他の乾眠動物は、恒常的に水が存在する環境から陸に進出した際に乾燥耐性を身につけた。すると乾燥耐性のメカニズムを獲得した結果として、極端な凍結耐性、つまり凍眠能力も発揮されるようになった。そう私は考えている。


スピードスケート競技でオリンピック出場を目指してトレーニングしていたら大腿筋が鍛えられ、その結果として予期していなかった自転車競技でもオリンピックに出場してしまった橋本聖子氏と似ている。


・ヌマエラビルの謎


しかし、これだけ高い凍眠能力があるにもかかわらず、ヌマエラビルは乾眠能力がないという。1956年の古い文献(当時はヌマエラビルはシナエラビルとよばれていた)には乾燥耐性があるとされているが、完全に脱水すると死んでしまうようだ。


シナエラビルの耐乾性および水温による行動の変化と走触性: 採集と飼育


つまり、クマムシはヌマエラビルよりもはるかに高い乾燥耐性能力があるが、凍結耐性能力については逆になっているのだ。ヌマエラビルには(クマムシもだが)一般的な凍結保護物質がみられないとのことなので、かなり風変わりな凍結耐性のメカニズムがあるのだろう。もしかしたら、生体保護物質を生産するのではなく、組織や細胞の構造が他の生物と異なるなど、メカニカルなメカニズムが存在するのかもしれない。


・クマムシとヌマエラビルはどちらが強いか


ヌマエラビルは凍結耐性がクマムシよりも高いが、乾燥耐性はクマムシには及ばないというこ。ヌマエラビルについては放射線耐性や他の耐性も気になるところだ。だが、乾燥耐性がないということは真空では生きられない(もちろんクマムシは大丈夫)。ということは宇宙でも生きられないことになる(クマムシはやってのけた)。


私は、今回のヌマエラビル論文の著者グループとは顔見知りなので、あまりカドを立てたくない。だが、あえて結論をいわせてもらうと、トータルで考えれば、やはり圧倒的にクマムシの方が強いといわざるをえない。あと圧倒的に可愛い。

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さて、今回は久しぶりにブログ記事を書いた。最近は有料メルマガ(初月無料)に軸足を置いており、毎週発行している。登録した月に解約すれば課金は発生しないので、お気軽にどうぞ。購読手続きはこちらから。


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クマムシ博士の「最強生物」学講座ー私が愛した生きものたちー

分子生物学会2050年シンポジウムを振り返る


写真撮影: Kotoneさん


2013年末に神戸ポートアイランドで行われた分子生物学会年会の「2050年シンポジウム」に登壇してきました。この年会は、自分がこれまで参加した国内の保守的かつ閉鎖的な学会とは趣がだいぶ異なるものでした。官僚や政治家を召還した議論、論文捏造問題に関するシンポジウムなど、なかなか攻めた感じの企画が開催されており、大会長の近藤滋さんのをはじめとした学会運営委員会の熱意とリベラルな雰囲気を感じました。


「2050年シンポジウム」は、2050年に開催されている分子生物学会で未来の研究者たちが各自の研究発表を行っている様子を、2013年の聴衆が観覧するというものです。つまり、我々講演者は、37年後の2050年に生物学がどんな未来を作り出しているかを妄想して発表しなければなりません。


近藤さんはすでに「クマムシを巨大化して最強の生物兵器の開発」というアイディアをもっており、とにかく一般向けに笑いをとるのが重要というスタンスのようだったので、これをもとにして「クマムシを巨大化させて宇宙インベーダーの納豆菌を駆逐する」という発表内容を思いつきました。

 
このシンポジウムはコンテスト形式をとっており、研究者らによる審査を経て優勝者と準優勝者が選出されます。優勝を目指すためには、研究者に受けるプレゼンでなければならないということです。


ただ、自分としては研究者よりも一般の方への受けを取りにいくことを最重視したので、優勝は最初から捨てていました。このシンポジウムの様子はBSフジの「ガリレオX」という番組でも放映されることも決まっていたため、お茶の間の人々にも分かりやすいものにしなければならないのです。


ということで、37年後の堀川大樹になるべく、ドンキホーテで白髪のカツラを購入し、前日にはカツラをかぶりやすくするために散髪しました。さらにカツラの上には「ひよこまめ雑貨店」さんに作ってもらったクマムシ帽子を装着し、ベタベタの演出で本番に臨むことにしたのです。で、本番での聴衆からの受けはなかなか満足のいくものでした。笑いがとれてよかった。


他の登壇者の方のプレゼンも皆レベルが高くて見ていて面白かったです。みんな、サイエンスとエンターテイメントをうまく両立させてるなあ、と。ということで、この模様をぜひお茶の間でごらんください。放映スケジュールは以下の通り。


のぞいてみよう!2050年 未来の生命科学 笑撃のプレゼン対決:ガリレオX
1月12日(日曜) 11:30~12:00
1月19日(日曜) 11:30~12:00(再放送)


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クマムシ博士の「最強生物」学講座ー私が愛した生きものたちー

ある研究室でのラブストーリー(その4・最終話)

初雪の日に、アパートに一通の封筒が届いた。差出人はT大学。あのパーマネント助教公募の、書類一次審査の結果通知が来たのだ。


京太がその薄い封筒を開くと、中にはA4サイズの紙が一枚だけ入っていた。紙面には文字が数行だけ印刷されており、余白部分がやたらと目立った。文書の二行目に、こう書かれていた。


「書類審査の結果、残念ながら貴殿は不採用となりました」


何度読んでも、そう書いてあった。京太は二次審査の面接すら受けられず、不採用になったのだ。京太は、直立不動のまま動けなかった。まるで、液体窒素に放り込まれて瞬間凍結した金魚のように。


5分ほどして、京太の体は解凍が始まり、ソファーに腰を下ろした。


「なぜだ......なんで?......なんでオレが.......なぜ?......なんで?.......なんでだ......??」


京太は、同じフレーズを何度も繰り返した。そして、脳内のすべての神経回路が切断されたように、思考が停止した。


「ただいまー。すごい雪だねー......ん?ど、どうしたの......?」


いつもと様子が違う。紗季は、何かただならぬ事態が京太に起きたことを察した。京太は、死んだ魚のような目をゆっくりと紗季に向けた。そして、テーブルの上に置いた審査結果通知書を、力なく指で差した。


審査結果通知書を読んだ紗季は「えっ」とだけ声を発し、口を閉じた。1DKの空間は、これまでに経験したことのない重い沈黙に支配された。


しばらくして紗季が外出し、コンビニ弁当を買って戻ってきた。紗季は無言で弁当を食べ終わり、シャワーをしてベッドに入った。京太は、まだソファーから動けずにいた。テーブルに置かれた京太の分の弁当は、すっかり冷めていた。無音の室内に、時折、雪が落ちる小さな音だけが、淋しく響いた。


翌日、一通のメールが京太に届いた。教授からのものだった。


採用できずに申し訳なかった、という謝罪から始まるメールの文章を読み進めていった京太は、再びディープ・フリーズした。


教授は京太ではなく、あの猫背の後輩の千現武志を助教に採用していたのだ。実は、武志も公募に応募していたのである。


教授が武志を採用したという事実。これは、教授が自分の後釜にふさわしいのは武志であり、京太ではないと考えていたことを示していた。そのことを、京太は受け入れることができなかった。目眩とともに、視界が真っ白になっていった。


京太が気がついたとき、目の前には無惨に破壊されたノートパソコンがあった。京太は無意識のうちに、自分のノートパソコンに鉄槌を下していたのだ。何度も何度も。


破壊されたノートパソコンから放たれたゴムの焼けるようなにおいが、京太の鼻腔を刺激した。これ以上無い、濃い敗北の味がした......


※この続きは有料メルマガ「むしマガ」(月額840円・初月無料)の195号で読むことができます。購読登録はこちらから。なお、この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在のものと一切無関係です。


【関連記事】

ある研究室でのラブストーリー(その1)

ある研究室でのラブストーリー(その2)

ある研究室でのラブストーリー(その3)

世界に蔓延する偽装魚と食の未来

昨今、日本における食品の偽装問題が取り沙汰されているが、アメリカやヨーロッパでも事情は同様である。記憶に新しいのは牛肉のミンチに馬の肉が使用されていた問題だ。いずれも、より安い品物を求める消費者により、業者間のコスト削減競争が激化していることが背景にあるのだろう。


国際的非営利活動組織海洋保護団体Oceanaの研究調査によると、魚の偽装はアメリカで日常的に行われているようだ。


Oceana Study Reveals Seafood Fraud Nationwide


Oceanaによる調査は2010年から2012年にかけてアメリカの21の州で行われた。寿司屋、スーパーマーケット、魚屋の674店舗から1200の魚のサンプルを入手し、DNAを解析した。この解析手法はDNAバーコーディングとよばれるもので、サンプルの特定の遺伝子領域の塩基配列を調べてデータベースで種を特定する。


調査の結果、全体のうち33%が表記された種類とは別の魚であることが判明した。全店舗のうち44%でラベルの表記とは別の種類の魚を売っていた。とくに寿司店のうちの74%が偽物を提供していた。スーパーマーケットでは18%であった。


アメリカではビンチョウマグロ(シロマグロ)は"white tuna"とよばれる。寿司屋で出されるビンチョウマグロも、71%が偽物だった。代わりに出されていた魚のほとんどがアブラソコムツという種類だった。この写真は、アブラソコムツとビンチョウマグロの切り身を並べて比較した者である。違いが一目瞭然だろう。


そう、アブラソコムツはやたら白いのだ。私もこのやたら白い切り身をwhite tunaとしてアメリカの寿司屋で食べた気がする。白すぎないか、これ、と思いながら。


知らぬが仏ではないが、偽物に全く気付かずに満足して食べていれば、損した気分にはならないだろう。ところが、このアブラソコムツはちょっと怖いのである。アブラソコムツは消化ができないワックスエステルを多量に含む。この魚を30g以上食べると、人によっては下痢や深刻な腹痛を起こし、大量に食べると脱水症状をおこして昏睡状態に陥ることもある。


もはやこうなると、知らぬが仏とは言っておれない。いや、知らぬがゆえに仏になってしまう危険性もあるわけだ。アメリカで仏にならなくてよかった。ちなみに日本では食品衛生法で食用としてアブラソコムツを販売することは禁止されている。


このような偽装が魚の流通のどの段階で起きているかははっきりと分かっていない。アメリカでは食品医薬局(FDA)が食品の取り締まりを行っているが、このように魚の偽装についてはザルの状態である。FDA自体が推奨していない、水銀を多く蓄積しやすい種類の魚も偽装されて出回っている始末だ。このような状況を放置すれば、偽装問題はますます深刻化していくだろう。


魚の偽装については、アイルランド、スペイン、ギリシャなどのヨーロッパ諸国でも問題になっている。現在私が所属している研究室を始め、フランスでもこの偽装がどの程度行われているのか調査を始めたところだ。


さて、それではお魚天国である日本はどのような状況になっているのだろうか。これは推測だが、回転寿司店などが値下げ競争を繰り返し、コストを極限まで切り詰めて儲けを出そうとすれば、安い偽魚を提供する店があっても不思議は無い。実際に、こんな告発サイトまである。


回転寿司の真相と食品のカラクリ



もちろん、これは匿名のサイトなので記述内容の信憑性は不明だ。ただし、マダイの偽装魚としてティラピアの名前を挙げているなど、上述したOceanaの実際の調査結果と合致する記述もある*1


食べても体に悪影響の出ないレベルの偽装であればまだマシだが、コスト削減のために腐ったり不衛生なものが材料として出てくることは非常に問題だ。古い生肉を使ったユッケを食べて死亡した事故があったが、これも、ある意味でコスト削減競争が引き起こした悲しい災いだろう。


消費者である我々が安いものを求続ける限り、この問題に終わりはないのかもしれない。


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*1:このサイトの更新日が2011年9月であり、Oceanaによる調査報告発表は2013年2月である。つまり、このサイトの情報公開の方が早い。

年末イベントのご案内

今月末から少し日本に帰国し、色々とイベントに顔を出します。お暇な方は遊びにきてください。まずは、宇宙生物学系イベントから。


日本アストロバイオロジーネットワーク公開講演会「宇宙にいのちを探す」


私もオーガナイザーを務めている国際アストロバイオロジーワークショップ2013の一般公開講演会です。本会では「宇宙生物学とクマムシと私」という平松愛理的テーマの発表をする予定。なんでもTK氏いわく、「今アストロバイオロジーがキてることをアピールすることで、JAXAにアストロバイオロジー研究室を作らせるのじゃ!」とのことらしい。確かにJAXAは、というか日本は、アストロバイオロジー研究の層が薄いのでテコ入れする必要がありますからね。


でも、日本とのかかわりが薄くなった私がJAXAに働きかける義理がイマイチ見いだせ・・・いや、いずれそこの研究室主催者になる可能性も皆無ではないし、盛り上げていきたいと思います。いずれにしても、本イベントにはここに自分が呼ばれたこと自体が不思議なくらいに講演者には豪華な面々が揃っています。私は「科学界のインディー・ジョーンズ」こと長沼毅さんと「日本アストロバイオロジー界のドン」こと山岸明彦さんの間に挟まれての講演になります。


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日本アストロバイオロジーネットワーク公開講演会「宇宙にいのちを探す」 
会場:相模原市立博物館大会議室
日時:12月1日(日)14:00〜
参加費:無料 定員200名(当日、先着順) 13:00から受付開始

14:00〜 開会 司会:矢野創 (JAXA宇宙科学研究所・学際科学研究系)

14:05〜14:25 講演1「謎の深海生物にさぐる宇宙生命の可能性」 長沼毅(広島大学大学院生物圏科学研究科)

14:25〜14:45 講演2「宇宙生物学とクマムシと私」 堀川大樹(パリ第5大学・フランス国立医学研究機構)

14:45〜15:05 講演3「火星での生命探査計画」 山岸明彦(東京薬科大学生命科学部、JAXA宇宙科学研究所・学際科学研究系(客員))

15:05〜15:25 講演4「太陽系外惑星と宇宙における生命」 田村元秀(東京大学大学院理学研究科)

15:25〜15:45 講演5「正しい宇宙人の探し方〜SETIの話」 鳴沢真也(兵庫県立大学 西はりま天文台)

15:45〜16:35 パネルディスカッション「深海から深宇宙まで〜生命の兆候を見出すには〜」
コーディネーター:矢野創
パネリスト:
長沼毅、堀川大樹、山岸明彦、田村元秀、鳴沢真也、高井研(JAMSTEC海洋・極限環境生物圏領域、JAXA宇宙科学研究所・学際科学研究系(客員))

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12月6日(金)には神戸で開催される分子生物学会年会の特別シンポジウム企画「2050年シンポジウム」で宇宙生命体インベーダーの駆除方法についてお話しします。


日本分子生物学会年会「2050年シンポジウム」


分子生物学会では特に何かを話す予定はありませんでした。年会長の近藤滋さんがtwitterでシンポジウムのネタを募集していたところ、外野感覚でこちらからネタを提案をしたら逆提案をされ、侵略エイリアンについてのお話をさせてもらうことになりました。

提案に提案で返すという高等技術。さすが年会長です。


こちらのイベントのプレゼンテーターたちも豪華。


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日本分子生物学年会「2050年シンポジウム」
会場:神戸ポートピアホテル
日時:12月6日(金)13:00〜
参加費:無料

No.1 池谷裕二(脳科学):2050年の単純な脳、複雑な私(仮題)

No.2 堀川大樹(クマムシ博士):宇宙生命インベイダーNK駆除のためのクマムシとバイオテクノロジー

NO.3 谷内江望(合成生物学):ロボットクラウドバイオロジー研究所

NO.4 高濱洋介(免疫学):死に行くT細胞へのレクイエム

No.5 小澤龍彦(抗体工学): 最先端科学が提供する合コンに代わる新たな出会いの場

No.6 八代嘉美(再生医療):iPSの広がる未来(仮題)

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ちなみに、本イベントの様子は正月にBSフジの科学番組「ガリレオX」という番組でも放映されるらしいです。


それから、11月26日の朝8:30頃からラジオJ-WAVEの「TOKYO MONING RADIO」、24:00過ぎからTBSラジオ「荻上チキ・Session-22」にてクマムシについて語ります(予定)。こちらもよろしくどうぞ。


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クマムシ博士の「最強生物」学講座ー私が愛した生きものたちー

ある研究室でのラブストーリー(その3)

大鷲京太と竹園紗季が交際を始めてから、三年が経過しようとしていた。竹園紗季は京太の指導もあり、無事に三年間で博士課程を卒業した。卒業後は、やはりT市にある昆虫の研究で有名なN生物資源研究所のポスドクの職に就いた。二人は、T市内にあるアパートで同棲を始めた。


この二年間、順調な同棲生活を送っていたが、ここのところ、二人の周りには重たい空気が流れ始めていた。京太の勤め先のS総合研究所でのポスドク任期があと3ヶ月で終了するにもかかわらず、次のポジションがまだ決まらないからだ。


この1年近くの間に、京太は大学の助教や研究所のポスドクなど合わせて10以上のポジションの公募に応募したが、すべて落ちた。書類による第一次審査すら通らなかった。文部科学省による若手研究者対象の奨学生制度である、学術振興会特別研究員になることも叶わなかった。


公募選考の際に重要なのは、研究業績だ。この研究業績は、具体的には国際科学誌に掲載された論文の本数と質によって判断される。京太の場合、筆頭著者として二報の論文を発表していた。


一報はT大在籍時に行っていたオオタカのメイティング・ビヘイビアー(生殖行動)に関する内容だ。もう一報は、S総合研究所に来てから調査した、関東地方におけるオオタカの分布についてのものだ。いずれもJournal of Avian Ecologyという、鳥類の生態学に特化した国際科学誌で発表した。


科学雑誌の格付けとして、各雑誌に掲載された論文の被引用回数を指標としたインパクト・ファクターがよく用いられる。京太の論文が掲載されたJournal of Avian Ecologyのインパクト・ファクターは1.2であり、生態学関連の雑誌では中堅の部類に入る。


ポジションの公募における審査の際、論文の質は、その論文が掲載された雑誌のインパクト・ファクターにより判断される。つまり、雑誌のインパクトファクターに論文数をかけたものが、応募者の業績とみなされるのである。


当たり前だが、各公募では、応募者の中から1人だけが採用される。いくら優秀でも、2番目以下では不採用なのだ。京太の業績はとくに優れたものではなく、書類審査で落とされたのは当然のことであった。公募をかけた側の研究内容と京太の研究内容とがマッチングするケースも、あまりなかった。


そしてなにより、京太には強力なコネがなかった。今も昔も、研究職の公募はコネで決まることが多い。実際に、京太よりも業績の少ない人間が、コネで助教の職に決まったケースを何度も見てきた。業績もコネもなく挑む公募が、すべて負け戦になるであろうことは、うっすらと感じていた。


しかし、まだ最後の望みが残っていた。京太の古巣であるT大動物生態学研究室が、教授の定年退官に伴い、その後釜として助教を1人募集していたのだ。しかも、今時珍しい、任期のないパーマネント(終身雇用)のポジションである。


「パーマネント」。ポスドクをはじめとした、すべての任期付研究者が垂涎する響きだ。狭き狭きパーマネントの門をくぐること。それこそが、ポスドク砂漠をさまよう者たちが目指す、最終ゴールなのだ。


パーマネントのポジションをゲットすれば、もう任期が切れて無職になる悪夢を見なくて済む。嫁も見つかる。マイホームも手に入る。この世のすべての苦しみから解放される。皆、そう信じて疑わない。パーマネント。それは果てしない夢。取り憑かれたように、「パーマネント、パーマネント」と白昼からつぶやくポスドクの何と多いことか *1


そのパーマネントのポジションの公募が、自分の出身研究室から出ている。コネという点で、京太はとてつもなく有利な立場にいた......


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ある研究室でのラブストーリー(その1)

ある研究室でのラブストーリー(その2)

ある研究室でのラブストーリー(その4・最終話)

*1:註1: ポスドク一人当たり、一日平均4.7回ほど「パーマネント」という語を口にするという調査結果もある (Horikawa et al. 2012)

人気ブログ「金融日記」の藤沢数希さんと対談しました

今号のむしマガでは、人気ブログ金融日記および人気有料メルマガ週刊金融日記を運営する藤沢数希さんとの特別対談をお送りします。この対談は、僕が9月に帰国した際、まぐまぐ前社長の大川弘一さんにアレンジしていただき、実現しました。美味しいとんかつを食べながら。


むしマガでもよく話題にする生物学的側面からのオスとメスの利害対立など、なかなか面白い対談になっています。


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藤沢数希
理論物理学の分野で博士号取得。欧米の研究機関で研究活動に従事したあと、外資系投資銀行に転身。以後、マーケットの定量分析、経済予測、トレーディング業務などに従事。おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』『外資系金融の終わり』(ダイヤモンド社)、『反原発の不都合な真実』(新潮社)など。
主宰するブログ「金融日記」は月間100万ページビュー。ツイッターのフォロワー数は8万人を超える。
有料メールマガジン『週刊金融日記』では、自身が提唱する恋愛工学の研究成果を随時発表しており、日本有数の購読者数を誇る。
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藤沢:堀川さんは今パリに住んでるんでしたっけ?


堀川:2年ちょっと前からパリに住んでいます。パリ第5大学でクマムシの研究をしているので。


藤沢:ちゃんと堀川さんの本読みましたよ。クマムシって、過酷な環境にも耐えられるタフな生物なんですよね。放射線とか、超低温とか、真空でも生きられるという。


堀川:そうですね。乾燥してカラカラになっても仮死状態で生き延びるんです。


藤沢:宇宙空間でも生き延びるんですよね。


堀川:そうなんです。フランスに来る前は、アメリカのNASAでクマムシを研究していたんです。いわゆる宇宙生物学というジャンルなんですが。


藤沢:なるほど。クマムシの耐性を他の生物で再現できないかとか、研究してるんですよね。


堀川:ええ。たとえば移植用臓器の乾燥保存とか。究極的には人間カップラーメンですね。人間を丸ごと乾燥させて保存して、お湯をかけると復活するみたいな(笑)。他の惑星に旅するときにも、乾燥状態で何年間も過ごして、目的地到着の直前に復活したり。色々な用途が考えられますね。


藤沢:パリでポスドクをしながら、そのクマムシの耐性のメカニズムの研究をしているわけですね。


堀川:そうです。今は基本的なメカニズム、たとえばなぜクマムシが乾燥したり高線量の放射線を照射されても大丈夫なのか、ということを解明しようとしています。
メルマガでは最新のクマムシの知見とか、その他の最新の生物学の知見などを、面白おかしく紹介しています。動物の恋愛を含めた行動生態学についても書いているので、藤沢さんの恋愛工学に少し共通する部分もありますね。


藤沢:まあ、ちょっとクマムシだけだと、マニアック過ぎますからね(笑)。


堀川:そういえば僕がメルマガをやっていて意外だったのは、読者さんから結構な量のメッセージが来ることですね。それまでもブログにメールアドレスを公開していたんですけど、メールなんてまず来ないんですよね。メールってけっこうハードルが高いので。でも、メルマガを始めてからは感想とかがメールで送られてきたりします。ブログと違ってポジティブなのばっかりなんで、それはうれしいですね。応援してくれてるんだな、というのが......


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ある研究室でのラブストーリー(その2)

T市民が待望していた、T市と東京を結ぶ鉄道路線が、ついに開通した。この春、大鷲京太は博士課程三年生になっていた。新入生の竹園紗季をポスドク観音台則夫に奪われてから、すでに3年が経過しようとしていた。


この間、京太に恋人が出来たことは一度としてなかった。彼女いない歴も26年間に更新した。動物生態学研究室に、紗季以外に好みの女の子がいなかったわけではなかった。だが、アタックしたところで振り向いてくれる女の子がいるようには感じられなかった。そしてなにより、京太にはアタックする意欲そのものが失われていた。


日頃から則夫にさんざんコケにされ続けた京太は、研究室内ヒエラルキーの下位から脱することができなかった。このようなヒエラルキー地位にいる限り、周囲からはオス的魅力に欠けるダメ男子として見なされてしまう。女の子からモテなくなるのだ。


こうなると京太自身も、研究室内での自分のヒエラルキー地位と非モテ度合いを、嫌でも認識せざるをえなくなる。すると、ますます自信が失われる。自信が失われると、オス的魅力も失われていく。学年が上がっても下位ヒエラルキーから脱することができず、ますますモテなくなる。


京太の身に起きたこの現象は、ネガティブ・モテ・フィードバック (NMF) とよばれる (Horikawa et al, 2013)。NMFは、隔離された閉鎖的個体群内で生じやすいことが判明している。理系研究室は、そのような閉鎖的個体群を内包する環境の代表例である。


NMFに陥り、セミの幼虫のような地下生活を余儀なくされていた京太だったが、今年は大きな転機が訪れた。則夫が研究室を去ることになったのだ。


教授が科研費を獲得することができず、則夫をこれ以上ポスドクとして研究室が雇えなくなったのだ。則夫はアカデミックポストに就くことができず、東北の小さな博物館で非常勤の学芸員として働くことになった。そしてこの異動が引金となり、則夫と紗季が別れることになったのだ。


研究室内でボスザルとして君臨していた則夫がいなくなったことで、京太がヒエラルキーの最上位に進出できるチャンスが出てきた。さらに、紗季も今やフリーの存在だ。京太は長い地下生活に終止符を打ち、高々とそびえる桜の木に登る準備を始めた。羽化をするまで、もう秒読み段階だ。


ポスドクの則夫が去ったことで、博士課程三年生の京太が研究室内での最上級生となった。新歓コンパやラボミーティングでは、最上級生である京太が主に仕切ることになった。


京太は思い出していた。新歓コンパやラボミーティングで、自分が則夫にさんざんコケにされ続けたことを。


「オレがあいつにやられたことを、後輩にはしたくない」

 
などと、京太は微塵にも思わなかった。むしろ、則夫が自分にしたことを、そのまま後輩にしてやろう。そう固く誓った。


「後輩たちを徹底的にコケにしよう。則夫が自分をコケにすることで研究室内ヒエラルキー最上位の地位を保ち、自分が紗季や他の女の子に手出しできなくなったように」


その信念のもとに、新歓コンパでは後輩の男性研究室員を容姿から性格に至るまで、徹底的にこき下ろした。ラボミーティングでは、後輩の研究能力だけではなく人格までも否定した。とりわけ、野外調査直前の京太のディスりは熾烈を極めた。野外調査期間中は研究室を留守にする。その間に、他の男性研究室員がつけ上がるのを抑制する必要があるからだ。

 
「オレはオオタカの研究者だ。オオタカは肉食だ。だからオレも肉食だ。そして最強の肉食男になるのだ」


森の中でオオタカのメイティング・ビヘイビアー (生殖行動) の観察をしながら、京太は何度も何度もこうつぶやいた。近い将来、自分自身が紗季とのメイティング・ビヘイビアーを行うことを夢見ながら......


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ある研究室でのラブストーリー(その3)

ある研究室でのラブストーリー(その4・最終話)

ある研究室でのラブストーリー(その1)

4月上旬、北関東のとある学園都市でもようやく桜が咲き始めた。それと同時に、この街に植えられている多数のスギに由来する花粉が、少なくない市民を攻撃していた。


T大学は、そんな街の一角を占める総合大学である。日本でも有数の広大なキャンパスを擁し、学術面でもノーベル賞受賞者を輩出するなど、誇らしい実績をもつことで知られている。


そんなT大学の片隅に位置する建物内に、動物生態学研究室がある。この研究室では、昆虫から脊椎動物に至るまで、さまざまな動物についての生態学的研究を行っている。


毎年4月には、動物生態学研究室では新歓コンパ(新入生歓迎コンパ)が催される。この年に新しく動物生態学研究室に配属された学部4年生は3名、修士1年生は2名である。学部4年生は全員男、修士1年生は男1名と女1名であった。


研究室で開催される新歓コンパの目的は、表向きは文字通り「新入生を歓迎し親睦を深める」というものだ。コンパの席では研究室のメンバーが自己紹介をし、食べたり飲んだりしながら円滑な人間関係を構築していく。


だが、男性研究室員にとっては、これとは異なる明確な目的が、新歓コンパにはある。


それは、新入生の女の子にツバを付けることだ。


通常、理系の研究室では男女比が圧倒的に男側に偏っている。このような条件下では、男性陣の間で女性メンバーを巡る奪い合い、つまり雄間闘争が起こる。T大動物生態学研究室でも、研究室員の男女比は3:1と偏っており、例に漏れず雌をめぐる雄間闘争が起きる運命にある。


よって、彼らににとっての新歓コンパの至上命題は、いかにして自分が他の男性陣をおさえて有利なポジショニングをとり、新入生の女の子にアプローチするか、ということである。


今回、新入生の中で女の子は修士1年生の竹園紗季、ただひとりである。竹園紗季は学部時代、東京にある国立女子大学の生物学科に在籍していた。彼女はガの行動生態学に興味があったが、所属学科には生態学の研究室が無かったため、大学院からT大動物生態学研究室に入ってきたのだ。


女子大出身の紗季は、急に男性ばかりの環境に身を置かれたことで、少し緊張している様子だった。都会の洗練された凛とした雰囲気を醸し出す彼女の存在は、T大生態学研究室の中で、少し浮いて映った。


しかし、純白のブラウスにかかる黒いネクタイには、ガの刺繍が大きく施されており、彼女が年季の入った虫屋であることを示唆していた。



「ガ、好きなんだ?」



修士2年生の大鷲京太が、お調子者キャラを全面に出しながら自分の椅子ごと紗季の隣に移動し、話しかけてきた。他の男性研究室員を差し置いての、先制攻撃である。



「このガのネクタイ、自分で作ったの?それとも、どこかで買ったの?」



「えっと、アーティストが昆虫をモチーフにした作品を展示するイベントがあって、そこで買ったんです・・・。昆虫大学っていうんですけど・・・。このガはクスサンで・・・」



「へぇ。オレ、猛禽類の研究が専門だけど、虫も好きなんだよね。」



「そうなんですか?」

 

「うん。でも、このガの刺繍、本当によくできてるね。ちょっと触ってもいい?」



「えっ」



京太は、自分の右手を紗季の胸元に近づけた。他の男性研究室員たちを一気に突き放すため、準求愛行動ともいえる接触アプローチ戦略を展開したのである。この戦略が上手くいけば、紗季との距離を一瞬にして縮めることができる。


だが、そうはうまくいかなかった。これを黙って見ていられなかった研究室員がいたのだ。研究室内ヒエラルキーの最上位に君臨するポスドクの観音台則夫である......


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ある研究室でのラブストーリー(その3)

ある研究室でのラブストーリー(その4・最終話)

クマムシさん・アット・デザインフェスタ

本日11/2と明日11/3に開催されるデザインフェスタにクマムシさんが出展します。ここでしか入手できない、クマムシさんのレアアイテムが満載ですので、ぜひご来店ください。


・・・・・・
『デザインフェスタVol.38』
11月2日(土)〜11月3日(日)11時〜19時

会場:東京ビッグサイト 西ホール
「クマムシさんのお店」ブースNo, I-227とI-228


・グッズラインナップ


「かんみんクマムシさんプレミアムぬいぐるみ」限定3体


「クマムシさんプレミアムぬいぐるみ」限定5体


「シロクマムシちゃんプレミアムぬいぐるみ」限定3体
「悪いクマムシプレミアムぬいぐるみ」3体
「占いクマムシプレミアムぬいぐるみ」3体


「最高級手作りクロレラ」(5粒入り)限定10個


「京都名物八ツ橋」(2つ入り)限定10個


「クマムシさんオフィシャルT-Shirts」
(S/M/L)ナチュラル/ピンク/スミ


「クマムシさんAA T-Shirts」( ̬ ̬ ̬ ̬•)
(S/M/L)オートミール/グリーン/グレー


「クマムシ博士の「最強生物」学講座 - 堀川大樹」


【関連サイト】

クマムシさんのお店

【今週末!】( ̬ ̬ ̬ ̬•)クマムシさんデザフェス販売商品(˘ ̬ ̬ ̬ ̬): クマムシさん日記


【お知らせ】このブログが本になりました

クマムシ博士の「最強生物」学講座ー私が愛した生きものたちー

貢がないオスの精子をブロックするクモ

メスにとってオスの選別はきわめて重要である。ガガンボモドキでは、オスがメスに貢ぐプレゼント餌のクオリティーと量により、交尾の受入れを判断する。


クモの一種、Pisaura mirabilisでも、オスは糸でぐるぐる巻きにした昆虫をプレゼントしてメスに渡す。メスがプレゼント餌を食べている間、オスは交尾をすることができるのだ。


Albo et al. (2013) Sperm storage mediated by cryptic female choice for nuptial gifts. Proc. R. Soc. B


プレゼント餌を獲得できるオスは、ハンティング能力に長けている。この能力が遺伝的なものだとすれば、自分の息子も高いハンティング能力を獲得することが期待できる。この能力があれば、当然生存に有利だ。また、メスにクオリティーの高いプレゼント餌を提供できるため、配偶者選択でも有利に働く。メスからすれば、プレゼント餌はオスの質を反映するシグナルとなるのだ。


ただし、このクモでは、プレゼント餌を渡さなくてもオスはメスと交尾できる。プレゼントは義務ではないのだ。しかし、プレゼント餌がない場合は交尾時間が短く、オスは十分な数の精子をメスに渡すことができない。


さらに驚いたことに、プレゼント餌をメスにあげなかった場合は、交尾の単位時間あたりの輸送精子数も著しく低いことが判明した。何らかの形で、メスは「手ぶらオス」からの精子をブロックしているようだ。メスに対してコストをかけないオスは、交尾をしても子孫を残す確率が激減するようになっているわけだ。


その一方で、プレゼント餌を渡して交尾をしたら、さらに自分までメスに食べられてしまう悲惨なオスもいるようだ。ここの説明では、この動画のオスがそうらしい。



貢いだ男の骨の髄までしゃぶるとは、このメスグモはとんだブラックワイフである。なんとおそろしいことか。


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