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クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

ある研究室でのラブストーリー(その2)


T市民が待望していた、T市と東京を結ぶ鉄道路線が、ついに開通した。この春、大鷲京太は博士課程三年生になっていた。新入生の竹園紗季をポスドク観音台則夫に奪われてから、すでに3年が経過しようとしていた。


この間、京太に恋人が出来たことは一度としてなかった。彼女いない歴も26年間に更新した。動物生態学研究室に、紗季以外に好みの女の子がいなかったわけではなかった。だが、アタックしたところで振り向いてくれる女の子がいるようには感じられなかった。そしてなにより、京太にはアタックする意欲そのものが失われていた。


日頃から則夫にさんざんコケにされ続けた京太は、研究室内ヒエラルキーの下位から脱することができなかった。このようなヒエラルキー地位にいる限り、周囲からはオス的魅力に欠けるダメ男子として見なされてしまう。女の子からモテなくなるのだ。


こうなると京太自身も、研究室内での自分のヒエラルキー地位と非モテ度合いを、嫌でも認識せざるをえなくなる。すると、ますます自信が失われる。自信が失われると、オス的魅力も失われていく。学年が上がっても下位ヒエラルキーから脱することができず、ますますモテなくなる。


京太の身に起きたこの現象は、ネガティブ・モテ・フィードバック (NMF) とよばれる (Horikawa et al, 2013)。NMFは、隔離された閉鎖的個体群内で生じやすいことが判明している。理系研究室は、そのような閉鎖的個体群を内包する環境の代表例である。


NMFに陥り、セミの幼虫のような地下生活を余儀なくされていた京太だったが、今年は大きな転機が訪れた。則夫が研究室を去ることになったのだ。


教授が科研費を獲得することができず、則夫をこれ以上ポスドクとして研究室が雇えなくなったのだ。則夫はアカデミックポストに就くことができず、東北の小さな博物館で非常勤の学芸員として働くことになった。そしてこの異動が引金となり、則夫と紗季が別れることになったのだ。


研究室内でボスザルとして君臨していた則夫がいなくなったことで、京太がヒエラルキーの最上位に進出できるチャンスが出てきた。さらに、紗季も今やフリーの存在だ。京太は長い地下生活に終止符を打ち、高々とそびえる桜の木に登る準備を始めた。羽化をするまで、もう秒読み段階だ。


ポスドクの則夫が去ったことで、博士課程三年生の京太が研究室内での最上級生となった。新歓コンパやラボミーティングでは、最上級生である京太が主に仕切ることになった。


京太は思い出していた。新歓コンパやラボミーティングで、自分が則夫にさんざんコケにされ続けたことを。


「オレがあいつにやられたことを、後輩にはしたくない」

 
などと、京太は微塵にも思わなかった。むしろ、則夫が自分にしたことを、そのまま後輩にしてやろう。そう固く誓った。


「後輩たちを徹底的にコケにしよう。則夫が自分をコケにすることで研究室内ヒエラルキー最上位の地位を保ち、自分が紗季や他の女の子に手出しできなくなったように」


その信念のもとに、新歓コンパでは後輩の男性研究室員を容姿から性格に至るまで、徹底的にこき下ろした。ラボミーティングでは、後輩の研究能力だけではなく人格までも否定した。とりわけ、野外調査直前の京太のディスりは熾烈を極めた。野外調査期間中は研究室を留守にする。その間に、他の男性研究室員がつけ上がるのを抑制する必要があるからだ。

 
「オレはオオタカの研究者だ。オオタカは肉食だ。だからオレも肉食だ。そして最強の肉食男になるのだ」


森の中でオオタカのメイティング・ビヘイビアー (生殖行動) の観察をしながら、京太は何度も何度もこうつぶやいた。近い将来、自分自身が紗季とのメイティング・ビヘイビアーを行うことを夢見ながら......


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