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クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

クマムシでも分かる。ノーベル賞候補・ゲノム編集技術「CRISPR/Cas9システム」

クマムシ 科学・研究 むしマガ

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ゲノム編集技術、CRISPR/Cas9。今年のノーベル賞(化学賞あるいは医学生理学賞)受賞候補として大きく注目されているが、仮に今年の受賞が無くても、近い将来確実に受賞することだろう。今回は、この革命的テクノロジーの概要をできるだけ分かりやすく解説する。


ゲノム編集技術


バイオテクノロジーの中で今もっとも注目されているのがゲノム編集技術だ。ゲノムとは、ある生物におけるすべての遺伝子の情報をひっくるめたものをさす。今、このゲノムを意のままに改変することができるようになりつつある。この技術はさまざまな生物学現象のメカニズムを解明する上での重要なツールになるほか、有用な家畜や農作物の作出や、遺伝性疾患の治療などへの応用も期待されている。


従来、遺伝子組換え生物をつくる場合は、外来遺伝子をゲノムの中の特定の位置に入れることが難しかった。これらの遺伝子は運び屋のウィルスなどにもたせて細胞内に注入されるが、ゲノムの中のランダムな場所に入ってしまう。また、ゲノムの中の特定の位置を狙って遺伝子を入れたりその遺伝子を破壊することもできたが、その効率はあまりよいものではなかった。


2013年、ゲノム編集技術に革新がおきた。それが、CRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)システムの実用化である。


CRISPR/Cas9システム


CRISPR/Casは細菌や古細菌がウィルス感染を防御するために発達させた免疫防御システムである。このシステムは現九州大学教授の石野良純氏らによって発見された。細菌はバクテリオファージなどのウィルスにより感染され殺される危険に脅かされている。細菌のCRISPR(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats)システムは侵入したウィルスのDNAをバラバラにし、その中で特定の塩基配列をもつ断片を細菌自身のゲノムに取り込む。こうすることで、それぞれの種類のウィルス特有DNA塩基配列、つまり、IDをコレクションし、記憶することができる。すでに侵入したことのあるウィルスが細菌内に再度侵入すると、細菌がもっているウィルス・コレクションDNAから写しとられたコピー(RNA)がその侵入ウィルスのDNAを照合して見つけ出す。RNAにガイドされて一緒にやってきた酵素Casタンパク質が、そのウィルスDNAをちょん切ってやっつける。こういう仕組みである。


Doudna博士とCharpentier博士の研究室は、CRISPRシステムのタイプ2に着目。このシステムを人類が利用しやすいようにするため、改良・シンプル化を試みた。こうして確立されたこのゲノム編集技術CRISPR/Cas9システムは、様々な生物の遺伝子を改変することを可能にした。ガイドRNA鎖と酵素Cas9が一緒になってターゲットのゲノムDNA上の塩基配列を認識して切断する。下の図のように、ガイドRNA鎖の塩基配列と対応する配列(と隣接するPAM配列)をもつゲノムDNA上の位置が認識され、そこでCas9によってこの場所が切断される。


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このとき切断されたゲノムDNAは修復されるが、このときにDNA塩基配列の一部が欠損したり他の配列が挿入されて変異がおこる(下図左)。また、挿入したい外来遺伝子をCas9らと一緒に細胞内に注入すると、狙った場所にこの外来遺伝子を入れることもできる(下図右)。


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もしCRISPR/Cas9システムを会社のアクティビティに例えたら


すこし話がやや難しくなってきたので、CRISPR/Cas9システムを会社における解雇手続きに例えて説明しよう。

かんぽ商事の営業部はそこそこの業績をあげており、表立った不具合はみえなかった。しかし、決算時に営業部が使用した経費をよく調べてみると、不自然な出費が莫大にあることが判明。経理部のR子は営業部の中の誰かが不正に経費を使用していることを疑い、調査を開始した。そして、ついにD島が架空の領収書を作成して会社の金を横領していることをつきとめた。R子はC村社長を連れて営業部に乗り込んでいった。

R子「C村社長!こいつです!D島が横領の犯人です!」

C村「なに!けしからん!D島、おまえはクビだ!!」

D島「クビ切られた!」


もうおわかりだろう。ここで、


営業部=ゲノムDNA

D島=ゲノムDNA上の特定の場所

R子=ガイドRNA鎖

C村社長=Cas9


である。R子(ガイドRNA鎖)がゲノムDNA(営業部)上の特定の場所(D島)を特定し、一緒に連れてきたCas9(C村社長)によって(クビを)切ってもらったわけだ。もちろん、切断したDNAのところに、新しく外来遺伝子を組み込むこともできる。ダメ社員をクビにしたことによって空いた穴のところに、新しい社員を補充するように。


CRISPR/Cas9システムの長所は、ゲノムDNA上の狙った場所の塩基配列をもとに、これに対応する塩基配列をもつRNA鎖を設計できることだ。この他のゲノム編集ツールとして使用されていたZFNやTALENでは、酵素がDNA塩基配列を認識していた。酵素はタンパク質であり、これを特定のDNA配列を認識するように設計するのは、ひじょうに手間と時間がかかる。CRISPR/Cas9で使われるRNA鎖を設計するのはこれに比べて格段に簡単なのである。


ちなみにCRISPR/Cas9システムの特許は現時点でMITのZhang博士が保有している。だが、特許申請はDoudna博士とCharpentier博士の方が早かった。Zhang博士の方が後出しだったわけだが、ファスト・トラックを使いDoudna博士とCharpentier博士よりも早く特許を取得してしまったのだ。Doudna博士とCharpentier博士は米国特許商標庁に再審査をするように申し立てているが、Zhang博士はずっと前からCRISPR/Cas9システムのアイディアを実験ノートに記しており、自分が特許保有者にふさわしいと主張している。特許をめぐり研究者どうしの泥沼合戦が現在進行中であるが、ノーベル賞にはDoudna博士とCharpentier博士のみが受賞するのではないかと見られている。


ゲノム編集と遺伝子治療


革命的といえるゲノム編集技術の登場によって、私たちの未来は大きく変わろうとしている。効果的な遺伝子治療の展望が開けてきたことも、その一例だ。エイズの治療や予防に、ゲノム編集技術の使用が検討されていたりする。


ヒトエイズウィルスHIVが免疫細胞に感染するとき、免疫細胞表面に出ているある特定の受容体(CD4とCCR5)を足場にして細胞内部に侵入することが知られている。もし免疫細胞の受容体遺伝子を取り除くことができれば、免疫細胞表面に受容体がでてくることがなくなる。つまり、ウィルスの足場がなくなるため、感染できなくなる。ゲノム編集技術によって受容体(この場合CCR5)遺伝子を欠損させた免疫細胞を作製し、それを患者の体内に入れてやれば、エイズ免疫不全の進行を遅らせることができる。このほかにも、チロシン血症1型などの先天性遺伝子疾患患者の治療に、ゲノム編集技術を応用することが考案されている。


遺伝子治療を受けた人の体内では、その人がもとからもっているオリジナルなゲノムをもつ細胞と、ゲノム編集により改変されたゲノムをもつ細胞が混在している。ただし、精子や卵のもととなる生殖細胞系列においてゲノム編集が行なわれないかぎりは、その人の子どもに改変されたゲノムが受け継がれることはない。問題となるのは、この生殖細胞系列や受精卵で、ゲノムが編集された場合だ。これには、様々な倫理的な懸念が絡んでくる。


ゲノム編集がつくる未来


CRISPR/Cas9はバイオ研究の世界でたちまち普及することとなった。これまでにないスピードでゲノム編集に絡んだ研究成果が発表されており、その用途や対象生物も多岐にわたっている。


しかし、いや、だからこそ、このゲノム編集テクノロジーは、使い方次第では人類にとって不幸な未来を招きかねない。そんな警告を、研究者らは発している。ゲノム編集テクノロジーを使うことで、オウム真理教のようなハイテクノロジーを備えたクレイジーな組織が、テロ目的で感染力を高めたウィルスをゲノム編集技術で作り出すかもしれない。これはちょっと言いすぎかもしれないが、ただ、受精卵のときに遺伝子改変をおこない、生まれてくる子どもから疾患原因となる遺伝子を除去するだけでなく、その子の知能や容姿をすぐれたものに変えるのが普通になるような未来は、より現実味を帯びている。


ヒトの疾患を治療するために、生殖細胞や受精卵のゲノム編集をおこない原因遺伝子を除去するアイディアは、以前からある。実際に、実験動物を使った基礎研究も進んでいる。ただし、現段階ではゲノム編集技術の精度は完璧にはほど遠く、ゲノム上の狙った位置ではない別の場所に変異を入れてしまうことも多い。こうなると、生まれてくる子どもが何らかの異常をもってしまう可能性も出てくる。それ以前に、出生前の人間の意思を無視して、その赤ちゃんのゲノム情報を勝手に改変してよいのだろうか?という懸念も生じる。


これらの懸念から、世界の科学者コミュニティは、人の受精卵の遺伝子改変をするのを自重してきた。ところが2015年4月、中国の中山大学の研究グループが、そのような空気を読まずに、ゲノム編集技術CRISPR/Cas9でヒト受精卵のゲノム編集を行なったとする研究論文を発表した。



この研究で使用されたのは、不妊治療クリニックから提供された三倍体の受精卵。これは、ひとつの卵に二つの精子が受精した異常な受精卵であるため、発生して正常な子どもになることはない。倫理的な問題をある程度回避しつつ、ヒト受精卵を用いてインパクトのある実験するために編み出した、研究グループの苦肉の策と思われる。


研究グループは、受精卵のゲノム上にあるベータグロビン遺伝子をターゲットにしたゲノム編集を試みた。ベータグロビン遺伝子の変異はベータサラセミアという先天性遺伝疾患をひきおこす。つまり、ゲノム編集技術CRISPR/Cas9でこの部分の変異遺伝子を正常な遺伝子に置き換えられるかどうかを検討したわけだ。


結果として、実験処理をした86個の受精卵のうち、ゲノム上の狙った場所で目的遺伝子が置き換わっていたのは、わずかに数個だけだった。ゲノム上のターゲット以外の場所で改変が起きていた受精卵も少なくなかった。この結果は、べつに驚くことでも何でもなく、他の動物を用いて行なわれた先行研究の結果から想定された範囲内のものである。科学的な新規性という観点からは、それほどインパクトの高い研究結果ではない。


仮にヒトの受精卵を遺伝子治療する目的でゲノム編集を行なう場合は、100%の確度で狙いどおりに変異遺伝子を除去しなければならない。今回の研究結果は、CRISPR/Cas9システムがまだまだ検討余地のある技術であることを示している(もっとも、研究グループは若干古いバージョンのCRISPR/Cas9システムを使っていたようだが)。研究グループも論文の中で「ヒトの受精卵に対する遺伝子治療にCRISPR/Cas9を使うのはまだ早い」と結論づけている。


この論文発表を受けて、世界中で熱い議論が渦巻いている。もっとも、この研究を行った研究グループも、その研究成果を掲載した中国のジャーナル(中華人民共和国教育部、日本の文科省のような組織がバックアップ)も、一種の炎上マーケティング的な手法で科学界や世間の注目を集めている部分もあるため、今おきている状況は向こうの思う壷になっている、という印象も受ける。


いずれにしても、異常なものとはいえ、ヒトの受精卵を使ったゲノム編集研究が実行されたことで、ヒト受精卵をつかった研究にますます拍車がかかるかもしれない。第二、第三の受精卵を使ったゲノム編集実験が実施されれば、社会からの反発もより大きくなる。そうすると、ゲノム編集の研究分野全体の進展が妨げられかねない。そんな懸念が生じている。アメリカ国立衛生研究所NIHでは、ヒト受精卵を使用する研究には研究費を出さない声明を出した。イギリスでは研究者が政府ににヒト胚を使った実験の許可を申請している。何ができて何ができないのかの線引きを明確にする必要があるだろう。


さて、実は健康な子どもを得る目的では、安全面で大きな不安を抱える受精卵のゲノム編集よりも、もっと現実的な方法がある。それは、着床前診断だ。


着床前診断では初期の発生段階にある胚を扱い、先天性遺伝子疾患の原因遺伝子の有無を調べる。変異遺伝子をホモ(父母から受け継いだ両方の遺伝子型が同じタイプ)で受け継いでいない胚を選択して着床させることで、遺伝子疾患をもたない子どもを授かることができるわけだ。もちろん、このやり方でも優生学の復興につながりかねないとする倫理上の問題も、あるにはある。だが、ゲノム編集に比べれば、こちらはずっと「おだやか」なやり方だ。


ヒューマンからハイスペック・ヒューマンやネオ・ヒューマンに


では、受精卵や生殖細胞にゲノム編集技術のメスが入ることはないのだろうか。これは、今すぐには考えられないが、将来的にはじゅうぶんありえると思う。そして、その用途は遺伝子治療にとどまらず、好きな遺伝子を取り込ませた子ども、つまり、デザイナーベイビーをつくる用途に使われる可能性もある。試験管ベイビーも昔は倫理的に反対する人が多かったが、今では普通に世間に受け入れられている。時代とともに、倫理や道徳の概念は変化するのだ。


現在、先進国では高精度医療(Precision Medicine)の実現に向けた基礎研究がハイスピードで進んでいる。数万人から100万人を対象とした全ゲノム解析結果と各人の健康データや生活習慣をひもづけることで、新たな疾患原因遺伝子や長寿遺伝子などがあぶり出されてくることが期待されている。将来、個人の全ゲノム解析が手軽に行なえるようになり、ゲノム編集技術が改善されて安全性が保証されるようになれば、生まれてくる子どもに「長生き」「病気への抵抗性」「賢さ」を司る遺伝子セットをもたせる文化が生じるかもしれない。子どものファッションを決めるくらいの感覚で、好みの遺伝子をピックアップして我が子に実装させる。そんな世の中がくるかもしれない。


はじめは富裕層がこのテクノロジーを使い、自分たちの子どもを遺伝的なハイスペック・ヒューマンに仕上げる。遺伝的背景に起因した能力に差が出るようになり、遺伝格差が生じる。テクノロジーのコストダウンに応じて、ある国では人口のほとんどがハイスペック・ヒューマンに。こうなると、これまでヒト集団に一定の割合で存在していた遺伝子が、将来はほぼ消滅していたり(疾患原因遺伝子など)、ほとんどの人に備わっていたり(長寿遺伝子など)するだろう。環境による遺伝子の淘汰・選択がおこりづらくなるわけだ。


さらにはヒト以外の生物のハイスペック遺伝子も取り入れ、もはやヒトではない何かに・・・。そう。人類は自らを編集して、ネオ・ヒューマンに進化する。羽毛をはやした学生たちが飛行能力を競う「リアル・鳥人間コンテスト」が開催。いやなことがあると乾いて眠ってしまう博士、「リアル・クマムシ博士」も誕生。そんな世の中に絶対ならないなんて、誰が言えるだろうか。


欲望という名の川がいったんひとつの方向に流れ出せば、止めるのは難しい。ゲノム編集技術は、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。


ゲノム編集についての一般向けの良書ゲノム編集の衝撃―「神の領域」に迫るテクノロジーが出版された。本書は生物学についての専門知識がなくても容易に読み進められるように書かれており、ゲノム編集を「いろは」から知りたい読者にとって良好な解説書となっている。


ゲノム編集の衝撃―「神の領域」に迫るテクノロジー:NHK「ゲノム編集」取材班 著


クマムシ博士による本書のレビューはこちら。

horikawad.hatenadiary.com


こちらはヒトの遺伝子改変について、生命倫理学の専門家による深い洞察が記された一冊。


ヒトの遺伝子改変はどこまで許されるのか ゲノム編集の光と影:石井哲也 著


クマムシ博士のレビューはこちら。

horikawad.hatenadiary.com


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」290号と291号「ゲノム編集がおこす社会変革(前編)(後編)」からの抜粋です。

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【参考資料】

実験医学 2014年7月号 Vol.32 No.11 ゲノム編集法の新常識! CRISPR/Casが生命科学を加速する

今すぐ始めるゲノム編集〜TALEN&CRISPR/Cas9の必須知識と実験プロトコール (実験医学別冊 最強のステップUPシリーズ)

遺伝子医療革命―ゲノム科学がわたしたちを変える

Jinek et al. (2012) A Programmable Dual-RNA–Guided DNA Endonuclease in Adaptive Bacterial Immunity. Science, 337, 816-821

Liang et al. 2015. CRISPR/Cas9-mediated gene editing in human tripronuclear zygotes. Protein and Cell, 6, 363-372

Urgency to rein in the gene-editing technology: Protein and Cell

Engineering the perfect baby: MIT Technology Review

A conversation with Jennifer Doudna on Cas9 and human germline gene editing: Knoepfler Lab Stem Cell Blog

The big blind spot on CRISPR for human embryo editing: PGD: Knoepfler Lab Stem Cell Blog


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