クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

遺伝子改変で鼻センされた蚊


吸血するネッタイシマカ image from Wikimedia commons


日本はこれから夏にかけて虫が元気いっぱいにあふれる季節である。虫好きにはたまらない季節が来るわけだが、虫好き人間でも嫌な虫はいる。蚊はそんな虫の代表だろう。


蚊の中には黄熱、デング熱などのウィルス、そしてマラリア原虫を媒介する、「かゆいかゆい」だけでは済まない非常に困った輩もいる。ネッタイシマカAedes aegyptiもそんな輩の一員だ。ほとんどの蚊は温血動物であれば誰かまわず吸血するのだが、このネッタイシマカはヒトを優先的に見分けて吸血する。浮気しない一途な性格なのだ。いや、むしろ厄介な粘着ストーカーだ。


そんな厄介なストーカーに対して、素晴らしい対抗策がある。虫よけスプレーだ。虫よけスプレーにはディートという化学物質が含まれるが、これを蚊は嫌うのだ。この写真にあるように、その効果は一目瞭然だ。


蚊やその他の昆虫がなぜこのディートを嫌うのか、そのカラクリはよく分かっていない。ただ、昆虫の嗅覚がこの隠避行動に関わっているのは容易に想像がつく。そしてこのカラクリを調べていけば、他にもっと効果的な隠避物質を開発することも期待できる。


そこで(そう思ったかどうか定かではないが)、今回、アメリカのロックフェラー大学の研究グループはネッタイシマカのディート嫌いが嗅覚と関係しているかを調べた。

 
DeGennaro et al. (2013) orco mutant mosquitoes lose strong preference for humans and are not repelled by volatile DEET. Nature, early edition.


研究者らは、ネッタイシマカの嗅覚を奪うことにした。蚊には鼻が無いからそもそも鼻センをできない。だから、遺伝子レベルで鼻センをした。嗅覚に関わる遺伝子を削り取ったのだ。


すると、どうだろう。正常なネッタイシマカはディートのにおいを嫌ったのに対し、嗅覚を奪われたネッタイシマカは、ディートのにおいにも普通に近づくようになった。


しかし、話はこれだけで終わらなかった。上述したのはディートの「においのみ」を与えた場合の実験結果だった。そこで次に、実際にヒトの腕にディートを塗って、嗅覚を失った蚊でいっぱいになった箱に腕ごと突っ込み、蚊の反応を調べたのだ。


嗅覚を失った蚊はにおいが分からないので、ディートを塗った腕にも止まるはずである。そして、実際に腕に止まった。しかし、である。においが分からないはずの蚊は、しばらくすると腕を離れて飛んでいってしまったのだ。


つまり、蚊はにおいが分からなくても、ディートに実際に接触すると逃げるのだ。蚊のディート嫌いには嗅覚以外の触覚などの感覚も関わっていることが示唆された。


今後、蚊の嗅覚やそれ以外の感覚のメカニズムを突き詰めて解き明かすことで、ディートよりもさらに強力な虫よけスプレーが開発できるかもしれない。また、昆虫の隠避行動を引き起こす安全な化学物質が開発されれば、ヒトの虫よけだけでなく、農作物の昆虫防除にも役立てることもできるだろう。


※本記事は有料オンラインジャーナル「むしマガ」(月額840円・初月無料)の158号に掲載された論文を短縮した簡易論文版です。こちらから購読登録すると完全版を読むことができます。