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クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

クマムシの味を知る−−人類の偉大な飛躍

クマムシ 科学・研究

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図0. 無数のドゥジャルダンヤマクマムシ。


1. はじめに


人類が構築してきた文明のなかでも、食文化は、もっとも重要なカテゴリーのひとつを占める。ヒトの摂食行為は、生命活動に必要なエネルギーを確保するためだけのものではない。摂食行為にかかわる味覚、嗅覚、視覚。摂食の過程でこれらの感覚が統合・抽出される。調理や盛り付けの方法が開発されてきた理由の一端として、人類が摂食行為を通した感覚刺激によって得られる快楽を求めてきたことが挙げられるだろう。


我々の豊かな食文化を支えるもっとも基本的なパーツは、食材である。摂食行為に快楽を求めてきた人類は、多数の食材を開拓してきた。人類にとって未知の材料を新たな食材レパートリーに追加することは、食文化の土台を水平方向に伸長させ、食文化の総ボリュームを拡張する(図1)。


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図1. 食材のレパートリーは食文化を形成する基盤である。


すなわち、未知の食材の開拓は、食文化構築という人類の共同作業において、もっとも重要な役割を担う作業である。


クマムシは緩歩動物門に属する無脊椎動物であり、乾燥などの極限環境に対して高い耐性をもつことで知られる(図2)(資料1)


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図2. クマムシの一種、ドゥジャルダンヤマクマムシ。(Photo: Kazuharu Arakawa)


1773年に初めてクマムシの存在が記録されて以来(資料2)、人類が本生物を実食した報告はまだない。


クマムシは現在までに1200種以上が知られているが、どの種も体長は1mm以下でありる。本生物の味を知覚するためには、きわめて多数のクマムシを一度に食する必要がある。クマムシの大規模飼育は難しく、本生物のテイストを知覚するための高い障壁となっていた。だが、イギリスのSciento社がクマムシの一種であるドゥジャルダンヤマクマムシの飼育系を確立した(資料3)。さらに、慶応義塾大学クマムシ研究グループが本種の大規模飼育に成功し、今回の実食実験が可能となった(資料4)


慶応義塾大学クマムシ研究グループクマムシ研究所の共同プロジェクトである本研究は、クマムシの実食実験を遂行して本生物を新たな食材レパートリーに追加することで、人類の食文化を拡張させることを目的とする。


2. 方法


ドゥジャルダンヤマクマムシの飼育は慶応義塾大学クマムシ研究グループで行われた。生クロレラV-12(クロレラ工業株式会社)(資料6)を餌として添加した寒天培地上にクマムシを入れ、18ºCにて保温した。食材として使用する個体はいったんストックにするために乾燥した仮死状態である乾眠に移行させた。乾眠への移行には、相対湿度85%で48時間の乾燥処理を行った。合計でおよそ10万の乾眠個体を−20ºCにて保管した。


ドゥジャルダンヤマクマムシを活動状態に復帰させるため、実食実験の前日に乾眠個体に給水した。復活したドゥジャルダンヤマクマムシを顕微鏡で観察すると、体内にまだ餌と思われる緑色の内容物が確認された(図3)。


図3. ドゥジャルダンヤマクマムシの体内に確認できる緑色の内容物。(Photo: Daiki Horikawa)


体内に内容物がある状態では、実食を行っても正確なドゥジャルダンヤマクマムシのテイストを判別することはできない。そのため、内容物を排泄させるために、餌を含まない培地にて個体を20時間絶食させた(図4)。


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図4. ドゥジャルダンヤマクマムシが入った、餌の無い培地。(Photo: Daiki Horikawa)


絶食後に観察したところ、個体内の内容物はほぼ見られなかった。


実食実験には、活動状態の個体のみを用いた。活動状態の個体は培地表面に張り付く習性を利用し、培地に蒸留水を入れて浮遊した死亡個体をすすぎ落とした。その後、培地表面を洗瓶を使用して蒸留水を噴射し、培地表面に残っていた活動状態の個体を、ガラスシャーレ内に移した(図5)。


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図5. (上)ドゥジャルダンヤマクマムシが張り付いた培地。(中)培地表面を洗瓶を使用して蒸留水を噴射して個体を洗い流す。(下)培地を上半分だけ洗い流したため、この部分にドゥジャルダンヤマクマムシはいない。ドゥジャルダンヤマクマムシは培地の下半分にのみ残っている。(Photo: Daiki Horikawa and Nozomi Abe)


ガラスシャーレ内を顕微鏡で観察し、除去しきれなかった死亡個体と微小な不純物をガラスピペットで取り除き、活動状態の個体を新たなガラスシャーレに回収した(動画1, 図6)。



動画1. シャーレを回してクマムシを中心に集める。(Film: Daiki Horikawa)


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図6. 活動状態の個体のみをガラスシャーレに集めた。(Photo: Daiki Horikawa)


その後、1.5mlエッペンドルフチューブに蒸留水とともに集めた。およそ8万個体の活動状態個体のボリュームは、0.1ml相当であった。ドゥジャルダンヤマクマムシの体色は半透明の白色だが、多数集まると黄土色を呈する(図7)。


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図7. エッペンドルフチューブに回収したドゥジャルダンヤマクマムシ。


当初、ドゥジャルダンヤマクマムシを粉砕して"特別なスープ”とすることを考案していたが、破砕に使用する粉砕棒にクマムシの断片が付着することによるボリュームロスを回避するため、そのまま加熱した。加熱はヒートブロック内にて100ºCで30分間行った。加熱後は、ドゥジャルダンヤマクマムシの色やや濃くなったように見えた。


加熱したドゥジャルダンヤマクマムシをピペットマンにてチューブからスプーン(株式会社ファミリーマート製)に移行し、実食を行った(図8)。


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図8. (上)ピペットマンでドゥジャルダンヤマクマムシを移行する。(下)スプーンに移行されたドゥジャルダンヤマクマムシ。(Photo: Nobuaki Kono and Daiki Horikawa)


実食は、生命科学研究者のジョゼフィーヌ・ガリポン博士が担当した。口腔内にてドゥジャルダンヤマクマムシをじゅうぶんに粉砕し、テイスティングを実施した。テイストの評価は甘味、苦味、塩味、酸味、そしてうま味の有無を判別することで行った。また、テイストの近い既知の食材の想起を試みた。


3. 結果と考察


本研究において用いたドゥジャルダンヤマクマムシの市場価格は1個体あたりおよそ14円である(資料6)。実食に用いた8万個体はおよそ112万円に相当し、1gあたりの価格はおよそ2,240万円となる。最高級食材といわれるトリュフは1gあたり1,000円強であり*1、ダイヤモンドでも600万円ほどである(資料7)。永遠の輝きを放つ宝石よりも高価な本生物は経口投与され、一瞬のうちにその姿が確認できなくなった(図9)。


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図9. ガリポン博士の口腔内に消えゆく8万個体のドゥジャルダンヤマクマムシ。(Photo: Daiki Horikawa)


歯による本食材の咀嚼は効果的ではなかったため、口腔内にて舌と上顎をこすり合わせることで本食材を粉砕した。経口投与からおよそ30秒後、味覚の分析結果を言語化することが可能になった(最初はガリポン博士の母語であるフランス語で報告が行われ、次に日本語で行われた)。


甘味、苦味、塩味、酸味、そしてうま味は感じず、似たテイストの既知の食材はの食材は想起されなかった。あえて形容するのであれば、”池”や"魚類を飼育している水槽内の水”の匂いから想像する味に近い(ただし、ガリポン博士は幼少期に池の水を飲んだことがあるかもしれない、と証言している)。この風味の知覚は、十数時間にわたり保持された。


”池の味"という形容は、第三者が理解できる形からは遠いものかもしれない。ただし、ドゥジャルダンヤマクマムシの本来の生息地は池である(資料3)。また、本種は実験室内でも淡水環境で飼育されている。今後、池などの淡水環境に生息する生物の実食実験を行うことで、ドゥジャルダンヤマクマムシに近いテイストを有する食材が見出され、”隠れた食材圏(Shadow Foodsphere)"におけるテイスト系統樹が描かれることが期待される。


慶応義塾大学クマムシ研究グループクマムシ研究所による本研究によって、人類史上初となるクマムシの実食実験が行われたことにより本生物が食材レパートリーに加えられ、人類の食文化構築に寄与できた。ヒトのQOLを向上させる新規な生理活性物質がクマムシに含まれているかどうかは、今後、全代謝産物の網羅的解析(メタボローム)などで明らかになるかもしれない。現時点では、クマムシそのものをサステナブルに供給できる食材とするのは難しいが、仮に有用な生理活性物質がみい出されれば、化学的・生物学的に人工合成により、そのような物質を供給できるかもしれない。また、細胞培養系が確立されれば、将来的にはクマムシ細胞を使用した”人工肉”の開発も可能かもしれない。


1969年、アポロ11号により月面に人類で初めて降り立ったニール・アームストロングは"これは小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である"と言った。本研究による人類史上初となるクマムシ実食も、小さな一口であったが、人類にとっては偉大な飛躍であろう。食材としてのクマムシを活用するための研究活動はまだ始まったばかりであり、本分野の今後の隆盛を願うばかりである。


4. 謝辞


本研究のために犠牲となった多くのドゥジャルダンヤマクマムシたちに、哀悼と感謝の意を表する。


5. 参考資料


1. Horikawa DD. Anoxia: Paleontological Strategies and Evidence for Eukaryote Survival (Altenbach AV, Bernhard JM & Seckbach J, eds) Springer, Berlin, 2011.

2. 鈴木忠. クマムシ?!―小さな怪物. 岩波 科学ライブラリー, 2006.

3. Gabriel WN et al., Developmental Biology, 312: 545–559, 2007.

4. 私たちが飼育しているクマムシたちをご紹介! | クマムシ観察日記 - Kumamushi Diary

5. Horikawa DD et al., Astrobiology, 8:549-556, 2008.

6. Sciento: Item Information - Hypsibius dujardini. Water Bear culture

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