クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

生命活動のオンとオフ:やっぱり重要だったトレハロース

地球上の生物にとって、水は生命活動を営むために必須な要素です。生物の体から水分のほとんどが失われると、代謝が正常に働かなくなったり、体を構成する要素—器官・組織・細胞・分子などーの本来の構造が崩れて機能を失ってしまい、最終的に死に至ります。

しかし、クマムシをはじめとする一部の生物は、ほぼ完全に脱水して「乾眠」という状態に移行することができます。乾眠状態の個体では代謝が止まっており、その後水が与えられると復活します。




クマムシの乾眠移行と復活 ©Daiki Horikawa

・トレハロース

乾眠動物のセンチュウ、アルテミア、ネムリユスリカなどでは、乾眠中に多量のトレハロースという糖を蓄積することが知られています。このため、トレハロースは乾燥した生物体の構造を保持する機能があると考えられてきました。*1 実際に、トレハロースは血小板の乾燥保存にも使われており、乾燥した生体材料の保存効果が実証されつつあります。

しかし、クマムシやワムシでは乾眠中にほとんどトレハロースを蓄積しません。また、酵母は乾眠中にトレハロースを多量に蓄積しますが、遺伝子をいじってトレハロースを蓄積できなくなった株でも乾眠に移行できます。

これらの事実から、トレハロースは本当に乾眠中の生物体の構造を保持する機能があるのかどうかが議論されてきました。


・センチュウ・シーエレガンス




シーエレガンス from Wikipedia


今回、ドイツの研究チームは、センチュウの一種・シーエレガンス(C. elegans)では、乾眠の達成にはトレハロースが必須であることを示しました。


Trehalose Renders the Dauer Larva of Caenorhabditis elegansResistant to Extreme Desiccation


もともと、シーエレガンスは乾燥すると死んでしまうと信じられていました。ところが、生活史の特定の段階(ダウアー)では、乾燥しても死ぬことなく乾眠に移行できることを、研究チームは発見しました。*2 また、シーエレガンスは、乾眠に移行する過程で活動時の5倍の量のトレハロースを蓄積することも確認しました。





とぐろを巻いた乾眠状態のシーエレガンス Courtesy of Dr. Kurzchalia


そこで、シーエレガンスを使ってトレハロースが乾眠の達成に必要かどうかを調べました。今回の場合、「トレハロースが無ければ乾眠に移行できない」ことを示せば、トレハロースは乾眠の達成に必須であり、逆に「トレハロースが無くても乾眠に移行できる」ことが分かれば、トレハロースは乾眠の達成に必ずしも必要でないことが言えます。シーエレガンスにおいては。

シーエレガンスはモデル生物であり、遺伝子を容易に改変することができます。そこで、トレハロースを合成・蓄積できない個体*3を作り、この個体に乾眠能力があるかどうかを調べました。

その結果、トレハロースを蓄積できない個体では、乾燥するとほとんどの個体が死んでしまい、乾眠能力が著しく低下することが分かりました。乾燥した体の内部を観察したところ、トレハロースを蓄積できずに死んだ個体ではミトコンドリアの生体膜が壊れていたり、タンパク質の異常な凝集が観察されました。トレハロースを蓄積できない個体は、乾燥するとこのような生体構造の変化が起きたために死んでしまったと考えられます。一方、トレハロースを蓄積した乾眠個体では、このような異常は見られませんでした。

さらに、トレハロースが蓄積している場合では、乾眠個体中の脂質の構造が保たれていたのに対し、トレハロースを蓄積しなかった個体では、乾燥すると脂質の構造が崩れていました。脂質は、主に細胞膜などの生体膜を構成する要素です。つまり、トレハロースは乾燥したシーエレガンスの体内で脂質の構造を保護することで、生体膜を乾燥ダメージから守っているものと思われます。

今回の研究から、シーエレガンスではトレハロースが乾眠の達成に重要な役割を果たしていることは、ほぼ間違いないと言えるでしょう。


・感想

最近では、トレハロースよりもLEAタンパク質*4の方が乾眠の達成に重要であるという説が優勢だったために、今回の結果はトレハロースの重要性に改めて光を照らしたものと言えます。また、モデル生物のシーエレガンスに乾眠能力があることが分かったため、今後の乾眠に関する研究が同生物を使って飛躍的に進むのではないかと予想されます。

しかし、論文のデータを見ると、シーエレガンスは非常にゆっくりと乾燥処理をしないと乾眠に移行できないようです。また、体内の全水分量の98%以上を失うと1割の個体しか乾眠に移行することができません。論文ではシーエレガンスを「真の乾眠生物」と言い切っていますが、私が扱っているヨコヅナクマムシに比べると乾眠能力が非常に低い、という印象を受けます。*5

上述したように、乾眠生物の中にはトレハロースをほとんど蓄積しなくても乾眠に移行するものがいます。乾眠の達成には色んなやり方が存在し、乾眠能力の強度の違いを説明するような要因がいくつもあるかもしれません。


今回の論文を発表した研究チームのKurzchalia博士は、「生命活動が止まり、再び始まるという現象の仕組みはどのようになっているのだろうか?我々の研究は、この疑問に答える"さわりの部分"を示したにすぎないのです。」と、むしブロ+編集部の取材に答えてくれました。

生命活動のオンとオフを切り替えるメカニズム。この謎はまだまだ奥が深そうです。


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*1:水分子に置き換わって生体を保護する「置換説」や水飴状になって保護する「ガラス化」説がある

*2:この事実はかなり衝撃的だった

*3:trehalose 6-phosphate synthase 遺伝子を欠いた個体

*4:Late Embryogenesis Abundant Proteins

*5:実はクマムシでも、種類によっては乾眠能力が弱かったり、全く乾眠に移行できないものもいる