クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

博士のゆくえ:学振に振られても生きる

今年も、日本学術振興会特別研究員、通称学振の採用結果発表の季節がやってきた。twitterのタイムラインも、採択の合否で賑わっていた。


念のため、学振について少し説明しておく。学振は、博士課程の大学院生や、博士号を取得してから5年以内の博士が、生活費と研究費の支給を受けながら研究できる制度だ。学振となった博士課程の大学院生は学振DC、博士号取得者は学振PDとよばれる。いわば学振は、アカデミアの登竜門のような位置づけであり、学振をとっているとアカデミックキャリアに箔もつく。学振申請のための書籍まで出ているくらいだ。


学振申請書の書き方とコツ DC/PD獲得を目指す若者へ 大上 雅史 著


私もかつて、学振DCに採用されていたことがある。だが、学振PDには2回応募して2回とも不採用となった。とくに2回目の応募のときは、面接→補欠→補欠不採用という、2月中旬まで採集結果が引き延ばされての死刑宣告であった(多くの人は10月中旬に採集結果が出る)。この年までは、面接を経て補欠になった場合は、ほぼ例外無く採用にいたっていたのだが、この年(2007年度)はiPS細胞作成が山中教授により確立されたため、補正予算がiPS細胞関連の研究に流れて私の学振採用がポシャったっようだ*1


この年は、オーバードクターおよび非常勤講師として過ごした年でもあり、就職活動を一生懸命行っていた。だが、国内の大学などの助教のポジションはおろか、ポスドクやテクニシャン、高等専門学校の教員の公募にも次々に落ちた。最後に学振PDがだめだったことで、いよいよ研究者としての道を閉ざそうと考えていた。


しかし、学振の不採用通知が届いてから1週間後、学振よりも難度の高いポジションだと思っていたNASAからフェローシップの採用通知がメールで送られてきた。学振に捨てられたが、NASAに拾われたのだ。最後の最後で道が残された。


今考えてみると、6年前の当時、日本国内では「アストロバイオロジー」という学問領域の存在すら知らない研究者ばかりだった。申請書に「クマムシと宇宙生物学」について書いても、学振の審査員が理解できなくても無理は無い。当時の日本では、私とクマムシが早すぎた。


その一方で、NASAは私の研究テーマを本気で面白がってくれたし、実際に投資をしてくれた。後で聞いた話では、NASA宇宙生物学研究所の前所長、Carl Pilcher氏が私を大プッシュしてくれていたということだった。アメリカは、サイエンスの面では本当に懐の深い国だと思った。私はNASAに、そしてアメリカに研究者人生を救ってもらったようなものである。


この私の例のように、国内ではあまり評価されていない研究でも、海外では面白がってくれる場合というのもある。だから、これからアカデミアで就職活動を始める院生やポスドクは、海外のポジションにも応募してみるとよいと思う。フェローシップも、学振だけではなく、出せるところにすべて出す心積もりで臨めば、日本に見限られたとしても、どこかの国に拾ってもらえるかもしれないのだ。


研究者として歩むのを諦めたくなければ、これくらいはしてみるといいだろう。やってみて損は無いのだから。


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*1:twitterで二人の方からこれ以前に補欠で不採用になったことがあるという報告をいただいた。なので、この年の私の不採用とiPS細胞の件に関係性があるかはよく分からない。