【書評】『テングザル―河と生きるサル』ボルネオの思い出
テングザル―河と生きるサル:松田 一希著 (フィールドの生物学7)
著者の松田一希氏は僕とは北海道大学大学院時代の同じ研究室の出身で、しかも同級生。松田氏は現在、京都大学で特定助教をしている。拙著『クマムシ研究日誌』は、彼が僕のことを東海大学出版会の編集者田志口さんにプッシュしてくれたことで、企画が持ち上がった。
余談だが、彼はイケメンでおしゃれさんでもあるので、女性向けファッション誌『VERY』が開催したイケダン(イケてるダンナ)コンテストでも400人の中からベスト6まで勝ち進んだ経歴ももつ。2016年には情熱大陸にも出演。
松田氏は博士課程に進学後、テングザルの生態学研究をスタートさせた。霊長類のような大型哺乳類の生態調査は根気もいるし、データを集めるのもなかなか難しい。データをとりにくい研究なので、博士号をとるのも必然的に困難となる。非常にリスキーな研究テーマを選んでいるわけだが、裏を返せば、そこまでしてでも、彼はテングザルを追いかけたかった、ということだ。
テングザルはボルネオ島の河畔林に棲む。オスは天狗のような鼻をもつために、このような名前が付けられている。夜から朝方にかけては川辺ですごし、昼は森の中に入っていく。つまり、テングザルを追跡するには川上をボートで移動しながら観察するだけでなく、森の中に入っていくことも必要になる。きわめてタフな調査が要求されるが、そこは研究室のボスである東正剛教授の「パワー・エコロジー」の教えに従い、松田氏は突き進んでいた。
このようなパワー・エコロジーの実践により、彼はテングザルの詳細な行動パターンや食性を明らかにするだけでなく、霊長類で初めての記録となるテングザルの反芻行動を発見した。今や押しも押されもせぬテングザル研究の第一人者となっている。
海外を拠点とした生態学研究でたいせつなことは、実は野生生物と向き合う忍耐力だけではない。地元の住民たちといかに仲良くやっていけるかも、非常に大きな鍵となる。松田氏は流暢なマレーシア語を喋るが、これはすべて現地のマレーシア人とコミュニケーションをとりながら徐々に覚えていったのだそうだ。あくまでも対等な立場として、しかし時には舐められないように、うまく接してゆく。円滑な研究活動の遂行は、このようなコミュニケーション能力にも依存するのである。
さて、実は僕も5年ほど前に松田氏がテングザル調査をしているマレーシアのスカウ村を訪ねたことがある。スカウ村は本当に素朴な村で、そこにいた子ども達の目がとても澄んでいたことが印象に残っている。不注意に川の中に入って釣りをしていて、ワニに食べられてしまう人もいる。野外でランチを食べていると羽アリが多数ごはんに落ちてきて、注意していても食物がアリごと口の中に入ってしまう。そんな、ワイルドな場所だ。
乗り合いの車でサンダカンからスカウ村へ
スカウ村のようす
スカウ村を流れる川
スカウ川の上をボートですいすいと進むと、熱帯林特有の甘い匂いがした。
ボート上の松田氏(右)とマレーシア人の助手さん(左)
カワセミ
テングザルじゃないサルたち
ほどなくして運良く、僕らは川沿いの木々にたたずむテングザルを見つけることができた。
木の上で休むテングザル
テングザルは思ったよりも落ち着いていて、あまりアクションがない。まあ、大型哺乳類はどれもだいたいそんなものなのだろう。
さらに幸運なことに、テングザルだけではなく、野生のボルネオゾウまで発見。
ボルネオゾウ
ボルネオゾウにかなり近づくことができた。ただし、あまり近づきすぎると攻撃してくるので、一定の間合いをとらなければ危険だという。
そして、生きものとの遭遇はこれだけでは終わらなかった。野生のオランウータンまで見ることができたのだ。
オランウータン
「ウォッォッォッォッ!」
吠えたのはオランウータンではなかった。松田氏だ。なんと、彼はオランウータンとコミュニケーションをとり始めたのだ。マレー語だけでなく、オランウータン語も堪能に操れるというわけだ。
いつの間にかこのコラムが僕のボルネオ探訪紀となってしまったが、とにかく本書はテングザルの生態だけでなく、ボルネオ情緒を知るにもうってつけの良書である。
※本記事は有料メルマガ「むしマガ」292号「南極クマムシツアー」の一部です。
クマムシ博士のむしマガVol. 292【南極クマムシツアー】
2015年5月17日発行
目次
【0. はじめに】もうすぐイタリア
来月下旬は三年に一度の国際クマムシシンポジウムがイタリアのモデナで開催されます。イタリアは伝統的にクマムシ研究が盛んで、今もモデナ大学のグループが幅広いトピックでクマムシ研究を精力的に進めています。イタリア料理も楽しみ。
【1. むしコラム「南極クマムシツアー」】
南極のクマムシについては1世紀以上にわたって調査されている。南極クマムシ研究の実態をレポート。
【2. 今週の一冊『テングザルー河と生きるサル』】
ボルネオでテングザルの研究に没頭した男の研究の記録。
【3. おわりに「新宿ゴールデン街ツアー」】
新宿ゴールデン街をはじめてめぐってきました。
【料金(税込)】 1ヵ月840円(初回購読時、1ヶ月間無料) 【 発行周期 】 毎週