クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

ノーベル賞受賞者トウ・ヨウヨウ氏はダンゴムシをつぶしたか

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1951年当時のトウ・ヨウヨウ氏(右)。This image is now in the public domain.


2015年のノーベル医学生理学賞は抗線虫薬剤の開発で大村博士、Campbell博士、そしてトウ氏の三名が共同受賞しました。大村さんは研究もさることながら生き方が格好よい。すでに国内メディアでいろいろと取り上げられているので、ここではトウ・ヨウヨウさんの「抗マラリア薬剤アルテミシニンの開発」について書きます。今年のノーベル賞の中で、個人的にもっとも興味を引いた研究成果でした。


1960年代後半、国家機密プロジェクトでマラリア撲滅のための研究が開始します。このときすでにクロロキンなどの抗マラリア薬剤が存在していましたが、これらの薬剤に対して耐性をもったマラリア原虫が出現。既存の抗マラリア薬剤の効果は弱くなっていました。


中国中医科学院で漢方薬コースを受講したトウさんの研究グループは、2000種以上の漢方薬草からマラリアに効果のある物質を抽出・生成しようと試みます。そして、漢方薬草のひとつであるクソニンジン(Artemisia annua)にたどり着きます。この植物の抽出物をマラリアにかかったマウスに与えたところ、原虫の増殖を抑制し症状を緩和する効果が見られたのです。しかしながら、この実験結果の再現性はあまり芳しくありませんでした。


トウさんらは中国医学に関する古書『肘後備急方』を参照しました。『肘後備急方』は『応急処置法の手引き』という訳になるでしょうか。この本はもともとは葛洪(ガ・ホン)(284年〜346年)によって1700年ほど前に書かれた書物です(トウさんが実際に参照したのは1574年に出版された復刻版と思われる)。彼女はこの中の「青蒿一握以水二升漬絞取汁盡服之(ひとつかみのクソニンジンを2リットルの水に浸し、しぼりとったその水を飲むこと)」という記述に注目しました。


そして、高温処理によりクソニンジンから抽出物を得るやり方だと、抗マラリア活性をもつ物質が失活すると考えました。低温処理で得たクソニンジン抽出物はマウスとサルにおいて高い抗マラリア活性をもつことがわかり、のちにこの活性をもつ実体がアルテミシニンであることを突き止めます。アルテミシニンはクロロキンに耐性のあるマラリア原虫の増殖抑制にも有効でした。アフリカだけでも、この薬剤で毎年10万人以上の命が救われていると推測されています。


さて、トウさんが研究のヒントにした『肘後備急方』ですが、マラリアの症状を治療するために書かれていた内容がなかなか面白い。前述のクソニンジンによる処方の他に、以下のようなものがあります。

鼠婦豆豉二七枚合搗令相和未發時服二丸欲發時服一丸


中国語で、しかも昔の文章なので解読するのがなかなか難しいのですが、この方面に強いむしマガの優秀なメンバーに翻訳をしてもらいました。ここで鼠婦はダンゴムシ、豆豉はトウチです。この一文を訳すと、次のようになります。

ダンゴムシとトウチ二七つを一緒につぶして混ぜる。症状がまだ出ないときはそれを二つ、症状が出始めるときは一つ服用すること。

 

トウさんはこの書物に書かれていた、このダンゴムシも調べた可能性があります。ダンゴムシを何十匹も採ってきて、ぐりぐりとすりつぶす。しぼりとったダンゴムシ・エキスをマラリアにかかったマウスに投与したものの、とくに目立った効果が得られなかったのかもしれない。


この他にも『肘後備急方』の同じページには「五月五日にニンニクの皮を使って〜」という記述もあります。「五月五日」と薬を摂取する時期をわざわざ指定しているのは、各臓器の機能が日周期や年周期をもつという伝統的中国医学の考えに基づいているためでしょう。


ちなみにこの『肘後備急方』を書した葛洪は医学者であり道教学者でもありました。「不老不死の仙人になるための方法」について書いた本もあり、今の時代の視点で見れば彼の言説の一部はトンデモに映りますが、少なくとも1700年前にクソニンジンにマラリアの症状を抑える何かが含まれていたことは見抜いていたわけで、大昔の人々の知恵には感嘆します。


人知れず眠っている古文書の中に、ブロックバスターの種がまだ転がっているのかもしれませんね。


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」314号「2015年ノーベル賞を振り返る」の一部です。

クマムシ博士のむしマガVol. 314【2015年ノーベル賞を振り返る】

2015年10月12日発行
目次

【1. はじめに】鶴岡生活

ずっとここに住むのであれば、やっぱり車は必需品ですね。アイニードアカー。

【2. むしコラム「2015年ノーベル賞を振り返る」】
日本人二人が受賞した2015年のノーベル賞。今回は医学生理学賞と化学賞を中心に、受賞内容を振り返ります。

【3. おわりに「クマムシトーク生放送」】
最近のニコニコ・クマムシチャンネルでの生放送には慶應の研究者たちに次々とゲスト出演してもらっています。

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