クマムシしか研究したくない教員と、アリしか研究したくない学生。
勇ましい姿の岩井くん
私が北海道大学大学院に進学した2002年、研究室の指導教員の東正剛教授の専門はアリの生態学でした。通常であれば、研究室の指導教員は自分の専門に関連したテーマを学生に与えるもの。でも、私はどうしてもクマムシしか研究したくありませんでした。
東教授は何も言わずに、こちらの好きなようにクマムシの研究をさせてくれました。このあたりの経緯は『クマムシ研究日誌』にも書いた通りです。
そして時は流れて2014年。私は慶應義塾大学で学生を指導する立場になっていました。そのときに一人の学部1年生を指導することになりました。
彼の名は岩井碩慶くん。小さいときから昆虫が好きで、大学に入る前からアリやハチといった社会性昆虫の研究をしていたといいます。高校時代には、学生向けのコンペティションでも賞をもらったりと、なかなかガチ度の高い学生です。
「アリの研究しかしたくない」。岩井くんは、そう主張していました。私はアリについては素人です。研究室の他の教員にも、アリについて明るい人はいません。
私は、岩井くんの指導をすることにしました。12年前に「クマムシしかやりたくない」といってアリの専門家に指導してもらった因果で、今度は「アリしかやりたくない」という学生の指導をすることになったわけです。
岩井くんは、トゲアリという種類のアリの研究をスタートさせました。トゲアリは、他種のアリの巣を乗っ取り、その巣にいる働きアリを奴隷として使う変わった生態をもちます(社会寄生という)。
ある日、山梨県の山中で友人らとトゲアリの調査をしていた岩井くんは、偶然、トゲアリの巣から、青みがかった珍しいアリスアブの幼虫を発見しました。
発見したアリスアブの幼虫。Iwai et al. (2016) Biodiversity Data Journalより。(CC BY 4.0)
これはおそらく、ケンランアリスアブとよばれる、アリの巣で生活する好蟻性のアブの種類だと推測されました。成虫のケンランアリスアブはその名の通り、メタリックで絢爛な輝きを放つ、美しいアブです。
ケンランアリスアブの成虫。Iwai et al. (2016) Biodiversity Data Journalより。(CC BY 4.0)
これまでに、ケンランアリスアブの成虫がトゲアリの巣の近くを飛び回るのは目撃されていましたが、本種の幼虫がトゲアリの巣の中から発見されたことはありませんでした。
岩井くんは、見つけたアリスアブの幼虫を持ち帰って飼育し、成虫まで育てることに成功しました。成虫は確かにケンランアリスアブのように見えました。しかし、岩井くん、そして私も、確信をもってアリスアブの種同定をすることはできません。
しかし、我々はラッキーでした。ケンランアリスアブの記載者で、この生物の第一人者が日本にいたのです。『昆虫はすごい』や『アリの巣をめぐる冒険』の著者で、ドキュメンタリーTV番組『情熱大陸』にも上陸経験をお持ちの、九州大学総合博物館の丸山宗利さんです。また、丸山さんの研究室にいる「裏山の奇人」こと小松貴さんもアリスアブに明るい。
岩井くんは以前から丸山さんと小松さんにコンタクトを取っていましたし、私も2013年のニコニコ学会β「昆虫大学サテライト:むしむし生放送」という一般向けのイベントでお二人と一緒に登壇したことがあり、個人的なつながりがありました。
さっそくお二人にメールでうかがうと、岩井くんが見つけたアリスアブはやはりケンランアリスアブで間違いなさそうとのこと。さらに研究の新規性もあるので、論文にもなりそうだ、とおっしゃっていただきました。
そこで丸山さんと小松さんに共同研究をお願いし、論文に必要なデータを取っていただいたり、アドバイスをいただいたりしながら、投稿論文の執筆を進めました。
そして2016年末、まだ学部生の岩井くんが筆頭で、オンライン科学ジャーナル『Biodiversity Data Journal』にケンランアリスアブの論文が無事に掲載されました。
これまでは学生限定のコンペなどでの入賞しか経験がなかった岩井くんにとって、国際科学ジャーナルへの論文投稿の経験はハードで堪えた部分もあったようでした。でも、学部生でこのような経験ができたのは非常にラッキーなこと。ぜひとも、この経験を今後につなげてほしいところです。
私としても、今回はクマムシ以外のトピックで初めて責任著者を担当(丸山さんと共同責任著者)し、なかなか勉強になりました。それにしても、もともとは一般向けのイベントでご縁ができた丸山さんや小松さんと、こうして共著で論文を出すことになろうとは、愉快な成り行きですね。
「アリしかやりたくない」と言う学生のお手伝いが、できたこと。「クマムシしかやりたくない」と言う私の指導をしてくれたアリ専門家の恩師に、14年の時を経て、ちょっとだけ恩返しができたような気がした2016年でした。
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