クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

STAP細胞のルーツは芽胞様幹細胞(スポアライクステムセル)だった

小保方晴子氏が沈黙を破って執筆した『あの日』を読みました。公式の調査結果などと異なり、若山照彦教授が不正を行った張本人であるかのように書かれていました。このあたりの小保方氏の主張の正当性についてはあえて論じませんが、個人的に印象的だったのが、STAP細胞研究のルーツがやはり芽胞様幹細胞(本文中ではスポアライクステムセルと表記)の概念だったということです。

論文を読んだ私の結論は、本当にバカンティ先生の仮説通りにスポアライクステムセルが全身の組織に存在し、幹細胞として全組織の修復や維持のために機能しているなら、「現在、存在が確認されている成体幹細胞をスポアライクステムセルから生み出すことができるのではないか」ということと、「スポアライクステムセルは各組織に特異的な細胞になる前の幼弱な性質を保持しているのではないか」ということだった。


小保方晴子著『あの日』


ここでは、この芽胞様幹細胞について2年前に執筆した私のむしマガの記事を転載します。


★★★


ここでは、STAP細胞研究のルーツになったと思われる「芽胞様幹細胞」(spore-like cells)について興味をもったので、紹介します。芽胞様幹細胞とは小保方さんの恩師であるハーバード大教授のチャールズ・バカンティさんらが発見したしている、体内に存在する芽胞(胞子)のような幹細胞です。


芽胞というのはクマムシの乾眠と似たような状態と考えてもらって差し支えありません。厳密にはちょっと違いますけどね。ただ、冬に見られるような昆虫の休眠(hibernation)とは全く異なります。芽胞は代謝ゼロで高ストレス耐性をもつ「仮死状態モード」というイメージです。


さて、小保方さんがSTAP細胞論文発表時の記者会見で語っていた中で、とても印象に残ったコメントがありました。

「単細胞生物にストレスがかかると胞子になったりするように、(多細胞生物である)私たちの細胞も、ストレスがかかると何とかして生き延びようとするメカニズムが働くのではないか。そういうロマンを見ています」


「生物のロマン見ている」小保方さん会見一問一答: 朝日新聞デジタル


ストレス耐性の高いクマムシを研究している僕やバクテリアの研究者なら、こういう発想はまだ理解できます。ただ、マウスなどのほ乳類を扱っている研究者の中で、このような考え方をする人はかなり稀でしょう。細胞にストレスをかけて細胞の初期化を起こそうとするアイディアも、きわめてユニークです。


そして、この小保方さんのアイディアのルーツを遡っていくと行き着くのが、「芽胞様幹細胞」という概念なのです。2001年、バカンティさんのグループはこの芽胞様幹細胞発見に関する論文を発表しています。



Vacanti MP, Roy A, Cortiella J, Bonassar L, Vacanti CA. (2001) Identification and initial characterization of spore-like cells in adult mammals. J. Cell. Biochem. 80: 455-460.


ちなみにこの論文の筆頭著者はバカンティさんの実弟のマーティン・P・バカンティさんです。


これまでに小保方さんやバカンティさんが各メディアに語っていたことを総合すると、小保方さんはバカンティさんの研究室でこの芽胞様幹細胞を単離する実験を繰り返し行っていたことが伺えます。そして、その研究の延長線上にSTAP細胞の研究があったようです。小保方さんの発言や考え方は、バカンティさんの生命科学観に大いに影響されていることが伺えます。


さて、この芽胞様幹細胞の論文を実際に読んでみて、僕はものすごい衝撃を受けました。STAP細胞以上の衝撃といっても過言ではありません。この細胞が実在すれば、ノーベル賞受賞に値するレベルの成果です。


本論文では、成体のほ乳類の体内から、きわめてストレス耐性が高い幹細胞が見つかったことを報告しています。ちなみに論文内では、驚くことにどの動物(および系統)を使ったかについての記述が無いので、ここでは何らかの「ほ乳類」として話を進めていきます。たぶん、マウスかラットだと思うんですが・・・。


さて、この芽胞様幹細胞には以下の特徴があります。


1. きわめて小さく、直径5ミクロン以下である(ヒト細胞は通常10ミクロン程度)。
2. 脳、皮膚、肝臓、筋肉、血液などあらゆる組織の中に存在する。
3. 各組織を構成する細胞に分化することができる。
4. 高温、低温、低酸素のストレスを受けても生き残る。


著者らは極細のガラス管を用いて各組織から細胞をとりわけて培養を試みたところ、極端に小さな細胞が存在することを確認しました。そして、培養開始から7~10日後には、この細胞がもともと存在した組織を構成する細胞に分化することを報告しています。肝臓から単離された細胞は幹細胞に、筋肉から単離されたものは肝細胞に、といった具合です。つまり、組織特異的に分化能が制限されているので、iPS細胞やSTAP細胞のように様々な種類の細胞に分化できる能力(多能性)をもつ細胞とは異なる可能性があります。


そして最も衝撃的なことは、85℃に30分間、あるいは-86℃に2ヶ月間さらされた後も、生き残り増殖したという部分です。この生き残った細胞も、培養していくと特定の種類の細胞に分化しました。著者らは、このストレス耐性の高さから、本細胞を「芽胞様(幹)細胞」と名付けたようです。


それにしても、よくこんなストレスをかける実験を思いついたものです。この発想自体がバカンティさんのユニークさを顕著に表していると思います。


確かに、クマムシなどは乾眠状態に入ると高温に耐えられます。とはいえ、それは乾燥することで初めて獲得できる能力です。体に含んだ通常状態のクマムシは、50℃ですらあっけなく死んでしまいます。また、一部の細菌や藻類は水を含んだ状態でも高温に耐えられます。しかし、これはその温度がかれらにとっての最適温度なので、我慢しているのではなく、心地よい状態にいるわけです。これらの生物を逆に常温など低い温度に移すと、増殖しなくなってしまいます。


芽胞様幹細胞はほ乳類の体内に存在することから、水を含んでいるはずです。生きた動物細胞が80℃以上の高温に耐えたとする報告例はありません。ほ乳類の体温が上述のような高温になったり低温になったりすることはないので、それらの環境に適応するような自然選択がなされることは考えられません。あくまでも理屈では、ですが。ということで、かなり不思議な研究論文だと感じました。


余談ですが、本論文の最後には「ギリシャ神話に登場する不死鳥フェニックスは、火の中に飛び込み焼かれて死ぬことによって生まれ変わる」という記述があります。バカンティさんは「分化した細胞がストレスによって生まれ変わる(初期化する)」というアイディアを、この論文が発表された2001年の時点でもっていたのかもしれません。実際に、バカンティさんはBBCのインタビューにも「(STAP細胞を作ったことにより)2001年から自分が提唱したことが証明された」と語っています。また、STAP細胞と芽胞様幹細胞は(芽胞様細胞に多能性は確認されていないものの)同一のものと認識していると語っています


ただし、当然と言えば当然ですが、研究者の多くは芽胞様幹細胞の存在についてはきわめて懐疑的な見方をしているようです。事実、この論文発表の後にこの細胞を確認した研究グループはありません。論文内でバカンティさんらは芽胞様幹細胞の培養に成功したことを記述しているので、この細胞株を他の研究者にも提供すればよいような気もしますが、何らかの理由(細胞が死滅したなど)で、それも難しいのでしょう。


そして、バカンティさんの研究グループですら、その後は芽胞様幹細胞を単離することがなかなかできずにいたようです。そんな中、小保方さんが研究室のメンバーとして加わり、ガラス管で細胞を採取する作業を通して、STAP細胞の研究に結びついたわけです。


※本記事は2014年2月28日発行のむしマガVol.228【STAP細胞研究のルーツ: 『芽胞様幹細胞』とは何か】の一部です。


追記:記事タイトルを変更しました。