クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

地上最強の動物クマムシと人類

体長1ミリメートルにも満たない小さな体に4対の肢をもち、宇宙空間に放り出されても生存できる生きもの。それが私の研究対象、クマムシである。



ヨコヅナクマムシ (写真: 堀川大樹・行弘文子)


クマムシは緩歩動物とよばれる分類体系上のグループに属しており、これまでに1000種類以上が知られている。クマムシのすみかは種類ごとに異なり、バラエティに富んでいる。


熱帯雨林の樹表にへばりついているもの、南極の氷河にできた水たまりに潜んでいるもの、深海の砂底に埋もれて過ごすものまでいる。陸に棲む種類のクマムシは乾燥すると仮死状態になり、極限的ストレスにさらされた後も、吸水すると復活する。



ヨコヅナクマムシの脱水と再吸水後の復活の様子(撮影:堀川大樹)


私たちの身近なところ、例えば、駅前の駐車場の隅っこにちょこんと生えた干からびたコケなどにも棲んでいる。日本国にあまねく存在する八百万の神々と同様、いや、それ以上に、クマムシはいたるところに存在しているのだ。


私がクマムシの研究を始めて、今年で12年目になる。クマムシの研究に着手した当時に比べ、最近では、この生きもののことを知る人もにわかに多くなってきた。


絶対零度近くの超低温、人の致死量の1000倍の線量の放射線、水深7500メートル地点の水圧の100倍に相当する高圧、そして宇宙空間の超真空。地球上の自然界ではまず遭遇しえないこれらの極限的環境ストレスにさらされても生存できるクマムシ。


その無駄にハイスペックなクマムシの特殊能力が、中二病を患う人々の心をわしづかみにして離さない。かくいう私も、かれらのもつその鋭利な爪で心臓をえぐり取られた一人である。


日本では、外国に比べてクマムシファンが圧倒的に多くいる。なぜか。それは、クマムシが強いだけでなく、可愛いからである。「強いものは可愛くあるべきだ」という日本人の美徳を考慮すれば、クマムシは愛されるべくして愛されているのだ。そう、鉄腕アトムや谷亮子が愛されたように。


かれらは、赤んぼうのようなむくむくとした体驅で、短い肢を小刻みに動かしながら水の中を歩行する。そのか弱く愛くるしい仕草からは、かれらが宇宙空間という超劣悪環境にも耐えられるとは、とても想像できない。スーパーマンやアーノルド・シュワルツネッガーから如実に読み取れる公式、つまり、強さと男性臭漂うルックス度は絶対的に相関するという観念をもつアメリカ人には、クマムシのもつギャップに萌えを見いだすことは不可能なのである。


クマムシが日本の若者から支持を集めるようになったのは、社会的背景にも一因がある。ゼロ年代、努力すれば将来が報われるという価値観が完全に崩壊した。これにより、「成功するために何かを頑張る」といったスローガンは現実味を帯びず、現代の若者はほどほどに自分の好きなことをするか、あるいは何もしないという道を選んだ。


しかし実のところ、これは諦めから派生した受動的な選択にすぎない。夢は追いかけるもの、大きなことを成してこその人生、という一握りの勝ち組によって押し付けられたイデアは、大脳皮質深部でマーチングバンドと化して行進し、時折彼らを苦しめる。自身に対する後ろめたさ――小学校のプールで泳いでいて鼻に水が入ったときの、あのつんとした感じ――を引きずり、息をひそめるようにして生きているのが、現代の若者なのである。


そんな彼らの前に現れた、目的もなく、努力することもなく、動物界最強という称号を手にしているクマムシという存在。そんなクマムシに、若者たちはファンタジィを、そしてある種のカタストロフィを感じる。彼らがクマムシに抱く感情は、もはや信仰に近い。


そこで私は、クマムシのもつ属性を抽象化、記号化した。若者たちが取り戻すことのできなかった、心のかけらと相同なピースを作るために。こうして誕生したのが、イマジナリィ・キャラクタァの「クマムシさん」である。



クマムシさん (イラスト: 阪本かも)


現在クマムシさんは、ウェブ上を中心に若者の救済活動に勤しんでいる。「ストレスに耐えるコツ、それは鈍感になることさ」と語りかけながら。


クマムシが救済する対象は、何も日本の若者だけではない。その対象は、全人類に及んでいる。人間がクマムシの小さな体に秘められたマシィナリィにあやかることで、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)をドラスティックに向上させることが期待できるのだ。


クマムシは過度の乾燥曝露や放射線照射に耐えられるが、これらのストレスは通常、DNAやタンパク質といった生物の構成要素を破壊あるいは変質させ、最終的には死をもたらす。つまり、クマムシにはストレスからDNAやタンパク質を護ったり、これらが傷ついても癒すメカニズムを備えているはずである。


DNAやタンパク質の損傷は老化や疾病の原因と考えられているため、クマムシの体制メカニズムを導入することにより、ヒトのアンチ・エイジングや病気の治療を行うことができるかもしれないのだ。


私の研究の最終ゴールは、クマムシの乾燥耐性能力を応用し、どんな生物でも生きたまま乾燥状態にする技術を確立することである。この技術は、生肉や生野菜などの生鮮食品や移植要臓器の乾燥保存も可能にするだろう。もちろん、人体そのものの乾燥保存も。


長年にわたる宇宙旅行をドライスリープ(乾眠)で過ごし、目的地の惑星に到着するときにはインスタントヌードルと同様に水を吸って眠りから覚めることができるのだ。


インスタントヌードルを発明した日清食品創業者の故安藤百福は「人類は麺類」と言った。



そう、人類はクマムシと融合し、文字通り麺類に進化するのだ。乾燥状態で生命を保ったまま悠久の時を過ごし、水で潤えばいつでもしなやかに蘇る、あの美しい麺類に。



(本記事は思想雑誌「kotoba(コトバ)」2012年07月号に掲載された「地上最強の動物クマムシと人類」を一部加筆・修正したものです)


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