クマムシを研究対象に選んだ理由
本エントリは4月創刊のクマムシメールマガジン「むしマガ」創刊前第0号に掲載されたコンテンツを転載したものです。
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クマムシトリビア その0
読者からのクマムシにまつわる様々な疑問に対して堀川が回答します。
◆質問:クマムシ以外にもワムシ、センチュウ、ネムリユスリカなど乾燥に耐えて生き延びる動物がいますが、乾燥や極限環境に強い生物としてはクマムシが圧倒的に有名で広く知られているように思います。これは何故なのでしょうか?やはりクマムシの耐性が圧倒的に高いために注目されていて、研究例も多いからなのでしょうか?
◇回答:はい、これは大変いい質問ですね。おっしゃるように体内から水分を失っても耐えられる動物、つまり乾眠動物は、クマムシ以外にもいます。確かにクマムシは乾眠動物の中でも比較的高い耐性を持っています。
そして、この他にクマムシが耐性動物の代表として良く取り上げられる主な理由としては、他の動物に比べて容姿のインパクトが強いことがあげられます。
さて、乾眠動物の中から適切な研究対象を"合理的に"考えて選ぶとしましょう。この時に研究対象を選ぶ基準となるのは、「耐性の高さ」と「実験生物としての扱いやすさ」となります。とりわけ、「実験生物としての扱いやすさ」は重要な要素です。もしある生物が実験室下で培養できなければ、その生物を使った実験はかなり制限されたものになってしまうからです。
では、研究に良く用いられる主な乾眠動物を以下に見ていきましょう。
・センチュウ (Panagrolaimus属)
耐性の高さ ★★★
実験生物としての扱いやすさ ★★★
センチュウではPanagrolaimus属のセンチュウが研究ではよく用いられます。Panagrolaimus属の中でも南極に棲むPanagrolaimus davidiが良く知られています。
このセンチュウは急速な脱水にも耐えることができ、高い乾燥耐性を示します。さらに凍結にも強く、細胞内の水が凍結しても生存できます。凍結に耐えられる動物でも、そのほとんどが細胞外での凍結のみに耐えられるだけで、細胞内凍結すると死んでしまいます。Panagrolaimus davidiがいかに高い耐性をもっているかが分かると思います。
さらに、Panagrolaimus davidiは大腸菌を食べて増えます。モデル生物のセンチュウCaenorhabditis elegans(通称シー・エレガンス)とほぼ同じ方法で培養できるので、実験上の扱いも簡便です。乾眠動物の中で研究対象として選ぶとしたら、このセンチュウは非常に適した生物種といえるでしょう。
センチュウでは他にAphelenchus avenaeも乾眠の研究に使われています。
このセンチュウは乾眠能力が比較的低く餌も真菌類なため、大腸菌を食べるPanagrolaimus davidiに比べると培養もちょっと面倒な部分があります。ただ、割と古くからこのセンチュウに関する研究が行われているために知見が集積されており、今でもこのセンチュウを乾眠動物のモデル生物として扱っている研究室がいくつかあります。
・ヒルガタワムシ (Philodina roseola)
耐性の高さ ★★★
実験生物としての扱いやすさ ★★☆
ヒルガタワムシの一種、Philodina roseolaも高い乾燥耐性が知られています。
ヒルガタワムシはクマムシと同様、乾いたコケからよく見られます。クマムシを見つける目的で採集したコケをシャーレの中で水に浸けると、クマムシよりもはるかに多くの数のヒルガタワムシが見つかったります。
その高い乾燥耐性の他、放射線にも強い事が最近報告されています。5000Gyのガンマ線を照射されてもほとんどの個体が生存できます。
培養方法は水槽に大腸菌を餌として加えるというシンプルなものです。ただし実際に培養している研究者の話を聞くと、ヒルガタワムシは増えたと思ったら急に死滅したりと、あまり培養系は安定していないようです。
・ネムリユスリカ(Polypedilum vanderplanki)
耐性の高さ ★☆☆
実験生物としての扱いやすさ ★★☆
ネムリユスリカはアフリカの半乾燥地帯に生息するユスリカの一種。つくば市の農業生物資源研究所で研究が精力的に行われています。
ネムリユスリカが乾眠能力を発現するのは、幼虫の時期のみに限られます。また、幼虫をいきなり乾燥ストレスにさらすと死んでしまいます。乾燥の前に湿度100%の環境に一定期間置いてからでないと乾眠状態に移行できないため、乾燥耐性はそれほど高くありません。
飼育方法は他の種類のユスリカと似た方法で可能ですが、飼育には割と広い空間が必要で、スペースが限られる研究室では難しい面があります。
しかし、ネムリユスリカの幼虫は体長が最大で8mmほどにもなり、他の乾眠動物(せいぜい1mm程度)に比べるときわめて大型です。クマムシや他の乾眠動物では、分子生物学的な実験のために数百から時には数千もの個体を使う必要がありますが、ネムリユスリカではせいぜい数十匹もあれば十分に精度の高い解析を行うことがが可能です。また、比較的発達した複雑な組織や器官を持つため、組織を摘出して乾燥耐性を調べることにも適しています。
・ヨコヅナクマムシ (Ramazzottius varieornatus)
耐性の高さ ★★★
実験生物としての扱いやすさ ★☆☆
さて、最後に我らがヨコヅナクマムシです。
これまでに、いくつもの種類のクマムシが様々な極限環境に耐性をもつことが示されてきました。宇宙空間(真空+紫外線)に暴露されて生きられる事が判明した動物も、クマムシが初めての例として知られています。
これからこのメルマガで幾度となく紹介していくことになるこのヨコヅナクマムシについても、乾燥、放射線、凍結、真空などにおいて高い耐性をもつ事が私たちの研究で明らかになっています。
難点は培養効率があまり優れていない事です。耐性をもつ他の種類のクマムシと比べると格段に培養が容易なのですが、上に挙げた他の乾眠動物に比べると増えにくいという欠点があります。餌もクロレラ工業株式会社の「生クロレラV12」という銘柄のクロレラしか食べません。
ということで、「耐性の高さ」と「実験生物としての扱いやすさ」を基準にして"合理的"に判断した場合、ヨコヅナクマムシは培養効率が良くないため研究対象としてはあまり適していないように思われます。
それでは、なぜ私はそれでもこの生き物にこだわって研究対象にしているのでしょうか。
それは、クマムシがカッコ良くてかわいいからに他なりません。
そこで、研究対象を選ぶ基準に「研究対象としての魅力」も含めると、
耐性の高さ ★★★
実験生物としての扱いやすさ ★☆☆
研究対象としての魅力 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
と、こんな感じになるのです。これはサイエンスの合理的な判断の外にある、「好きかどうか」の問題です。私以外のクマムシ研究者も、こういう理由であえてクマムシを研究対象として選んでいると思います。
というわけで、クマムシが耐性動物の中で圧倒的に有名な理由は「カッコ良くてかわいいから」というのが結論になります。センチュウとかワムシの風貌からは、インスピレーションを感じません。かれらと毎日付き合っていけるだけのモチベーションは沸きません。
研究対象から本能的にインスパイアされるかどうかというのも、研究対象を選ぶ上では大きな要素になるのです。少なくとも私は。
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本エントリの続きは4月創刊のクマムシメールマガジン「むしマガ」(月額840円・初月無料)で連載します。