クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

日本のアカデミアの将来はきっと明るい

博士は就職するのが大変だ、という話はアカデミアの外にいる人も良く耳にするほど、博士号取得者の就職難は常識として認知されるようになってきました。これは、政府による大学院重点化によって大量の博士が生み出され、大学や研究機関の限られた専任ポストに就くのが以前と比べてより一層難しくなったためです。需要に対して供給が超過剰状態になっているのです。


専任のポストに就くのがどれだけ大変なのかは、下の記事に詳しく書かれています。この記事は文系向けに書かれていますが、理系にもほぼそのまま当てはまる内容です。


文系の研究者になりたい人達に知っておいてほしいこと: bluelines


専任ポストに就かない(就けない)博士の多くは、1~5年間くらいの任期付ポスドクや非常勤講師などをしています。中には、研究生、いわゆるオーバードクターとして研究室にお金を払って籍を置く博士もいます。研究生の多くは、アルバイトなどをして生計を立てています。


博士号取得後に民間企業に就職する人もいますが、ポスドクなどを経験した人が民間企業に就職するのはなかなか難しいのが現状です。つまり、博士号取得後にいったんアカデミアの世界に足を突っ込むと、終身雇用のポジションを得るチャンスはかなり限られてきます。


2002年度に博士課程を終了した直後にポスドクになった人達のうち、5年後に専任のポストを得ていた人は23.6%でした。一方で、まだポスドクを続けていた人が23.1%、不明が34.2%になっています。ポスドクの数は2004年の15000人から2008年には18000人に増加しています*1。それに対して専任ポストの公募数は増えておらず、限られた椅子をめぐって博士取得者同士の競争はますます激化していると言ってよいでしょう。


アカデミアの世界の専任ポストを狙う現在の博士号取得者や博士号取得予定の大学院生には、安定した将来が保証される可能性は少ないでしょう。私自身もポスドクという身分であり、まさにその中の一人です。


博士号取得者の就職難は社会問題として注目されるようになり、高学歴ワーキングプアホームレス博士といった書籍も出版されてきました。大学院博士課程に進学するのは自殺行為だ、と言う人もいます。


このような流れの中、博士課程入学者の数は2003年をピークに減少傾向にあります*2。博士号を取得する行為に大きなリスクがあると考えた、ある意味賢明で常識的な学生が、博士課程進学という道を選択しなくなったためでしょう。この傾向も、しばらく続くのではないかと思われます。


以上のことをまとめてみましょう。現在はアカデミアの世界では研究職の専任ポストの数に対して博士号取得者あるいは博士号取得予定者の数が超過剰になっている。そして、博士課程への入学者数は減少している。


私は、この状況を考慮すると、日本のアカデミアの未来はとても明るくなると思っています。


まず、これはすでに顕著に見られていることですが、若手の専任研究者のレベルが非常に上がっています。博士号取得者増加に伴う競争の熾烈化により、研究職の公募への応募者の研究業績がハイパーインフレ状態になっているため、現在では突出した業績をもつ博士号取得者のみが、専任研究職のポストを得ることができます。


現在、助教のポストを得るような人達は、そこの大学の同じ研究室の教授よりも多くの業績をもっていることも珍しくありません。学術振興会特別研究員のポスドクでも、受け入れ先研究室の研究室主催者よりも多くの業績を持っていることもあるくらいです。


つまり、日本の研究者のレベルは優秀な若手研究者を中心として間違いなく上がっているのです。これらの若手研究者たちが研究室を主催する頃には、今よりも量、質ともに上回る研究成果が日本から生まれていることでしょう。


また、博士課程入学者の数が減少していることも良い材料です。2003年までは、大学院重点化の影響で博士課程への入学者数が増加し続けていました。大学院入試での合格基準がゆるく、将来のリスクを知る機会も今ほど無かったため、本来研究者に向かないような学生までが博士課程に入学していました。


これにより、教官一人当たりが指導する学生数が多くなり、指導効率が悪くなっていました。また、やる気のない学生が研究室に多くいることで、研究室の環境を悪化させるなどの弊害もあったでしょう。


本来、アカデミアの研究者になるのを目指して博士課程に進学してもよい学生というのは、「どこか感覚がずれている人」なのです。一言で言えば、変わった人です。


博士号を取得しても、専任の研究ポストに就ける可能性が低いのはいつの時代でも同じです。そして、今はその難度たるや、過去最高レベルです。


博士課程に進学しようという学生ならば、過去のデータから、研究者になるのがどれだけ難しいかを判断できるだけの頭脳を当然もっています。それでも進学するというのは、自分が優秀で将来は研究者になれると信じている人が多いからです。これは、起業したほとんどの会社が潰れるという事実にも関わらず、それでも起業をする起業家のアニマルスピリットと通じる部分もあると思います。その他にも、とにかく研究が好きでそれしかやりたくない人、自分の研究で世の中を変えたい人、教授になって他人から偉いと思われたい人、サラリーマンやOLのような服装をしたくない人、などなどのタイプがあります。


私の場合、小さい頃は虫と自然が好きで、会社員にはなりたくないと思っていました。大人になっても、満員電車に乗ったり朝早く起きなくてはいけない職業は向いていない、と感じていました。修士課程にいる時は、博士課程に進むか少し迷いましたが、結局、就職活動もしなかったので、流れで博士課程に進みました。もちろん、クマムシというあまり研究されてない生き物を研究することに、やりがいを感じていたのも大きかったのですが。


いずれにしても、あまり現実的な将来設計をせず、「好き」「嫌い」を重要視し、まったく経済的に価値がなく将来のつぶしもきかない「へんないきものの研究」を続けることを選んだわけです。やっぱりどこかネジがはずれているのです。同世代の知り合いの博士号取得者にも、バッタを追いかけてアフリカに移住したり、ボルネオのジャングルで天狗みたいなサルを追いかけている(世間では)変わり者がいます。


今後は、そんな変人達のみが博士課程に進学する少数精鋭の大学院教育に変わっていくでしょう。変人密度の高い研究室では、世間とは隔絶されたユニークな環境が創出され、互い切磋琢磨をすることで研究室の活性も上昇するでしょう。このような研究室の環境は、かつて著名漫画家たちが集まっていた「ときわ荘」のような環境と似ているかもしれません。


そして、そんな少数精鋭のポテンシャルの高い大学院生達を指導するのは、熾烈な競争を勝ち抜いた優秀な若手研究者たちです。優秀な教官に指導を受ける優秀な大学院生。まさに理想的なマッチングです。優秀な研究者が生み出され続ける循環システムができそうです。


昔は、博士課程を終了する前に同じ研究室の助手として採用されるという、今では考えられない事例も多くありました。私が学部時代に在籍していた大学には、これまでに出版した審査付き論文が博士号取得時に出した1報だけという教員も何人かいました。そんな教員の研究室に入った大学院生は悲惨でした。指導教官に研究能力が無く、論文作成の指導もできないので、いつまでたっても博士号を取れず、結局ドロップアウトしてしまう人もいました。


しかし、これからは違います。優秀な研究者と優秀な大学院生で占められる大学の研究室。10年後の日本のアカデミアがどうなるか、楽しみです。


【参考資料】

博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? 榎木 英介 著


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