クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

バッタに憑かれた男


Image credit: Kotaro Ould Maeno


サバクバッタという、砂漠に生息する巨大バッタがいる。このサバクバッタ(Schistocerca gregaria)は、主にアフリカから中東およびアジアにかけて度々大発生し、穀物に甚大な被害を与える害虫である。



Image credit: Kotaro Ould Maeno


サバクトビバッタには、相変異という興味深い現象が見られる。かれらは、個体密度が低い環境では孤独相とよばれるモードになっている。しかし、個体が密集した環境で生育すると、その子どもは親に比べて飛翔力に優れた形態をもち、群れを作るようになる。体色も、緑色から褐色へと変化する。このモードは、群生相とよばれる。この群生相になったバッタの大群が、1日に100km以上もの距離を移動し、農作物を食い荒らすのだ。



孤独相(上)と群生相(下)のサバクトビバッタ Image from Wikimedia


下の動画は、群生相のサバクトビバッタのマーチング行動である。



私の友人に、このサバクバッタにとり憑かれた男がいる。

彼の名は、前野・ゥルド・浩太郎。

私は大学院生の時、つくばのとある研究所でクマムシの研究をしていた。その研究所で、彼はサバクバッタの研究をしていたのだ。

私たちは同じ実験室で、それぞれの作業をしていた。他の研究員らが皆帰った後、2人だけが残り、深夜まで作業をしていた日も少なくなかった。

前野氏は、とにかくサバクトビバッタを愛していた。ただ、サバクトビバッタに対する彼の愛情は、私の目には常軌を逸しているように映った。

彼は、サバクトビバッタの脱皮後の抜け殻を毎日のように集めてはプラスチック容器に保管していた。それは、研究のテーマとは関係のない作業だった。抜け殻の入った容器は、段ボール6箱分ほどはあったと記憶している。

彼曰く、サバクトビバッタの抜け殻は、形も色も匂いも「たまらなくセクシー」なのだそうだ。私には良く理解できなかったが、おそらく女性モノの下着の収集癖がある男性の心理に近いものだと推測される。

また、ある日の午前1時頃、私と彼は、いつものように実験室で黙々とそれぞれの作業をこなしていた。私はクマムシの飼育の世話を、彼はサバクトビバッタの抜け殻を入れる容器を洗っていた。

作業中に突然、前野氏は奇声を発した。私は驚きのあまり、もう少しでクマムシをガラスピペットで潰してしまうところだった。

奇声を発して数秒の沈黙の後、彼は「気持ちいい・・・、気持ちいいー!」と続けた。バッタの抜け殻の容器を洗うことが気持ちよく感じるほど、彼はバッタのことを愛しているのだ。

なぜこれほどにまで、彼はサバクバッタに異常なまでの愛情を示すのだろうか。

きっかけは、こうだ。彼は幼い頃、大発生したサバクバッタに観光客の女性が食べられてしまうという何ともむごい話を聞いた。その時以来、大発生するサバクバッタに壮大なロマンと、いつか自分もバッタに食べられたいという異常な願望を抱くようになった。

バッタに捕食されるためには、バッタの研究者になるのが近道だ。学部、大学院と昆虫学を専攻しサバクバッタの研究に携わり博士号を取得、バッタ博士となった。

そして、2011年からは念願のサバクバッタの聖地であるアフリカのモーリタニアに、博士研究員として赴任した。前野氏のミドルネームである「ゥルド」は、現地で授けられたものだ。

そしてモーリタニアで、彼はバッタになった。



サバクバッタは、緑色のものを穀物と勘違いして見境なく食い尽くす習性がある。そこで、かれらに補食してもらうため、自ら緑色のバッタに変態したのだ。実は、先ほど話に出てきた、サバクバッタに食べられた女性も、緑色の服を着ていた。

研究者の中には、好奇心と狂気の狭間で生きる者が少なくない。しかし、前野氏の場合は、自らの生命を投げ出すことをゴールに設定している。

そして、そのゴールは、もうすぐそこまで近づいているのだ。それは、私が一人の大切な友人を失う日が近いことも意味している。


【関連記事】

バッタの大群: 砂漠のリアルムシキング

孤独なバッタが群れるとき


追記1 [2011.11.22]
前野氏が自身のブログで、本記事に対しレスポンスをしてくれました。私のことについても書いてあります→砂漠のリアルムシキング: 他人の瞳に映った自分の姿

追記2 [2011.11.25]
前野氏の自身のブログで、さらなる反論をいただきました。

逆襲のハカセ: 砂漠のリアルムシキング

これに対し、私からの謝罪記事を掲載しました。

バッタ博士の前野氏に関する前回記事のお詫び


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クマムシ博士の「最強生物」学講座ー私が愛した生きものたちー