クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

Newtonにクマムシゲノムに関する記事が出ました

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今月発売されたNewtonのクマムシの記事について取材協力しました。先日発表されたクマムシへのDNA水平伝播に関する論文と、それに対する疑義についての内容です。


Newton(ニュートン) 2016年 02 月号 、「「クマムシに大量の外来遺伝子」に疑問の声」


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「クマムシに外来遺伝子17%」は真実か

ナショジオ『クマムシ観察絵日記』三十一話〜四十話

ナショジオで隔週にて連載中の『クマムシ観察絵日記』、連載を重ねるごとに認知度も上がっているようで、イベントなどで感想をいただく機会も増えてきました。


クマムシ観察絵日記: ナショナルジオグラフィック日本版公式サイト


ここでは四十話までをダイジェストで紹介したいと思います。


第31回 全米が泣いた?!『クマムシの恋人』
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こんな恋人は嫌だ。


第32回 クロレラとクマムシ
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ヨコヅナクマムシ登場。


第33回 浪費家の恋人に貢げ
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ヨコヅナクマムシはお金のかかる女子。


第34回 手放せない緑の絨毯
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爪が!


第35回 さよなら絨毯
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秘策。


第36回 女子会好きなヨコヅナ
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集まるのが好き。


第37回 目に焼き付ける、クマムシの色。
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成長のしるし。


第38回 天空のインベーダー
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困ったやつら。


第39回 ヨコヅナの強さ
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横綱たる所以。


第40回 透明ドレスのひみつ
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めずらしい現象。


以上、第四十話まで。連載はまだもう少し続くので、どうぞよろしくお願いします。


クマムシ研究日誌のほうもよろしくどうぞ。


クマムシ研究日誌: 地上最強生物に恋して


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ナショジオ『クマムシ観察絵日記』二十一話〜三十話

サイエンスZEROのプレゼンスタジアム2015で優勝しました

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2015年12月20日と12月27日に放送されたNHK教育「サイエンスZERO」の「教えて!生命の不思議 プレゼンスタジアム2015 」でクマムシのプレゼンを行い、優勝しました。事前投票をしていただいた皆様、会場で投票していただいた皆様にはこの場を借りて御礼を申し上げます。他のプレゼンターの方々のプレゼンも面白く、私が優勝したのはクマムシが魅力的な生きものであること、巨大クマムシさんにも登場してもらったこと、そして運がよかったことによるものだと思っています。またいつか「サイエンスZERO」のスタジオにお邪魔することになっていますが、その時はまた見ていただければ幸いです。

2016年の元旦に「クマムシ24時間生放送」をします

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2016年の元旦には「クマムシ24時間生放送」をニコニコのクマムシチャンネルで放映します。


【24時間】お正月だよ!地上最強生物クマムシ生中継!:クマムシチャンネル


もちろんクマムシ博士の解説付き。運がよければクマムシの産卵や孵化のシーンなども見られるかもしれません。2016年の年初めはクマムシできまり。

クマムシ研究所を設立しました

このたび、クマムシ研究所を設立しました。


クマムシ博士のクマムシ研究所
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クマムシ研究所では所員とともにクマムシ研究を推進し、人類が共有する科学的知見の集積に貢献することを目標とします。原則として、会費(月額2000円(学生は500円))を払えば誰でも所員になれます。「研究所」と銘打っていますが、研究所の物質的な建物は今のところはありません。クマムシ研究所は、オンラインを主な場として活動するバーチャルな研究所です。具体的にはFacebookグループ上で所員たちとディスカッションを行い、オフラインで勉強会やお茶会を開きます。


ここでちょっと、クマムシ研究所設立の背景を。


もともとは、科学研究の世界におけるプロとアマチュアの境界は曖昧なものでした。グレゴール・ヨハン・メンデルや南方熊楠は大学や研究所に所属する研究者ではありませんでしたが、優れた研究業績を残しています。しかしながら、その後の科学研究の発展に伴い、未解明の謎の多くはハイテクを駆使しなければ解けないものとなりました。高価な機器や試薬を入手するには、大きな資本が必要です。必然的に科学研究の場は大学や研究所に限られ、在野の研究者は急速に姿を消していきました。


しかし、昨今のITの発展やDIY指向も相まり、再び在野研究者が活動するための材料が手に入るようになってきました。SNSなどを通じて科学クラスタも形成されやすくなり、ニコニコ学会や昆虫大学などのイベントも口コミで盛り上がるようになりました。むしマガでも中学生クマムシ博士がいつも熱心にクマムシ実験の結果を報告してくれるし、メルマガという媒体以外にも、クマムシ研究活動を遂行するためのより適した場のニーズも高まっていました。バーチャルな研究所を作るための動機がいくつも出てきたのです。


アメリカでは今、研究者と非研究者が一体となって研究を進めるオープンサイエンスのムーブメントが起きています。そこでは、オンラインとオフラインを組み合わせて研究を進めるスタイルが定着しつつあります。研究資金を一般人から集めるクラウドファンディング、研究活動をプロ・アマチュアの垣根を越えて共同で進めていくオンラインコラボレーションやバイオハッカー活動、などなど。科学研究が研究者の世界だけのものではなく、皆んなのものになる。つまり、現在進行形で科学研究の民主化が起きているわけです。


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バイオハッカースペースBiocuriousの様子。写真提供:Eri Gentry

 
アカデミアもだんだんと基礎研究をやりづらい場所になってきているし、大学の外に研究の場を作ってもよいのではないか。ここ1〜2年、そんなことを考えていたました。そして、オンラインサロンプラットフォームの方からサロン開設のお話をいただき、クマムシ研究所の設立へと至ったのです。


このクマムシ研究所、どんな場所になるのかを改めて整理すると、以下のようになります。


・研究所単位および個人単位でのクマムシ研究プロジェクトの実施とサポート。
・科学ニュースに関する解説やコメント。研究所メンバーの投稿も大歓迎。
・進路、キャリアに関する相談。
・セミナー。研究進捗状況、ゲストを迎えてのトークなどもあり。
・クマムシ採集・観察会、飼育実習会の実施。


このように、研究活動から雑談までバラエティに富んだ内容になっています。研究プロジェクトについては、ゆくゆくは国際クマムシ学会での発表や、国際科学雑誌への論文掲載を目標とします。論文の著者にはクマムシ研究所の所員たちの名前が入り、もちろん所属先としてクマムシ研究所(Tardigrade Research Institute)も明記されます。考えただけでワクワクします。研究所は、研究活動だけでなく、いろんな意見が自由に飛び交う楽しい場にもしたいですね。


クマムシ研究所では第1期として、まず30名を募集しています。将来的に人数が増えてきたら、都内のどこかにリアル研究室を借り上げて、皆が集まってクマムシ実験を行えるような場になるといいなぁ・・・なんて考えています。


ぜひ、みんなでクマムシ研究所を育てていければと思っています。


クマムシ博士のクマムシ研究所



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「クマムシに外来遺伝子17%」は真実か


クマムシは緩歩動物門を成す動物群である。系統上は節足動物や有爪動物(カギムシ)に近いとされているが、まだこのあたりの議論は続いている。クマムシは高い乾燥耐性やその他の環境耐性をもつ。クマムシの系統上の位置や環境耐性メカニズムを知るためにも、本生物のDNAに書き込まれた遺伝情報を調べることは必須である。私たち日本のクマムシ研究グループは、クマムシのなかでも*1とくに高い耐性をもつ種類のヨコヅナクマムシのゲノム解析を進めてきた。


・ノースカロライナ大学の研究グループによる報告


そんな中、2015年11月23日にアメリカのノースカロライナ大学の研究グループがクマムシのゲノム解析に関する論文を発表した。


Boothby et al. 2015. Evidence for extensive horizontal gene transfer from the draft genome of a tardigrade. PNAS (Early Edition)


ノースカロライナ大の研究グループが用いたのは、ドゥジャルダンヤマクマムシという種類。このドゥジャルダンヤマクマムシ、もともとはイギリス・ボルトンの池の底から採集されたものだ*2。イギリスのScientoという会社は、このドゥジャルダンヤマクマムシの系統を通信販売している。本種は入手しやすく、緑藻類を与えることで容易く増やせる。
 

ドゥジャルダンヤマクマムシのゲノム解析結果は驚くものだった。このクマムシのDNA上にある全遺伝子38,145個のうち17.5%にあたる6,663個が他の生物に由来するものだったと結論づけていたのである。DNAは基本的に親から子へと受け継がれるが、他生物のDNAが入り込み定着することもある。他生物からの外来DNAが取り込まれることは水平伝播とよばれ、とくに珍しいことではない。今回の報告で驚いたのは、取り込まれたとされる外来遺伝子の割合である。動物ではゲノム中の外来遺伝子の割合はおおむね2%以下であり、これまでで最も高い割合で外来遺伝子をもつことが報告されていた、乾燥耐性をもつヒルガタワムシでも、9.6%だった*3


ドゥジャルダンヤマクマムシが取り込んだとされる外来遺伝子のうち、9割は細菌に由来するもので、他には古細菌、植物、カビ、ウィルスに由来するものもあった。これを模式的に表すと、以下のようになる(図1)。クマムシのDNAの中に、細菌に由来するDNAが入り込んでいることがわかるだろう。


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図1. ドゥジャルダンヤマクマムシのDNAに入り込んだ細菌DNA


これらの外来遺伝子の中にはDNA修復酵素や抗酸化にかかわる酵素をコードする遺伝子も含まれており、ドゥジャルダンヤマクマムシが他生物種から取り込んだこれらの遺伝子を使って環境耐性能力を高めているのではないか、と著者らは主張している。乾燥はDNA鎖切断や酸化を引き起こすため、これに対抗する手段として、外来遺伝子の産物であるこれらの酵素が役立っているかもしれない、というわけだ。さらに著者らは、ドゥジャルダンヤマクマムシが乾燥する際にDNA切断と修復が繰り返される過程で、外来DNAが取り込まれたのではないかと推測している。


・やや無理のある論理構成


私がこの論文を読んで、最初にこう思った。著者らの説明の仕方がやや誠実さに欠けているのではないか、と。


まず、上述したように、このドゥジャルダンヤマクマムシの系統は水辺に住んでいたものである。つまり、ほとんど乾燥しない環境に住んでいたわけで、乾燥による選択圧をうけにくい。実際に、ドゥジャルダンヤマクマムシの乾燥耐性はあまり高くなく、非常にゆっくりと乾燥させないと仮死状態(乾眠)に入れずに死んでしまう*4。本種の乾燥耐性やその他の耐性を調査し報告した論文も、まだない。


それにもかかわらず、著者らはあたかもドゥジャルダンヤマクマムシが一部のクマムシ種と同様に高い乾燥耐性や環境耐性をもっているかのように、論文上で議論している。クマムシの強さを説く上で引用している論文は、私たちのものも含めて耐性が高い他種のクマムシを研究したものである。世間一般、そして、クマムシが専門ではない生物学者が抱く「クマムシ=強い」というイメージを使い、あえて読者がミスリードするような論理展開をしたと思われかねない書き方なのである。


ちなみに著者らは、ヨコヅナクマムシの紫外線耐性を解析した私たちの論文を引用して「クマムシでは放射線でDNA二重鎖切断が起こる」とも書いてあるのだが、我々の論文ではそのようなことを示していない*5。私たちは紫外線照射でクマムシのDNA上にできたチミン二量体しか解析しておらず、DNA鎖が切断されたかどうかは解析していないので、ちょっと不適切な引用をしているのだ。


いずれにしても、ドゥジャルダンヤマクマムシは乾燥をあまり経験しないので、乾燥に起因したDNA切断とその修復によって外来DNAが頻繁に取り込まれることは考えにくい。本種は乾燥耐性が低いので、外来遺伝子が耐性を担保している、というのも無理のある論理である。


・ライバル研究グループからの反論
 

私自身は上述のような懐疑をもったが、国内外のゲノム研究の専門家からは、本論文で示されたデータそのものがお粗末であることが指摘され始めていた。そのような状況の中、ライバルのUKのエジンバラ大学の研究グループから反論が出された。審査つき論文ではなく、bioRxivという論文の仮置き場的サイトでの発表である。ノースカロライナ大の研究グループの論文が発表されてから1週間後のことだ。


エジンバラ大の研究グループは10年ほど前から、今回ゲノムが解析されたドゥジャルダンヤマクマムシの同じ系統を用いてゲノム解析を行なってきた。論文発表こそしていないものの、ドゥジャルダンヤマクマムシのゲノムデータベースをすでに公開していた。なお、ノースカロライナ大の研究グループが発表した論文には、エジンバラ大の研究グループが公開したデータベースについては触れていない。


エジンバラ大の研究グループによる解析では、全部で23,021個の遺伝子が予測された。これは、ノースカロライナ大の研究グループによる報告に比べて15,000個ほど少ない数である。さらに、このうち細菌に由来すると思われる遺伝子は496個だった。こちらも、先行論文で示された6,000個を超える遺伝子に比べて著しく低い数字だ。


また、エジンバラ大の研究グループはドゥジャルダンヤマクマムシのゲノムサイズ(DNA量)をDNA染色による方法*6とバイオインフォマティクス解析の二通りで調べたところ、DNAの塩基数はそれぞれ1.1億と1.35億と推定した。ノースカロライナ大の研究グループも同じ二通りのやり方でゲノムサイズを推定している。以前のDNA染色による方法で推定した塩基数は0.75億1.5億((((Gabriel et al. 2007. The tardigrade Hypsibius dujardini, a new model for studying the evolution of development. Dev. Bil. 312, 545–559. 75Mbはhaploidでのゲノムサイズだったので、diploidの数値に修正した。))))であり、今回のバイオインフォマティクス解析による推定塩基数は2.1億となっており、こちらの研究グループによるゲノムサイズの推定値は手法間で大きな開きがある。


これらの比較をもとに、エジンバラ大の研究グループは、ノースカロライナ大の研究グループが今回報告した「ドゥジャルダンクマムシに存在する多数の外来遺伝子」が、実験ミスで混入した細菌などに由来するものだと主張している。
 

・二つの研究グループの解析結果がなぜ異なるのか


このように、両研究グループのデータと主張は大きく異なる。これは、なぜだろうか。まず、クマムシの回収方法の違いが後のデータの不一致を生んでいることが考えられる。


ドゥジャルダンヤマクマムシは体長が0.3mmほどと小さく、1匹から得られるDNA量はきわめて少ない。よって、ゲノムDNAを解析するには、多数のクマムシをまとめて集めてすりつぶしてDNAを抽出する必要がある。このときにやっかいなのが、培地中で餌として与えている緑藻や、培地に湧いてきた細菌などが混入することだ*7。これらの混入を排除するためには、DNAを抽出する前にはクマムシを絶食させて消化管内の内容物を排泄するまで待ち、念入りに純水で洗浄するのが望ましい(抗生物質を使うのも一つの手)。エジンバラ大の研究グループはフィルターを使い、クマムシ以外の微生物を洗い流している。だが一方のノースカロライナ大の研究グループはフィルターを使っておらず、洗浄のやり方がきわめて甘い*8。これだと、細菌がわんさか混入してもおかしくない。


ノースカロライナ大の研究グループが推定した多数の他生物種由来の遺伝子数は、この混入によって説明がつきやすい。だが、なぜ、そもそも他生物の混入が起きたかどうかがわからなくなってしまうのだろうか。これは、ゲノム解析を行なう際のテクニカルな部分に原因がある。ゲノム解析を行なうとき、まず、ある生物から抽出したDNA鎖を短く切り刻んで断片化する。次に、これらの短いDNA断片を人工的に複製し、それぞれのDNA断片の塩基配列を読む。そのあとで、ジグゾーパズルを作るようにDNA断片どうしをコンピューター上でつなぎ合わせて再構成する。


この技術を使うと、たとえば今回のように、クマムシのDNAに細菌のDNAが入り込んでいるのか、あるいは、クマムシと一緒に細菌が混入した結果として別々のDNAが混ざっているのかが判別しづらくなる(図2と図3)。


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図2. クマムシのDNAに細菌のDNAが入り込んでいる場合


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図3. クマムシと細菌が混ざった場合


図2と図3で調整されたDNA断片を見ると、結果として似たようなDNA断片の構成になっているのがわかるだろう。


ノースカロライナ大の研究グループは、この図3のような細菌の混入がないかを一応チェックしている。同一のゲノム上にクマムシと他生物種のDNAが入っている(図1と図2のような場合)かを調べたのである*9。その結果、ランダムにピックアップした107個の外来遺伝子のうち、104個の遺伝子が同一ゲノム上に存在すると推定された。


だが、エジンバラ大の研究グループは、各遺伝子の塩基の組成の違いや、遺伝子が実際に使われている(発現している)かを調べた結果*10、ノースカロライナ大の研究グループによって示された6,000個以上の外来遺伝子のほとんどが細菌の混入によるものと結論づけた。


興味深いことに、エジンバラ大の研究グループは、上述のノースカロライナ大の研究グループが「ランダムに選んだ」107個のうちおよそ半分にあたる57個の遺伝子は、混入によるものではないと推定している。6,000個以上のたいはんの遺伝子が混入によるものと推定されたにもかかわらず、である。偶然にしては出来すぎた値ではないだろうか。


この他の両者のデータを比べても、エジンバラ大の研究グループのデータと主張のほうが理に適っているように思える*11。もちろん、それとて真実であるとは断言できないし、今後、別の研究グループによる解析も待たれるところだ。


最後に。この両研究グループは、どちらも基本的には進化発生学的な興味でクマムシの研究を行っており、クマムシがもつ高い耐性についての興味は二の次のようだ。だから、耐性はあまり高くないが、飼育が簡便でよく増えるドゥジャルダンヤマクマムシを使っているのだろう。その一方で、私を含めた日本のヨコヅナクマムシゲノムプロジェクトチームのメンバーは、クマムシの耐性への関心のほうが強い。地上最強ともいえるヨコヅナクマムシのゲノムからは、またひと味違った、面白い物語が語られるのではないかと期待している。


【参考書籍】

次世代シークエンサー―目的別アドバンストメソッド (細胞工学 別冊)


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」321号「「クマムシに外来遺伝子17%」は真実か」の一部です。

クマムシ博士のむしマガVol. 321【「クマムシに外来遺伝子17%」は真実か】

2015年12月11日発行
目次

【1. はじめに】サイエンスZEROの収録が終わりました
リハーサルではうまくいかず。放送事故だけは避けたい・・・。

【2. むしコラム「「クマムシに外来遺伝子17%」は真実か」】
「クマムシに外来遺伝子17%」という報告の妥当性を探る。

【3. おわりに「いきもにあに参加します」】
これから京都に行ってきます。いきもにあのクマムシさんのお店で待っています。

【料金(税込)】 1ヵ月840円(初回購読時、1ヶ月間無料) 【 発行周期 】 毎週

「クマムシ博士のむしマガ」のご購読はこちらから

*1:現在、クマムシの種類は1200種以上が知られている。

*2:Gabriel et al. 2007. The tardigrade Hypsibius dujardini, a new model for studying the evolution of development. Dev. Bil. 312, 545–559.

*3:Boschetti et al. 2012. Biochemical diversification through foreign gene expression in bdelloid rotifers. PLoS Genet 8(11):e1003035.

*4:ドゥジャルダンヤマクマムシの乾燥耐性については私自身が確認しており、ノースカロライナ大学の研究グループも学会発表で報告しているが、論文発表はまだない。

*5: Horikawa et al. 2013. Analysis of DNA repair and protection in the tardigrade Ramazzottius varieornatus and Hypsibius dujardini after exposure to UVC radiation. PLoS One, 8: e64793.

*6:フローサイトメトリーで測る方法のことを指している。

*7:ドゥジャルダンヤマクマムシやその他のクマムシでも、無菌飼育はまだ開発されていない。

*8:緑藻といっしょにしたシャーレに光を当てて負の走光性を利用してクマムシをビーカーに回収し、何度か水を入れ替えて洗浄している。最終的にはビーカーの底に溜まったクマムシを回収しており、これだと細菌などの混入がかなり起こりそう。

*9:Bridged PCR法により、scaffoldにおいてクマムシと他生物種由来の配列をまたぐ増幅をかけている。

*10:GC content、RNA-Seq、coverageなどのデータをもとに判断している。

*11:ノースカロライナ大の研究グループのデータによると、contigのN50が15.2kb、scaffoldのN50が15.9kb。それにもかかわらず、1Mbもの長いscaffoldも複数存在しており、そのすべてが細菌のデータにマッチしているという指摘もある。

サイエンスZEROに出演します

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12月20日(日)と12月27日(日)の23時30分から放送される「サイエンスZERO」に出演することになりました。番組の特集でプレゼン大会を開催し、6人の研究者らが王者を競うというものです。公開収録は12月5日に日本科学未来館で行なわれます。「サイエンスZERO」は10年くらい前からちらちら見ている番組だったので、親近感があります。あの頃は「サイエンスアイ」だったっけ。番組の公式HPでは僕を含めた全プレゼンターの動画と事前投票も受けつけていますので、よろしければ下のリンク先から投票してみてください。どの発表も面白そうです。


プレゼン王者決定戦!:サイエンスZERO


ではでは、クマムシをあつく語ってきます。

サイエンスアゴラの「オープンサイエンス革命」に登壇します

2015年11月14日(土)に日本科学未来館で開催されるサイエンスアゴラの「オープンサイエンス革命」にちょこっと登壇します。セッションのオーガナイザーは学術系クラウドファンディングサイト「academist」代表の柴藤亮介さん。当日は研究者と非研究者がどのような形で研究をコラボできるかについて議論していきます。詳しくは下記を参照ください。

オープンサイエンス革命~オンラインコラボレーションによる研究推進の可能性~

タイムテーブル:
11月14日(土)
14:00 開会挨拶、前座
14:05~14:15 趣旨説明(アカデミスト株式会社 代表取締役・柴藤亮介)
14:15~15:55 各登壇者からの情報共有
堀川大樹氏:クマムシ研究コラボレーションへの道
末広 亘氏:外来種研究によるオンラインコラボレーションの可能性
榎戸輝揚氏:学術系クラウドファンディングに挑戦!雷雲プロジェクトの体験から
湯浅孝行氏:雷雲ガンマ線プロジェクト×市民科学
湯村 翼氏:情報科学とオープンサイエンス
15:55~16:05 質疑応答、まとめ
16:05~16:10 閉会挨拶、アンケート記入など

クマムシを研究している高校生の「脚ポンプ仮説」について

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めずらしくネット上でクマムシの話題が盛り上がっています。その話題がこちら。


クマムシの足、実は循環器か 京都の高校生の仮説脚光:京都新聞


私が過去に発表した研究成果よりもはるかに注目を浴びています。こうしてクマムシのことが世に広まっていくのはとてもよいことだし、この木津高校科学部の北澤さんのことは応援したいですね。


さて、この記事によると、クマムシの脚が移動ではなく循環器の役割を果たしているのではないかということを、北澤さんが仮説を立てて実験しているとのこと。さらに北澤さんは、クマムシの休眠(乾眠のことと思われる)では体が縮むため、脚を収縮させることで水分を積極的に放出しているのではないかと考えているようです。この研究発表は、今年8月に行なわれた進化学会の高校生部門で最優秀賞を受賞したもようです。


私はこの研究内容についての発表を聞いていないので、この新聞記事の内容以上のことは分かりません。また、新聞記事がこの研究内容のことをどこまで正確に伝えているかも分かりません。前提の情報が不足しているので、この研究内容をきちんと評価することができないのですが、せっかくなので少しこの件に触れてみようと思います。まず、クマムシについての前提知識から解説します。


・クマムシの脚


クマムシは昆虫ではなく、緩歩動物動物門に属する無脊椎動物です。クマムシは4対8本の脚があります。水を浸した寒天培地の上でのしのしと歩行しますが、第4脚目の2本の脚はずるずると引きずるようになっており、歩行に使われているようには見えません。北澤さんが「移動に使われていない」と指摘する脚は、この第4脚のことだと思われます。


・クマムシのガス交換


クマムシは1200種以上が知られていますが、すべてのクマムシは水生生物であり、周囲に水がなければ活動できません。クマムシはこれといった循環器を備えておらず、酸素は体表から拡散する形で体内に浸透します。クマムシの体長はおおむね1mm以下と小さいため、拡散によって酸素をじゅうぶんに供給できるものと考えられています。


・クマムシの脚は循環器か


それでは、北澤さんが指摘しているように、クマムシの脚は循環器としての役割があるのでしょうか。実はクマムシには昆虫のような硬い外骨格はなく、脚には関節もありません。マシュマロマンやベイマックスのようにぶよぶよとした体の中に、液体がつまっている水風船のようなものとイメージしてもらうと分かりやすいかもしれません。


体の動きは筋肉によって調節されます。体性筋によって脚の内側が引っ張られると脚が収縮します。このとき、体腔内で平衡状態になっている静水圧に逆らって体液が「押される」ために、体内で水流が起こります。この反対に脚を伸ばすことでも水流が起こるので、体腔内で体液が循環するようになります。顕微鏡で観察すると分かるのですが、クマムシの体腔内には貯蔵細胞とよばれる浮遊している細胞があります。クマムシが動くと、この浮遊細胞が体液の水流によって動き回るようすを見ることができるのです。次の動画で、そのようすを見ることができます。



つまり、クマムシは脚を動かすことで体液を循環させて酸素を体内に行き渡らせている、ということが言えます。脚が循環器の役割を担っているとも言えるでしょう。実はこのことは1983年に出版された『The Phylum Tardigrada』という総説に書かれています。北澤さんがこの文献を読まずに「脚には循環器の働きがある」という仮説を立てたのであれば、よい観察と着想をしていたことになります。


・クマムシの乾眠と体の収縮


路上のコケなどに棲んでいる陸生のクマムシは、周囲の水がなくなると脱水して乾眠とよばれる仮死状態になります。このとき、つぶした空き缶のように、クマムシの体も前後で縮み収縮します。この縮んだ形態を樽とよびます。ヨコヅナクマムシが乾眠に移行するようすを撮影した次の動画を参照してみてください。



北澤さんは「(体の)収縮率が一定の比率にあるときに生存する傾向がある」ことを観察したそうですが、これもその通りです。クマムシが乾燥したときに収縮して樽型にならずに体が伸びていると、死んでいる場合が多く、水をかけても復活しません。北澤さんはこのことから「脚を意図的に収縮させて計画的に水分を出している」と、脚ポンプ説を提唱したようです。


ただ、こちらについては、次のような知見があります。まず、クマムシは急速に脱水すると乾眠に入れずに死んでしまいます。つまり、死なずに乾眠に移行するためには、ゆっくりと脱水することが重要なのです。体が伸びた状態に比べ、縮んだ樽型になることにより、体からの脱水をゆっくりにすることができます。体がボール状に近くなるため、体積あたりの対表面積を小さくすることができるからです。


以上が私の意見です。繰り返しますが、北澤さんの研究内容の詳細が分からないので、少しずれたことを書いている可能性があることをご了承ください。いずれにしても、文献へのアクセスや専門家との接触が制限される中で、観察と実験からこのような独創性のある仮説を導き出したところについては、評価に値します。進化学会の審査委員も、回答が用意されているような課題をじょうずに解く力よりも、このように柔軟に発想する力を評価対象にしていたのでしょう。このままクマムシ研究を継続していただければ、個人的にもとても嬉しいです。


・裾野が広がるクマムシ研究


クマムシ研究はマイナーなジャンルですが、2015年6月にイタリアで開催された国際クマムシシンポジウムでは、参加者数が初めて100人の大台に乗りました。同シンポジウムに参加した国内のクマムシ研究者も11名と、過去最高を記録。クマムシ研究者は確実に増え続けています。


そしてもっと驚くのが、クマムシ研究を行なっている中学生と高校生の多さです。この1〜2年でクマムシ研究のことで問い合わせてくる中高生や教員が劇的に増えてきました。私が発行しているメールマガジン「むしマガ」上でも中学生(中学生クマムシ博士と名付けている)が毎月のように実験結果を投稿してきており、それに対して私がアドバイスをしています。中学生クマムシ博士が行なっている「クマムシに対する低酸素の影響に関する研究」の内容は非常にレベルが高く、このまま継続すれば国際科学雑誌にも掲載されるような成果になりそうです。


クマムシ研究人口も増えてきたことだし、バーチャルなクマムシ研究所を設立し、10代のクマムシ研究者やその他のプロ・アマチュアクマムシ研究者を集められれば面白そうだな、と思っています。Facebookグループの中でそれぞれの研究の進捗状況を報告し合ったりとか。どうかな。来年の春にはクマムシ研究会の開催も予定していますし、クマムシ研究の裾野がもっと広がってくれればいいですね。


・クマムシ参考資料


せっかくなので、クマムシについてより深く知りたい人のための参考資料を紹介します。


クマムシ?!―小さな怪物:鈴木忠 著


クマムシ飼育のパイオニア的存在、慶應大准教授の鈴木忠さんによるクマムシ本。クマムシ研究の古い文献情報や図版も豊富。平易な文章で書かれており分かりやすい。


クマムシを飼うには―博物学から始めるクマムシ研究:鈴木忠 森山和道 著


サイエンスライター森山和道さんによる鈴木忠さんへのインタビュー。


クマムシ研究日誌:堀川大樹 著


私のこれまでのクマムシ研究人生を綴った本。クマムシを知りたい人はもちろん、これから研究者を目指す人にもおすすめ。


クマムシ博士の「最強生物」学講座:堀川大樹 著)


クマムシについての記述は3分の1、残りは面白い生きものや研究者について。


クマムシ観察絵日記:ナショナルジオグラフィック
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イラストでおくるクマムシ観察記録。


クマムシ日記
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慶應義塾大学クマムシ研究グループのクマムシ日記。


それから、有料メールマガジン「むしマガ」ではクマムシ研究のQ&Aも充実しています。ちょっとしたクマムシ研究コミュニティとしての役割ももつ媒体なので、よろしければこちらもどうぞ。

ノーベル賞受賞者トウ・ヨウヨウ氏はダンゴムシをつぶしたか

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1951年当時のトウ・ヨウヨウ氏(右)。This image is now in the public domain.


2015年のノーベル医学生理学賞は抗線虫薬剤の開発で大村博士、Campbell博士、そしてトウ氏の三名が共同受賞しました。大村さんは研究もさることながら生き方が格好よい。すでに国内メディアでいろいろと取り上げられているので、ここではトウ・ヨウヨウさんの「抗マラリア薬剤アルテミシニンの開発」について書きます。今年のノーベル賞の中で、個人的にもっとも興味を引いた研究成果でした。


1960年代後半、国家機密プロジェクトでマラリア撲滅のための研究が開始します。このときすでにクロロキンなどの抗マラリア薬剤が存在していましたが、これらの薬剤に対して耐性をもったマラリア原虫が出現。既存の抗マラリア薬剤の効果は弱くなっていました。


中国中医科学院で漢方薬コースを受講したトウさんの研究グループは、2000種以上の漢方薬草からマラリアに効果のある物質を抽出・生成しようと試みます。そして、漢方薬草のひとつであるクソニンジン(Artemisia annua)にたどり着きます。この植物の抽出物をマラリアにかかったマウスに与えたところ、原虫の増殖を抑制し症状を緩和する効果が見られたのです。しかしながら、この実験結果の再現性はあまり芳しくありませんでした。


トウさんらは中国医学に関する古書『肘後備急方』を参照しました。『肘後備急方』は『応急処置法の手引き』という訳になるでしょうか。この本はもともとは葛洪(ガ・ホン)(284年〜346年)によって1700年ほど前に書かれた書物です(トウさんが実際に参照したのは1574年に出版された復刻版と思われる)。彼女はこの中の「青蒿一握以水二升漬絞取汁盡服之(ひとつかみのクソニンジンを2リットルの水に浸し、しぼりとったその水を飲むこと)」という記述に注目しました。


そして、高温処理によりクソニンジンから抽出物を得るやり方だと、抗マラリア活性をもつ物質が失活すると考えました。低温処理で得たクソニンジン抽出物はマウスとサルにおいて高い抗マラリア活性をもつことがわかり、のちにこの活性をもつ実体がアルテミシニンであることを突き止めます。アルテミシニンはクロロキンに耐性のあるマラリア原虫の増殖抑制にも有効でした。アフリカだけでも、この薬剤で毎年10万人以上の命が救われていると推測されています。


さて、トウさんが研究のヒントにした『肘後備急方』ですが、マラリアの症状を治療するために書かれていた内容がなかなか面白い。前述のクソニンジンによる処方の他に、以下のようなものがあります。

鼠婦豆豉二七枚合搗令相和未發時服二丸欲發時服一丸


中国語で、しかも昔の文章なので解読するのがなかなか難しいのですが、この方面に強いむしマガの優秀なメンバーに翻訳をしてもらいました。ここで鼠婦はダンゴムシ、豆豉はトウチです。この一文を訳すと、次のようになります。

ダンゴムシとトウチ二七つを一緒につぶして混ぜる。症状がまだ出ないときはそれを二つ、症状が出始めるときは一つ服用すること。

 

トウさんはこの書物に書かれていた、このダンゴムシも調べた可能性があります。ダンゴムシを何十匹も採ってきて、ぐりぐりとすりつぶす。しぼりとったダンゴムシ・エキスをマラリアにかかったマウスに投与したものの、とくに目立った効果が得られなかったのかもしれない。


この他にも『肘後備急方』の同じページには「五月五日にニンニクの皮を使って〜」という記述もあります。「五月五日」と薬を摂取する時期をわざわざ指定しているのは、各臓器の機能が日周期や年周期をもつという伝統的中国医学の考えに基づいているためでしょう。


ちなみにこの『肘後備急方』を書した葛洪は医学者であり道教学者でもありました。「不老不死の仙人になるための方法」について書いた本もあり、今の時代の視点で見れば彼の言説の一部はトンデモに映りますが、少なくとも1700年前にクソニンジンにマラリアの症状を抑える何かが含まれていたことは見抜いていたわけで、大昔の人々の知恵には感嘆します。


人知れず眠っている古文書の中に、ブロックバスターの種がまだ転がっているのかもしれませんね。


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」314号「2015年ノーベル賞を振り返る」の一部です。

クマムシ博士のむしマガVol. 314【2015年ノーベル賞を振り返る】

2015年10月12日発行
目次

【1. はじめに】鶴岡生活

ずっとここに住むのであれば、やっぱり車は必需品ですね。アイニードアカー。

【2. むしコラム「2015年ノーベル賞を振り返る」】
日本人二人が受賞した2015年のノーベル賞。今回は医学生理学賞と化学賞を中心に、受賞内容を振り返ります。

【3. おわりに「クマムシトーク生放送」】
最近のニコニコ・クマムシチャンネルでの生放送には慶應の研究者たちに次々とゲスト出演してもらっています。

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クマムシでも分かる。ノーベル賞候補・ゲノム編集技術「CRISPR/Cas9システム」

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ゲノム編集技術、CRISPR/Cas9。今年のノーベル賞(化学賞あるいは医学生理学賞)受賞候補として大きく注目されているが、仮に今年の受賞が無くても、近い将来確実に受賞することだろう。今回は、この革命的テクノロジーの概要をできるだけ分かりやすく解説する。


ゲノム編集技術


バイオテクノロジーの中で今もっとも注目されているのがゲノム編集技術だ。ゲノムとは、ある生物におけるすべての遺伝子の情報をひっくるめたものをさす。今、このゲノムを意のままに改変することができるようになりつつある。この技術はさまざまな生物学現象のメカニズムを解明する上での重要なツールになるほか、有用な家畜や農作物の作出や、遺伝性疾患の治療などへの応用も期待されている。


従来、遺伝子組換え生物をつくる場合は、外来遺伝子をゲノムの中の特定の位置に入れることが難しかった。これらの遺伝子は運び屋のウィルスなどにもたせて細胞内に注入されるが、ゲノムの中のランダムな場所に入ってしまう。また、ゲノムの中の特定の位置を狙って遺伝子を入れたりその遺伝子を破壊することもできたが、その効率はあまりよいものではなかった。


2013年、ゲノム編集技術に革新がおきた。それが、CRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)システムの実用化である。


CRISPR/Cas9システム


CRISPR/Casは細菌や古細菌がウィルス感染を防御するために発達させた免疫防御システムである。このシステムは現九州大学教授の石野良純氏らによって発見された。細菌はバクテリオファージなどのウィルスにより感染され殺される危険に脅かされている。細菌のCRISPR(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats)システムは侵入したウィルスのDNAをバラバラにし、その中で特定の塩基配列をもつ断片を細菌自身のゲノムに取り込む。こうすることで、それぞれの種類のウィルス特有DNA塩基配列、つまり、IDをコレクションし、記憶することができる。すでに侵入したことのあるウィルスが細菌内に再度侵入すると、細菌がもっているウィルス・コレクションDNAから写しとられたコピー(RNA)がその侵入ウィルスのDNAを照合して見つけ出す。RNAにガイドされて一緒にやってきた酵素Casタンパク質が、そのウィルスDNAをちょん切ってやっつける。こういう仕組みである。


Doudna博士とCharpentier博士の研究室は、CRISPRシステムのタイプ2に着目。このシステムを人類が利用しやすいようにするため、改良・シンプル化を試みた。こうして確立されたこのゲノム編集技術CRISPR/Cas9システムは、様々な生物の遺伝子を改変することを可能にした。ガイドRNA鎖と酵素Cas9が一緒になってターゲットのゲノムDNA上の塩基配列を認識して切断する。下の図のように、ガイドRNA鎖の塩基配列と対応する配列(と隣接するPAM配列)をもつゲノムDNA上の位置が認識され、そこでCas9によってこの場所が切断される。


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このとき切断されたゲノムDNAは修復されるが、このときにDNA塩基配列の一部が欠損したり他の配列が挿入されて変異がおこる(下図左)。また、挿入したい外来遺伝子をCas9らと一緒に細胞内に注入すると、狙った場所にこの外来遺伝子を入れることもできる(下図右)。


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もしCRISPR/Cas9システムを会社のアクティビティに例えたら


すこし話がやや難しくなってきたので、CRISPR/Cas9システムを会社における解雇手続きに例えて説明しよう。

かんぽ商事の営業部はそこそこの業績をあげており、表立った不具合はみえなかった。しかし、決算時に営業部が使用した経費をよく調べてみると、不自然な出費が莫大にあることが判明。経理部のR子は営業部の中の誰かが不正に経費を使用していることを疑い、調査を開始した。そして、ついにD島が架空の領収書を作成して会社の金を横領していることをつきとめた。R子はC村社長を連れて営業部に乗り込んでいった。

R子「C村社長!こいつです!D島が横領の犯人です!」

C村「なに!けしからん!D島、おまえはクビだ!!」

D島「クビ切られた!」


もうおわかりだろう。ここで、


営業部=ゲノムDNA

D島=ゲノムDNA上の特定の場所

R子=ガイドRNA鎖

C村社長=Cas9


である。R子(ガイドRNA鎖)がゲノムDNA(営業部)上の特定の場所(D島)を特定し、一緒に連れてきたCas9(C村社長)によって(クビを)切ってもらったわけだ。もちろん、切断したDNAのところに、新しく外来遺伝子を組み込むこともできる。ダメ社員をクビにしたことによって空いた穴のところに、新しい社員を補充するように。


CRISPR/Cas9システムの長所は、ゲノムDNA上の狙った場所の塩基配列をもとに、これに対応する塩基配列をもつRNA鎖を設計できることだ。この他のゲノム編集ツールとして使用されていたZFNやTALENでは、酵素がDNA塩基配列を認識していた。酵素はタンパク質であり、これを特定のDNA配列を認識するように設計するのは、ひじょうに手間と時間がかかる。CRISPR/Cas9で使われるRNA鎖を設計するのはこれに比べて格段に簡単なのである。


ちなみにCRISPR/Cas9システムの特許は現時点でMITのZhang博士が保有している。だが、特許申請はDoudna博士とCharpentier博士の方が早かった。Zhang博士の方が後出しだったわけだが、ファスト・トラックを使いDoudna博士とCharpentier博士よりも早く特許を取得してしまったのだ。Doudna博士とCharpentier博士は米国特許商標庁に再審査をするように申し立てているが、Zhang博士はずっと前からCRISPR/Cas9システムのアイディアを実験ノートに記しており、自分が特許保有者にふさわしいと主張している。特許をめぐり研究者どうしの泥沼合戦が現在進行中であるが、ノーベル賞にはDoudna博士とCharpentier博士のみが受賞するのではないかと見られている。


ゲノム編集と遺伝子治療


革命的といえるゲノム編集技術の登場によって、私たちの未来は大きく変わろうとしている。効果的な遺伝子治療の展望が開けてきたことも、その一例だ。エイズの治療や予防に、ゲノム編集技術の使用が検討されていたりする。


ヒトエイズウィルスHIVが免疫細胞に感染するとき、免疫細胞表面に出ているある特定の受容体(CD4とCCR5)を足場にして細胞内部に侵入することが知られている。もし免疫細胞の受容体遺伝子を取り除くことができれば、免疫細胞表面に受容体がでてくることがなくなる。つまり、ウィルスの足場がなくなるため、感染できなくなる。ゲノム編集技術によって受容体(この場合CCR5)遺伝子を欠損させた免疫細胞を作製し、それを患者の体内に入れてやれば、エイズ免疫不全の進行を遅らせることができる。このほかにも、チロシン血症1型などの先天性遺伝子疾患患者の治療に、ゲノム編集技術を応用することが考案されている。


遺伝子治療を受けた人の体内では、その人がもとからもっているオリジナルなゲノムをもつ細胞と、ゲノム編集により改変されたゲノムをもつ細胞が混在している。ただし、精子や卵のもととなる生殖細胞系列においてゲノム編集が行なわれないかぎりは、その人の子どもに改変されたゲノムが受け継がれることはない。問題となるのは、この生殖細胞系列や受精卵で、ゲノムが編集された場合だ。これには、様々な倫理的な懸念が絡んでくる。


ゲノム編集がつくる未来


CRISPR/Cas9はバイオ研究の世界でたちまち普及することとなった。これまでにないスピードでゲノム編集に絡んだ研究成果が発表されており、その用途や対象生物も多岐にわたっている。


しかし、いや、だからこそ、このゲノム編集テクノロジーは、使い方次第では人類にとって不幸な未来を招きかねない。そんな警告を、研究者らは発している。ゲノム編集テクノロジーを使うことで、オウム真理教のようなハイテクノロジーを備えたクレイジーな組織が、テロ目的で感染力を高めたウィルスをゲノム編集技術で作り出すかもしれない。これはちょっと言いすぎかもしれないが、ただ、受精卵のときに遺伝子改変をおこない、生まれてくる子どもから疾患原因となる遺伝子を除去するだけでなく、その子の知能や容姿をすぐれたものに変えるのが普通になるような未来は、より現実味を帯びている。


ヒトの疾患を治療するために、生殖細胞や受精卵のゲノム編集をおこない原因遺伝子を除去するアイディアは、以前からある。実際に、実験動物を使った基礎研究も進んでいる。ただし、現段階ではゲノム編集技術の精度は完璧にはほど遠く、ゲノム上の狙った位置ではない別の場所に変異を入れてしまうことも多い。こうなると、生まれてくる子どもが何らかの異常をもってしまう可能性も出てくる。それ以前に、出生前の人間の意思を無視して、その赤ちゃんのゲノム情報を勝手に改変してよいのだろうか?という懸念も生じる。


これらの懸念から、世界の科学者コミュニティは、人の受精卵の遺伝子改変をするのを自重してきた。ところが2015年4月、中国の中山大学の研究グループが、そのような空気を読まずに、ゲノム編集技術CRISPR/Cas9でヒト受精卵のゲノム編集を行なったとする研究論文を発表した。



この研究で使用されたのは、不妊治療クリニックから提供された三倍体の受精卵。これは、ひとつの卵に二つの精子が受精した異常な受精卵であるため、発生して正常な子どもになることはない。倫理的な問題をある程度回避しつつ、ヒト受精卵を用いてインパクトのある実験するために編み出した、研究グループの苦肉の策と思われる。


研究グループは、受精卵のゲノム上にあるベータグロビン遺伝子をターゲットにしたゲノム編集を試みた。ベータグロビン遺伝子の変異はベータサラセミアという先天性遺伝疾患をひきおこす。つまり、ゲノム編集技術CRISPR/Cas9でこの部分の変異遺伝子を正常な遺伝子に置き換えられるかどうかを検討したわけだ。


結果として、実験処理をした86個の受精卵のうち、ゲノム上の狙った場所で目的遺伝子が置き換わっていたのは、わずかに数個だけだった。ゲノム上のターゲット以外の場所で改変が起きていた受精卵も少なくなかった。この結果は、べつに驚くことでも何でもなく、他の動物を用いて行なわれた先行研究の結果から想定された範囲内のものである。科学的な新規性という観点からは、それほどインパクトの高い研究結果ではない。


仮にヒトの受精卵を遺伝子治療する目的でゲノム編集を行なう場合は、100%の確度で狙いどおりに変異遺伝子を除去しなければならない。今回の研究結果は、CRISPR/Cas9システムがまだまだ検討余地のある技術であることを示している(もっとも、研究グループは若干古いバージョンのCRISPR/Cas9システムを使っていたようだが)。研究グループも論文の中で「ヒトの受精卵に対する遺伝子治療にCRISPR/Cas9を使うのはまだ早い」と結論づけている。


この論文発表を受けて、世界中で熱い議論が渦巻いている。もっとも、この研究を行った研究グループも、その研究成果を掲載した中国のジャーナル(中華人民共和国教育部、日本の文科省のような組織がバックアップ)も、一種の炎上マーケティング的な手法で科学界や世間の注目を集めている部分もあるため、今おきている状況は向こうの思う壷になっている、という印象も受ける。


いずれにしても、異常なものとはいえ、ヒトの受精卵を使ったゲノム編集研究が実行されたことで、ヒト受精卵をつかった研究にますます拍車がかかるかもしれない。第二、第三の受精卵を使ったゲノム編集実験が実施されれば、社会からの反発もより大きくなる。そうすると、ゲノム編集の研究分野全体の進展が妨げられかねない。そんな懸念が生じている。アメリカ国立衛生研究所NIHでは、ヒト受精卵を使用する研究には研究費を出さない声明を出した。イギリスでは研究者が政府ににヒト胚を使った実験の許可を申請している。何ができて何ができないのかの線引きを明確にする必要があるだろう。


さて、実は健康な子どもを得る目的では、安全面で大きな不安を抱える受精卵のゲノム編集よりも、もっと現実的な方法がある。それは、着床前診断だ。


着床前診断では初期の発生段階にある胚を扱い、先天性遺伝子疾患の原因遺伝子の有無を調べる。変異遺伝子をホモ(父母から受け継いだ両方の遺伝子型が同じタイプ)で受け継いでいない胚を選択して着床させることで、遺伝子疾患をもたない子どもを授かることができるわけだ。もちろん、このやり方でも優生学の復興につながりかねないとする倫理上の問題も、あるにはある。だが、ゲノム編集に比べれば、こちらはずっと「おだやか」なやり方だ。


ヒューマンからハイスペック・ヒューマンやネオ・ヒューマンに


では、受精卵や生殖細胞にゲノム編集技術のメスが入ることはないのだろうか。これは、今すぐには考えられないが、将来的にはじゅうぶんありえると思う。そして、その用途は遺伝子治療にとどまらず、好きな遺伝子を取り込ませた子ども、つまり、デザイナーベイビーをつくる用途に使われる可能性もある。試験管ベイビーも昔は倫理的に反対する人が多かったが、今では普通に世間に受け入れられている。時代とともに、倫理や道徳の概念は変化するのだ。


現在、先進国では高精度医療(Precision Medicine)の実現に向けた基礎研究がハイスピードで進んでいる。数万人から100万人を対象とした全ゲノム解析結果と各人の健康データや生活習慣をひもづけることで、新たな疾患原因遺伝子や長寿遺伝子などがあぶり出されてくることが期待されている。将来、個人の全ゲノム解析が手軽に行なえるようになり、ゲノム編集技術が改善されて安全性が保証されるようになれば、生まれてくる子どもに「長生き」「病気への抵抗性」「賢さ」を司る遺伝子セットをもたせる文化が生じるかもしれない。子どものファッションを決めるくらいの感覚で、好みの遺伝子をピックアップして我が子に実装させる。そんな世の中がくるかもしれない。


はじめは富裕層がこのテクノロジーを使い、自分たちの子どもを遺伝的なハイスペック・ヒューマンに仕上げる。遺伝的背景に起因した能力に差が出るようになり、遺伝格差が生じる。テクノロジーのコストダウンに応じて、ある国では人口のほとんどがハイスペック・ヒューマンに。こうなると、これまでヒト集団に一定の割合で存在していた遺伝子が、将来はほぼ消滅していたり(疾患原因遺伝子など)、ほとんどの人に備わっていたり(長寿遺伝子など)するだろう。環境による遺伝子の淘汰・選択がおこりづらくなるわけだ。


さらにはヒト以外の生物のハイスペック遺伝子も取り入れ、もはやヒトではない何かに・・・。そう。人類は自らを編集して、ネオ・ヒューマンに進化する。羽毛をはやした学生たちが飛行能力を競う「リアル・鳥人間コンテスト」が開催。いやなことがあると乾いて眠ってしまう博士、「リアル・クマムシ博士」も誕生。そんな世の中に絶対ならないなんて、誰が言えるだろうか。


欲望という名の川がいったんひとつの方向に流れ出せば、止めるのは難しい。ゲノム編集技術は、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。


ゲノム編集についての一般向けの良書ゲノム編集の衝撃―「神の領域」に迫るテクノロジーが出版された。本書は生物学についての専門知識がなくても容易に読み進められるように書かれており、ゲノム編集を「いろは」から知りたい読者にとって良好な解説書となっている。


ゲノム編集の衝撃―「神の領域」に迫るテクノロジー:NHK「ゲノム編集」取材班 著


クマムシ博士による本書のレビューはこちら。

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こちらはヒトの遺伝子改変について、生命倫理学の専門家による深い洞察が記された一冊。


ヒトの遺伝子改変はどこまで許されるのか ゲノム編集の光と影:石井哲也 著


クマムシ博士のレビューはこちら。

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【追記】


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私が専門としている極限環境動物クマムシにおけるゲノム編集技術の確立のためのクラウドファンディングを行っています。CRISPR-Cas9システムでクマムシの耐性に関わると思われる遺伝子を壊し、耐性の低下が見られないかを検討できます。ただ、クマムシの遺伝子改変技術は未熟なため、研究の最初のステップを行うためのサポートを募集しています。ご興味のある研究者の共同研究も募集しています。


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」290号と291号「ゲノム編集がおこす社会変革(前編)(後編)」からの抜粋です。

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【参考資料】

実験医学 2014年7月号 Vol.32 No.11 ゲノム編集法の新常識! CRISPR/Casが生命科学を加速する

今すぐ始めるゲノム編集〜TALEN&CRISPR/Cas9の必須知識と実験プロトコール (実験医学別冊 最強のステップUPシリーズ)

遺伝子医療革命―ゲノム科学がわたしたちを変える

Jinek et al. (2012) A Programmable Dual-RNA–Guided DNA Endonuclease in Adaptive Bacterial Immunity. Science, 337, 816-821

Liang et al. 2015. CRISPR/Cas9-mediated gene editing in human tripronuclear zygotes. Protein and Cell, 6, 363-372

Urgency to rein in the gene-editing technology: Protein and Cell

Engineering the perfect baby: MIT Technology Review

A conversation with Jennifer Doudna on Cas9 and human germline gene editing: Knoepfler Lab Stem Cell Blog

The big blind spot on CRISPR for human embryo editing: PGD: Knoepfler Lab Stem Cell Blog


【関連記事】

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NASAが発表した「火星表面に液体の水が存在」の意味

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Credit: NASA/JPL/University of Arizona


NASAが予告していた「火星に関する重大な科学的発見」の発表が、2015年9月28日(日本時間は29日)に行なわれました。会見内容は「現在の火星表面に液体の水が存在することが示唆された」というものでした。


NASA confirms evidence that liquid water flows on today’s Mars: NASA

Ojha et al. (2015) Spectral evidence for hydrated salts in recurring slope lineae on Mars. Nature Geoscience


ということで、私の予想がしっかりと当たりました。5年前のNASAの会見発表内容も的中させているので、二回連続的中。それでは、改めて今回の発見について見てみましょう。


「液体の水」と「生命」


生命体が棲める可能性のある環境の範囲を、ハビタブルゾーンといいます。ハビタブルゾーンの定義はいろいろとありますが、シンプルに言えば「水が液体で存在しうる環境範囲」となります。火星は水が液体で存在しうる環境を備えた惑星であり、生命体が潜んでいてもおかしくない・・・いや、いるはずだ。と、我々のような宇宙生物学者たちは期待に胸を膨らませてきました。


はたして火星に水は存在するのか。あるいは、過去に存在したのか。NASAは異なるタイプの探査機をつぎつぎと火星に送り、調査をしてきました。そして、2008年には火星探査機フェニックスが地表のすぐ下に凍った水を見つけました。火星内部には多量の水があり、地下に生命が潜んでいる可能性が強く指摘されるようになりました。


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Credit: NASA/JPL-Caltech/University of Arizona/Texas A&M University


2005年にローンチされた探査機、マーズ・リコネッサンス・オービターは、火星の周回軌道を回りながら、主に火星の表面における水の挙動の歴史を観測しています。この探査機には高解像度カメラのHiRISE (High Resolution Imaging Science Experiment)や分光計のCRISM (Compact Reconnaissance Imaging Spectrometer for Mars) が搭載されています。今回、これらの機器を用いた観測により、火星表面に液体の水が存在する可能性が示唆されたのです。


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Credit: NASA/JPL/University of Arizona


火星表面の奇妙な現象「RSL」


マーズ・リコネッサンス・オービターは以前、火星表面にRSL(Recurring Slope Lineae)とよばれる不思議な現象を見つけました。火星の地表の傾斜に狭い線状の地形が、現れたり消えたりするのです。このRSLは暖かくなると現れ、寒くなると消えるといった、季節に関係した挙動を示すことも分かりました。火星表面上には、このRSLが複数見つかっています。


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Credit: NASA/JPL/University of Arizona


Georgia Institute of Technologyの大学院生Lujendra Ojha氏らは、このRSLが現れたり消えたりするのは「地表に液体の水が流れたりしみ出しているから」と考えました。そして、この仮説を検証するため、RSLにどのような物質が存在するかを調べるため、主にCRISMを用いた成分分析を行ないました。


RSLは液体の水によって作られているかもしれない


化学物質は、それぞれに固有の吸収スペクトルを示します。この性質を利用して、CRISMで火星地表の複数のクレーター斜面にできたRSL付近の吸収スペクトルのデータを取りました。その結果、RSLが大きく(長く)発達したときには、過塩素酸塩のような水和塩(過塩素酸マグネシウムや過塩素酸ナトリウムなど)が存在することが示唆されました。このように、時間的にも位置的にも、RSLが出現し拡張する現象にあわせて、これらの水和塩と思われる物質の特徴が観測されたわけです。よって、液体の水も同じ場所にあると考えられたのです。


なぜ水和塩があると、水がそこに存在すると言えるのでしょうか。これは、火星地表付近の塩水が蒸発した結果として水和塩が生じる可能性を示した先行研究を根拠にしているようです。仮にこれらの水和塩が塩水中に含まれていたとすると、きわめて低い温度(場合によってはマイナス70ºC)まで塩水が凍らずに液体のまま保たれることが推測されます(水に塩や砂糖などの溶質を溶かすと、融点が下がっていきます)。


では、この液体の塩水が地表に存在するとして、これはどこからやってくるのでしょうか。氷が溶け出して水が染み出るということが考えられますが、研究者らは、赤道付近のRSLの環境では地表近くで水が氷として存在することは難しそうだと述べています。また、過塩素酸塩の潮解現象(大気中の水蒸気をとりこんで液化させ水溶液になること)により水が供給されるかどうかも、まだ検討の余地があるようです。研究者らは、RSLが存在する火星上の場所ごとに、水が供給されるメカニズムが異なるのではないか、と推測しています。


「火星表面に液体の水が存在する」ことを示す根拠は弱い


ここまで読んで分かるように、研究者らが今回発表した「火星表面に液体の水が存在する」という主張は、直接的に液体の水を採取したり見たわけではなく、水和塩らしき物質の存在から推測したストーリーに基づいています。液体の水の供給メカニズムについても証拠は示しておらず、こちらも憶測でしかありません。つまり、研究者らやNASAの「液体の水がある」という主張を裏付ける証拠は、ひじょうに弱いものです。おそらく、研究者らは今回の研究成果を当初はNatureやScienceといったトップジャーナルに投稿したものの、主張の裏付けが弱いことから論文掲載を拒否され、Natureの姉妹紙であるワンランク下のNature Geoscienceに投稿したのだと思われます。


また、これまでNASAが会見を開いてセンセーショナルに発表した「大発見」は、のちに疑問符のつくものとなるパターンが多いし、今回も油断できない、と思ってしまう面もあります。ただし、今回は研究データ自体が堅いものではないし、そういう意味では逃げ道が作ってあるので、火星に液体の水がずっと見つからなくても当事者はあまり責められないと思いますが。いずれにしても、RSL付近に探査機を送り、そこで直接的に液体の水を検出することが大事です。


色々と書きましたが、今回の研究成果により、火星表面に液体の水がある可能性が以前よりも高まったのは事実でしょう。本研究成果が今後の火星探査計画にポジティブな影響を与えそうです。RSL付近に液体の水が直接的に確認されれば、そこに生命体が潜む可能性も飛躍的に高まります。サンプルリターンで火星生命体を捕獲、なんてことも夢に見てしまう。でも、慎重な心構えをもちつつ、今後の研究に期待したいところですね。


宇宙生物学については、以下の書籍がお薦めです。宇宙生物学分野の幅広い取り組みと歴史が詳細に解説されており、今回の研究でも登場した分光計を用いた惑星の成分分析についても記述があります。


地球外生命を求めて マーク・カウフマン (著))


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」313号「NASAが発表した「火星表面に液体の水が存在」の意味」からの抜粋です。

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NASAの「火星における重大な科学的発見」を予想する

ヒ素細菌のDNAにはヒ素がなかったーライバル研究者らが発表

キュリオシティと火星生命探査の今後

NASAの「火星における重大な科学的発見」を予想する

2015年9月28日(日本時間は29日)、NASAが「火星に関する重大な科学的発見」について記者発表します。


NASA to Announce Mars Mystery Solved: NASA


発表予定時刻から8時間前にこの予告を知り、自分なりに短時間で発表内容を予想してみました。以前、似たようなNASAの重大発表会見の内容(ヒ素細菌)について予想を的中させましたが、今回はちょっと私の専門からずれるため、本記事は眉唾で読んでいただければと思います。


最初に結論から言うと、今回の重大な科学的発見は、火星生命体の発見ではありません。現在の火星探査スペックでは、まだ「生命体が存在する(した)こと」を言い切れるだけの証拠を集められないからです。それでは、何か。それは、ずばり、「火星地表に液体状の水が存在すること」に関する発表だと思われます。


今回の発表内容を予測するにあたり、記者会見に登場するメンバーの専門分野を最大公約数的に絞り込みました。記者会見に登場するメンバーは以下の通り。


Jim Green(NASA本部の惑星科学ディレクター)

Michael Meyer(NASA本部のMars Exploration Programリーダー)

Lujendra Ojha(Georgia Institute of Technologyの大学院生)

Mary Beth Wilhelm (NASA Ames Research Center職員、およびGeorgia Institute of Technologyの大学院生)

Alfred McEwen(University of Arizonaの教授)


ここで、最初の二名はNASAの偉い人なので、今回の研究内容には直接関係ありません。それ以外の三名は、Mars Reconnaissance Orbiter(MRO)のミッションに関わっており、地質学というキーワードで共通しています。さらに、研究論文はNature Geoscienceに発表予定です。地質学関連の研究内容に違いありません。


さらに、これらの三名は火星地表の観察分析を行なっています。とくにOjha氏は学部時代はMcEwen教授と同じUniversity of Arizonaに所属しており、この二人がキーパーソンとみられます。Wilhelm氏は研究のお手伝い的立ち位置ですが、NASA所属ということ、また、メディア慣れしていることから会見に呼ばれているのかもしれません。


Ojha氏とMcEwen教授は2014年に火星表面に観察されるある現象について報告しています。それはRecurring Slope Lineae (RSL) とよばれるもので、直訳すると「繰り返し現れる傾斜の直線群」となるでしょうか(適当です)。


Ojha et al. (2014) HiRISE observations of Recurring Slope Lineae (RSL) during southern summer on Mars. Icarus, 231. pp. 365–376.


下の画像のように、直線状の細い線が傾斜に沿って並んでいますが、これがRSLです。


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Credit: NASA/JPL/University of Arizona



RSLは暖かくなると現れ、寒くなると消える。季節変化によって繰り返し現れたり消えたりするのですね。不思議な現象です。火星上にRSLがたくさん見つかり、しかも火星の場所によって出現頻度が異なる。というのが、2014年に発表された内容です。


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Credit: NASA/JPL/University of Arizona


このRSLが現れたり消えたりするのはなぜなのか。これはもしかしたら、水の流れによってできるのかもしれない。ということで、今回はその謎が解け、RSLの原因が「地表に液体の水が流れたりしみ出しているから」ということをある程度裏付ける証拠を掴んだものと思われます。


ついでに、本研究が関わっていると思われるミッションについて。2005年にローンチされたMars Reconnaissance Orbiterは、火星の周回軌道から火星を探査しています。NASAで推進されているMars Exploration Programの一環です。本探査機のミッションは、火星における水の挙動の歴史を観測すること。水の挙動と生命の存在可能性は密接にリンクしているので、このような研究は重要なのです。


この探査機には高解像度カメラのHiRISE (High Resolution Imaging Science Experiment)や分光計のCRISM (Compact Reconnaissance Imaging Spectrometer for Mars) が搭載されています。HiRISEで火星地表を撮影して小水路の痕跡がないかどうかを観察したり、CRISMで鉱物の化学組成分析を行なうことで、過去から現在に至るまでの水の挙動の歴史を解明しようとしています。鉱物の種類によって水がその場所にどう存在していたか、あるいは作用しているかがわかったりするのですね。また、HiRISEやCRISMでは水の挙動も把握することができるようです。


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HiRISE. Credit: NASA/JPL/University of Arizona


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Image captured by CRISM. Credit: NASA/JPL/University of Arizona


もしも火星の地表に今も液体の水が存在するのであれば、これは大変にエキサイティングなことです。これまで、火星には地下に氷が存在することが確認されていましたが、地表に、しかも液体状で水が存在することになれば、火星表面に生命が存在する可能性も俄然として高まります。ということで、期待もこめて今回の予想を行なってみました。


ちなみに、今回のNASA会見発表で登場予定の一人であるMary Beth Wilhelm氏は、私がNASAエームズ研究所に勤務していたときに同じ施設におり、面識があります。ただし、今回の件では、会見発表内容について、彼女から一切の情報提供を受けていないことを、ここに誓います。


宇宙生物学については下記の本がおすすめです。

地球外生命を求めて マーク・カウフマン (著))


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」312号「NASAの「火星における重大な科学的発見」を予想する」からの抜粋です。

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【関連記事】

【地球外生命体?】 NASAの会見内容を予想してみる


【追記(2015.9.29)】


NASAの会見は「現在の火星表面に液体の水が存在することが示唆された」というもので、本記事に書いた予想が的中しました。本研究発表について、新たに解説記事を書きました。


NASAが発表した「火星表面に液体の水が存在」の意味


また、今回の予想について少し違っていた点がありました。本記事ではMary Beth Wilhelm氏の貢献度は低いものと予想しましたが、実際には論文の第二著者であり、本研究にかなり大きな貢献をしていました。私がNASAエームズ研究所にいた頃、Wilhelm氏はまったく異なる研究を行なっていたため、このような過小な予想をしてしまい、Wilhelm氏にはお詫びいたします。

相模川ふれあい科学館でクマムシ講演AND観察会

8月30日(日)に相模川ふれあい科学館(アクアリウムさがみはら)でクマムシ講演AND観察をおこないます。イベントは11:00と12:00からの2回。どちらも同じ内容です。先着順48名、参加費無料。会場へのアクセスなど詳細は以下のページでご確認ください。


「クマムシ博士になろう!」:相模川ふれあい科学館


当館では昆虫の特別企画展も実施しているので、虫好きな方はとくに楽しめるはずです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

日経新聞朝刊でクマムシ活動が紹介されました

これまでの私のクマムシ活動が2015年8月12日付の日経新聞朝刊にて紹介されました。


クマムシ博士無敵の愛 極限に耐える最強生物の生育に成功、キャラも考案 堀川大樹:日本経済新聞

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日経新聞の看板コーナー「私の履歴書」よりも目立っていてたいへん恐縮しております。