クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

ヒルはクマムシよりも強いか

・ヒル


ヌマエラビルというイシガメの体表に寄生するヒルが、−196ºCもの低温で凍っても生き延びることが分かった。東京海洋大学と農業生物資源研究所の研究グループの研究だ。


A leech capable of surviving exposure to extremely low temperatures: PLoS One


研究グループはヌマエラビルを含めた7種のヒルを使用している。これらのヒルたちを−90ºCの冷凍庫および−196ºCの液体窒素に放り込んで丸一日間保存した後、室温に戻して生死判定を行った。結果は、ヌマエラビルのすべての個体がピンピンしており、その一方で他の種類のヒルたちは全員凍死していた。


ヌマエラビルの中には−90ºCの温度下で最長32ヶ月間生き延びるものがいた。また、−100ºCと+20ºCの凍結-解凍のサイクルを12回繰り返した後に生きている個体もいた。卵も凍結に強い。


通常、凍結耐性のある動物はゆっくりとした温度の低下を察知し、体が凍結に耐えられるモードに移行する。準備期間が必要なのである。しかし、ヌマエラビルの場合はこの準備期間なしの急速冷却による凍結がおきても問題はない。これが、ヌマエラビルの凍結耐性の大きな特徴である。


・生態学的には無駄


ヌマエラビルが寄生する野生のイシガメは、当然ながら、自然環境でこのような極端な低温にさらされることはない。もちろん、ヌマエラビルも同様である。通常、環境温度はきわめて大きな自然選択のファクターとなり、生物の進化適応に影響する。


すなわち、通常はある動物種の生存限界温度は、その種の生息環境の温度に左右される。ヌマエラビルの本来の生息環境の温度を考えれば、この極端な低温耐性は生態学的に無駄な能力といえる。


・凍眠


このヌマエラビルの凍結耐性に見られるような、1. 急速冷却による凍結でも耐える、2. 致死最低温度がなさそう、3. 生態学的に無駄な低温耐性、の3つの条件を備えた凍結耐性を凍眠(クライオバイオシス)とよぶ。いわば、究極の凍結耐性だ。


さて、ここまで読んできて多くの読者が「このヒルとクマムシ、どっちが強いの?」と疑問に思っているかもしれない。実際に、ネット上では以下のような意見もあった。


「クマムシは乾眠しないと低温に弱いが、ヌマエラビルは通常状態で低温に強い」
はいここテストに出ますよー。

『寒さに最も強い生物はヌマエラビル!?』 -196℃でも生存できるヒルが見つかったんだってさ: アレ待チろまん


これは、事実とちょっと違う。実は、クマムシも通常状態で超低温にべらぼうに強い。つまり、クマムシも凍眠能力を備えているのだ。体に水を含んだ通常状態の生クマムシが−253ºCの超低温に耐えられることが、1920年代に既に報告されている。また、毎分−30ºCという急速冷却速度で−196ºCにさらしても、個体の半数が生きられることも判明している。


だが、このヒル論文の中でも、「クマムシは通常状態では凍結に弱い」という記述がある。その根拠として、私たちの論文を引用している。


私たちが行った実験では、通常状態と乾燥(乾眠)状態の2通りのヨコヅナクマムシを試験管に入れ、液体窒素に直接放り込んだ。これは超急速冷却による凍結であり、どんなに凍結耐性の高い動物でも、大半は死んでしまう。この条件では、乾燥状態のクマムシはほとんどが生存していたが、通常状態のクマムシは20%そこそこしか生き残らなかった。まあ、この条件で20%の生存率というのはかなり立派なのだが。いずれにしても、この研究結果をもとにして「クマムシは通常状態では乾燥状態よりも凍結耐性が低い」と記述されている。


「ヌマエラビルだって、このようなやりかたで凍らせたら大半は死んでしまうだろう」。ツッコミを入れようと思いながらこのヒル論文を読んだが、「毎分−1000ºCを超える速度で凍っても平気」とのこと。驚きである。正直、悔しいが、ヌマエラビルは「凍結耐性」に関してはクマムシよりも上と認めざるをえない。


・凍結耐性と乾燥耐性


この凍眠の能力をもつ生物は、カラカラに乾いても死なない乾眠の能力をもつ場合がきわめて多い。すでに出てきたクマムシがそうだし、他にも一部の線虫やワムシにも凍眠と乾眠の両方の能力をもつ種がいる。



図. クマムシの乾眠と凍眠


凍結と乾燥は、お互いに似たようなストレスである。両方とも、細胞内からの脱水を引き起こす。つまり、凍眠も乾眠も同じようなメカニズムで凍結や乾燥による害に対処しているのだろう。


海や川や池に棲むクマムシは乾燥に弱く、乾燥すると乾眠に入れずに死んでしまう。その一方、乾燥にさらされる陸のクマムシは乾燥耐性が高い。乾燥耐性の度合いは、生息環境の水まわりの環境と密接な関係があるのだ。


クマムシや他の乾眠動物は、恒常的に水が存在する環境から陸に進出した際に乾燥耐性を身につけた。すると乾燥耐性のメカニズムを獲得した結果として、極端な凍結耐性、つまり凍眠能力も発揮されるようになった。そう私は考えている。


スピードスケート競技でオリンピック出場を目指してトレーニングしていたら大腿筋が鍛えられ、その結果として予期していなかった自転車競技でもオリンピックに出場してしまった橋本聖子氏と似ている。


・ヌマエラビルの謎


しかし、これだけ高い凍眠能力があるにもかかわらず、ヌマエラビルは乾眠能力がないという。1956年の古い文献(当時はヌマエラビルはシナエラビルとよばれていた)には乾燥耐性があるとされているが、完全に脱水すると死んでしまうようだ。


シナエラビルの耐乾性および水温による行動の変化と走触性: 採集と飼育


つまり、クマムシはヌマエラビルよりもはるかに高い乾燥耐性能力があるが、凍結耐性能力については逆になっているのだ。ヌマエラビルには(クマムシもだが)一般的な凍結保護物質がみられないとのことなので、かなり風変わりな凍結耐性のメカニズムがあるのだろう。もしかしたら、生体保護物質を生産するのではなく、組織や細胞の構造が他の生物と異なるなど、メカニカルなメカニズムが存在するのかもしれない。


・クマムシとヌマエラビルはどちらが強いか


ヌマエラビルは凍結耐性がクマムシよりも高いが、乾燥耐性はクマムシには及ばないというこ。ヌマエラビルについては放射線耐性や他の耐性も気になるところだ。だが、乾燥耐性がないということは真空では生きられない(もちろんクマムシは大丈夫)。ということは宇宙でも生きられないことになる(クマムシはやってのけた)。


私は、今回のヌマエラビル論文の著者グループとは顔見知りなので、あまりカドを立てたくない。だが、あえて結論をいわせてもらうと、トータルで考えれば、やはり圧倒的にクマムシの方が強いといわざるをえない。あと圧倒的に可愛い。

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