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クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

【書評】『パワー・エコロジー』生態学者たちの青春研究冒険譚集

科学・研究 書評


パワー・エコロジー: 佐藤 宏明, 村上 貴弘 編


私は大学院生時代、動物生態学の研究室に所属していた。北海道大学大学院の地球環境科学研究科の東正剛(ひがしせいごう)研究室だ。本書「パワー・エコロジー」は、この東研究室に学生として所属していた研究者らの青春研究冒険譚集である。


東正剛教授は「正剛」の漢字2文字が示すように、たいへんコワモテな外観の研究者である。歳とともに柔和になっていったが、私が学生の頃は、その威圧感から、そばにいるだけで緊張したものだ。本書の表紙の中心にマリオ風に描かれているのが、東教授だ。ちなみに、表紙には私も描かれている。




背表紙にはクマムシさんの姿も。


東研究室のモットーである「クマムシからクマまで」が表すように、各学生の研究対象動物はきわめて多様性に富んでいた。東教授はアリをはじめとした社会性昆虫が専門だったが、テングザルやマレーグマなどの大型ほ乳類を研究する学生も多かった。他にもオオタカやタンチョウなどの鳥類や、イトウという幻の魚を扱う先輩もいた。野外に出かけて調査を行うフィールド系の研究が、研究室の強みだった。


生物学の研究をスムーズに行うためには、データの解析に必要となるサンプルの数(N)をいかに容易に集めるかが重要になってくる。野外で見つけにくいレアな動物を研究対象にすることは、この基本原則に反する。このような対象生物を研究していた学生の中には、当然の結果として、データがなかなか集まらずに博士課程4年目、5年目、6年目に入る者もいた。博士課程で研究するには大きすぎるリスクを伴うテーマを選ぶ学生が多かったわけだが、裏を返せば、研究室員が自分の対象動物にとことん惚れ込んでいた証左でもある。ほぼ野生動物のようになってしまった研究室員もいた。


将来の生活がどうなるのかは、分からない。でも今は、この動物をとことん追いかけていたい。東研究室には、そういう「いきものぐるい」の人々が集まる引力があった。当然だが、その引力の中心にいたのは、東教授である。


フィールド系の研究室というのは、体育会系になりがちなきらいがある。そして、本研究室は絵に描いたような体育会系集団であった(私は違ったが)。頻繁に開かれる飲み会は朝まで続き、泥酔した腕白研究室員によって備品が破壊されることも稀にあった。研究室内はあまり清潔でない部室チックな雰囲気が漂い、本棚には漫画喫茶のごとく多数の漫画本が並んでおり、やや退廃的ながらもくだけた感じが、不思議なやすらぎをもたらしてくれた。古びた黒いソファーには、いつも誰かが疲れ果てて寝ていた。


そんな東研究室が掲げていた標語が、本書のタイトルでもある「パワー・エコロジー」である。パワー、つまり、力を使った生態学だ。いくら机上で仮説を考えていても、野外にいる動物の実際の生態は分からない。自分の身体を使って野外でとことん観察し、データをとることが大切なのである。そして、研究室員たちは世そのあり余るパワーで界中の場所をフィールドとしていた。東教授ももちろんその例外ではなく、その調査域はアフリカや南極まで及んだ。


私がクマムシの研究を始めたときもやはり、このパワー・エコロジーの教義に従い、研究対象の採集に奔走した。100以上の地点でコケなどを採取しては、その中にどのようなクマムシが棲息しているかを調べた。そして、そのうちの1地点からみつかったヨコヅナクマムシは現在、極限環境動物の重要なモデルとしての地位を築きつつある。パワー・エコロジーの教えが無ければ、この生物にも出会えなかったかもしれないのだ。


私がクマムシ研究に没頭していたのを、適度な距離を保ちつつ見守ってくれた東教授には、今でもたいへん感謝している。


ということで、本書を通し、一人でも多くの方に、よい意味でネジの外れたパワフルな研究者たちがいることを知っていただければ幸いである。本書の目次は以下の通り。

パワー・エコロジー


目次

はじめに

序章 生態学の躍進 ─ その目指すもの(大原 雅)


第一部 世界中にフィールドを求めて
1 アリの農業とヒトの農業 ─ 南米で進化!?(村上貴弘)

2 ボルネオ・サル紀行 ─ 妻と一緒に,テングザル研究(松田一希)

3 アフリカで自然保護研究の手法を探る(小林聡史)

4 豪州蟻事録 ─ 大男,夢の大地でアリを追う(宮田弘樹)

5 土壌動物学徒の南極越冬記(菅原裕規)


第二部 多様な生物を求めて

6 海産緑藻類の繁殖戦略 ─ 雄と雌の起源を求めて(富樫辰也)

7 いじめに一番強いモデル動物,ヨコヅナクマムシ(堀川大樹)

8 真社会性と単独性を簡単に切り替えるハチ,シオカワコハナバチ(平田真規)

9 アルゼンチンアリの分布拡大を追う(伊藤文紀)

10 潜葉性鱗翅類で何ができるか ─ 独創性との狭間のなかで(佐藤宏明)

11 幻の大魚イトウのジャンプに導かれて ─ 絶滅危惧種の生態研究と保全の実践記録(江戸謙顕)

12 モズとアカモズの種間なわばり ─ 修士大学院生の失敗と再起の記録(高木昌興)

13 タンチョウに夢をのせて(正富欣之)

14 エゾシカの遺伝型分布地図が語ること ─ 野生動物管理に貢献する保全遺伝学(永田純子)


Amazonの在庫も残りわずかなようなので、注文はどうぞお早めに。


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