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クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

バッタに憑かれた男との出会い



写真: 前野ウルド浩太郎博士


バッタに憑かれた男こと、バッタ博士の前野ウルド浩太郎氏がメレ山メレ子氏主催の昆虫大学に出演するらしい。


11/17(土)・18(日)神田の旧電機大校舎にて、虫の魅力をプロに学ぶイベント「昆虫大学」開講します!: メレンゲが腐るほど恋したい


他にも多くの昆虫専門家が講義をするそうなので、興味のある方は立ち寄られてみるとよいだろう。


そしてバッタ博士、近々バッタ本まで出版するようだ。2013年はバッタ博士がブレイクする年になるかもしれない。


このブログでバッタ博士を紹介してからというもの、その強烈さが巷でウケて、結婚願望を抱く血迷った女子まで出現する始末である。何かがおかしい。何かがおかしいのだが、そんな女子はバッタ博士の一挙手一投足が気になって仕方がないのだ。


ということで、この奇妙な需要に答えるべく、私がバッタ博士と初めて会った時のエピソードをここに一部紹介したいと思う。


あれは私がまだ大学院生だった2004年4月、札幌からつくばの農業生物資源研究所のネムリユスリカ研究グループに研究室見学に訪れたときのことであった。


当時、ネムリユスリカ研究グループとバッタ研究グループは同じ研究ユニットに属しており、そこに前野氏がいたのだ。彼もまだ大学院生であった。


秋田弁なまりのしゃべり方が、彼の純朴さを醸し出していた。彼はTシャツに短パン、そしてビーチサンダルを履いていた。第一印象は、やんちゃな小学生が少し大きくなった感じ、といったところだった。


そしてこの時から8年を経て30歳を過ぎた現在も、彼の外見にはあまり変化が見られない。


その彼が、私をサバクトビバッタの飼育室に案内してくれた。飼育室にはバッタの餌となる草の匂いで充満しており、ケージの中には巨大なサバクトビバッタたちが勢いよく草を食べていた。その様子は、アフリカで起こっているバッタによる農業被害がミニチュアで再現されているかのようだった。


実は私も大学4年生のとき、サバクトビバッタの研究をしようか迷ったことがあった。前野氏のボスである田中誠二さんの名前も、その時から知っていた。その話を前野氏にすると、「まじっスか?!」とやや興奮して嬉しそうにしていた。そして、


「そうだ、堀川さんにおみやげあげるっスよ!」


前野氏はそう言いながら、プッチンプリンのカップのようなプラスチック容器を持ってきた。容器の中には、何やら茶色い物体が密に詰まっていた。


「オレ、毎日毎日ここでぬけがら集めてるんスよ。オレの趣味っス。これ、あげるっス!」


プラスチック容器に入ったたくさんのサバクトビバッタのぬけがらを、おみやげとしてオファーしてきた前野氏。このサバクトビバッタのぬけがらは、日本ではまず手に入らないレアな代物だ。


しかし、私はこれを札幌に持ち帰った後、どうしてよいかイメージできなかった。一つ一つのぬけがらは紙切れのように薄っぺらくなっており、バッタの原形をとどめていない。鑑賞するにしても、イマイチ物足りない。


だが断るのも、なんだか悪い気もする。かといって、持ち帰っても仕方がないものをもらっても無駄になる。前野氏の大事なコレクションを無駄にするのも、申し訳ない。


そして気づいたのだ。私は確かにバッタが好きではあるけれども、私の「好き」と前野氏の「愛している」との間には、超えられない壁があるということを。それはノーマルとアブノーマルの間の隔たりと言っていい。


実際、前野氏はバッタのぬけがらを鑑賞だけでなく匂いを嗅いで楽しんでいることが後に判明した。凡人には理解不能なバッタのぬけがらの楽しみ方である。


結局私は、バッタのぬけがらの受け取りを拒否した。そしてバッタの飼育室に気まずい空気を残したまま、私はつくばを後にした。


この5ヶ月後の2004年9月、私は札幌からつくばに引越し、農業生物資源研究所でクマムシの研究を始めることになった。実験室では、そばにいつも前野氏がいた。そしてある日の真夜中、彼のあの奇行を目撃にすることになるのだった。


このバッタ博士のエピソードについては、私が発行するメルマガ「むしマガ」(月額840円・初月無料)にて順次配信していく。バッタ博士の奇妙なエピソードを知りたい風変わりな方は、本メルマガを登録して読んでほしい。


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