クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

もう一度言おう。日本のアカデミアの将来はきっと明るい。

前回の記事には予想外に多くの反応がありました。それだけ多くの人々が、アカデミアの行く末を案じているからでしょう。


私の記事内容に賛同する人も多かった一方で、アカデミアの将来は明るくないのではないか、と危惧する意見もありました。


日本のアカデミアの将来は明るい、か?: lochtextの日記

過当競争に喘ぐ日本のアカデミアと、その明るくない展望と: 大「脳」洋航海記


これらの記事での主張は、こうです。アカデミックポストをめぐるハイレベルな競争が続いているため、大方の博士号取得者は専任研究者になれる見込みがない。よって、優秀な学生も博士課程進学を敬遠してしまい、将来はむしろ優秀な人材が不足するためにアカデミアのレベル低下を招く、というものです。


確かに賢明な学生がリスクを回避し、博士課程進学者がここ数年減少しているのは当ブログの前回記事でも述べた通りです。しかし、アカデミアで研究者になることを目指して博士課程に進学する学生の動機を考えた時、ひとつ忘れてはならない大事なことがあります。


それは、「研究者」というヒーローにも似た存在への憧れです。そして、その憧れは多くの場合、最も身近な研究者である指導教官に対して抱くものです。この先生に一歩でも近づきたい、将来はこの先生のようになりたい、と。


ちょっと考えてみれば分かります。もしあなたが入った学部や大学院修士課程での指導教官が、業績をばんばん出していて研究室を盛り上げている人だった場合と、5年間に論文を1本くらいしか書かず、研究の話をしても面白みも熱意も感じられない人だった場合、あなたの研究活動への意欲のかき立てられ方は全く別物になるはずです。


高い業績を持つ専任研究者が増えているということは、学生にとってのヒーローが増えているということに他なりません。私の知る限り、優秀な研究者は人間的な魅力があり(人格者という意味ではありません)、話をしても面白い人が多いです。変人率が高いのももちろんです。そして、そんな研究者には自然と、モチベーションが高かったり、ちょっと変わった学生が集まってくるものです。スタンド使い同士が惹かれ合うように。


モチベーションのある学生を優秀な研究者に育てられるかどうかは、その学生の指導教官の研究能力に大きく依存します。どんなに元が優秀な学生でも、指導教官に恵まれなければ平凡な研究成果しか出せないでしょう。逆に、素質は平凡でもモチベーションの高い学生が優秀な指導教官の指導を受ければ、大学院生の間から高い成果を出すことも可能です。もちろん、将来優秀な研究者に育つ可能性も大いにあります。


そして、このようにして育った優秀な大学院生が博士号を取得し、アカデミアの公募マーケットに参入していきます。このような形で競争はハイレベルなまま保たれ、新たにポストを獲得した優秀な変人研究者が、変人大学院生を指導することになります。このような変人ポジティブフィードバック(HPF)が、前回の記事で「優秀な研究者が生み出され続ける循環システム」と表現したことそのものです。


優秀な研究者の弟子や孫弟子も優秀であるということは、国内外でよく見られることです。ノーベル賞受賞者の弟子がまたノーベル賞を獲ることもよくあります。つまり、日本のアカデミアがいったん多くの優秀な研究者で占められるということは、その後しばらくの間、優秀な人材が輩出されやすくなることを意味します。魅力的になった日本のアカデミアには、海外からの留学生数も増加することでしょう。


このようなわけで、今後しばらくは変人院生以外の「賢明な」学生がリスクを避けるために博士課程進学者数は減少するものの、上述の理由からアカデミックポストをめぐる競争はハイレベルなまま維持され続けるでしょう。公募をもっと国際的にし、外国人の応募も促進できるようにすれば競争も多様性も高まりなお良いと思います。


博士課程の募集を凍結した方が良いという意見も目にしますが、これには反対です。博士課程の入学者が多すぎると教官一人当たりの負担が増えるのでまずいですが、博士課程入学者をゼロにしてしまえば人材供給を絶つことになり、競争レベルが低下してしまいます。これは私から言わせればナンセンスです。そんなことよりも、現在テニュアのポストに就いていてポスドクの倍くらいの給料を貰っておきながら、過去何年も全く業績を出していないような研究者をクビにするシステムを作るべきでしょう。


ところで、そもそもリスク云々と言いますが、今のポスドク世代が博士課程に進んだ時代でも、その前の時代でも、専任の研究者になれる確率というのはきわめて低かったことに違いはありません。今よりマシだった、という程度です。いつの時代でも、リスクを承知で研究者になりたくて博士課程に進む人はいるものです。


プロスポーツ選手の場合、成功する確率はとてつもなく低いですが、それでも輝けるヒーローがいるスポーツ競技では、そのヒーローに憧れてリスクを覚悟の上で参入してくるプレーヤーが一定数います。アカデミアでは今、若くて優秀な研究者=ヒーローが次々と生まれているまっただ中なのです。


というわけで、もう一度言います。


日本のアカデミアの将来はきっと明るい、と。


【参考資料】

博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? 榎木 英介 著


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