クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

【書評】『現代免疫物語』

少し前になりますが、2011年のノーベル賞受賞者が発表され、ノーベル生理学医学賞には免疫学において大きな貢献を残した米仏の3氏が選ばれました。

受賞対象となった自然免疫の分野でエクセレントな業績を残した大阪大学の審良静男教授が受賞されなかったのは残念ですが、その業績の価値は受賞したボイトラー博士とホフマン博士のそれと比肩するものです。

私は免疫学とは遠く離れた分野の研究をしているので、免疫に関する知識ははるか昔に大学の講義で身につけた程度で、しかもほとんど忘れてしまいました。ですので、シンポジウムなどでたまに免疫に関する研究発表を聞いても、登場する細胞や分子の種類の多さと、それらの役者たちの免疫ネットワーク上での関係性を把握しきれずにチンプンカンプンの状態が続いていました。

そこで、今年のノーベル賞を機に、免疫学の入門書を読んでみようと思い本書を手にとりました。本書の著者の一人は、免疫学の世界的権威で、審良静男教授のお師匠さんでもある元大阪大学総長の岸本忠三博士です。



現代免疫物語 (ブルーバックス)
現代免疫物語 (ブルーバックス):岸本 忠三 中嶋 彰 著


本書では、花粉症や臓器移植など免疫が関わるさまざまな場面をとりあげながら、平易な表現を交えつつ、体の中で起こっている仕組みを非常に分かりやすく解説しています。

19世紀に始まった血清療法から各種インターロイキンの働きまで幅広く触れているため、入門書としては十分でしょう。また、新しい科学的発見がなされる過程のストーリーも、各々の研究者にスポットを当てて臨場感たっぷりに描かれています。

そして本書を通して最も印象的なのは、同じ分野でしのぎを削る研究者同士の激しい戦いのエピソードの数々です。

私自身は「クマムシの極限環境耐性」というかなりニッチなフィールドを住処としていますが、それでもやはり世界にライバルがいるし、研究内容がピンポイントでかぶってしまうこともあります。免疫学という巨大な学問分野内での競争ともなれば、まさに生き馬の目を抜くかのごとく想像を絶する熾烈さとなります。

そんな熾烈さを良く表しているエピソードの一つに、赤血球増多因子の特許権をめぐる争いがあります。

1977年、熊本大学の宮家隆次博士と米国シカゴ大学のゴールドワッサー教授は、共同してこの因子を抽出・生成することに成功しました。もともとは、宮家博士が再生不良性貧血症患者の尿中に赤血球増多因子があると推測し、その尿サンプルをゴールドワッサー教授の研究室に持ち込んだことが共同研究の発端でした。

赤血球増多因子はその名の通り赤血球を増やす因子で、貧血に効果的な治療薬として期待できます。この赤血球増多因子が巨額のマネーを生み出すと睨んだ二つのバイオベンチャー企業が、宮家博士とゴールドワッサー教授に近づきます。しかし、何か意見が合わなかったのか、宮家博士はジェネティクス・インスティテュート社と、ゴールドワッサー教授はアムジェン社と別々に協力して赤血球増多因子の商業化に向けた研究を開始します。

そして、宮家博士とジェネティクス・インスティテュート社は赤血球増多因子タンパクに関する詳細な情報を特許として出願し、ゴールドワッサー教授とアムジェン社は赤血球増多因子産生に必須な中間物質の遺伝子を出願しました。両社は5年間にわたって特許係争を行うことになり、結果、アムジェン社の勝利に終わりました。アムジェン社は、2010年には150億ドルの売上高を誇る巨大企業へと成長しています。

私たちが現代医療の恩恵を受けられるのは、No.1を目指す研究者たちの競争の結果によるものだということを、忘れないようにしたいものです。