クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

【書評】昆虫研究者に囲われた、セクシーすぎる愛人たちの図鑑『きらめく甲虫』

きらめく甲虫:丸山 宗利 著


「これまでの昆虫図鑑の概念を覆した」。本書のことを、こう紹介しても過言ではないだろう。従来の昆虫図鑑では体現できなかった、圧倒的な質感と光沢。本書では、各ページがひとつの標本箱、いや、宝石箱になっている。その中にそっと指を入れれば、掴めてしまいそうな、きらめく虫たち(実際に、本書に印刷された虫を本物だと勘違いし、一生懸命に指でつまもうとしていた幼児がいた)。


ページをめくるごとに、たしかな質量をそなえた昆虫たちが浮き出る。虫たちの容姿は、リアルを通り越して、セクシーな領域にまで達してしまっている。これだけのクオリティーにもかかわらず、本書は驚愕の1300円(税抜)。私は書店で本書を見て、購入を即決した。


これらの艶かしいモデルたちをコレクションし、撮影したのが、ベストセラー『昆虫はすごい』(光文社新書)や『アリの巣をめぐる冒険』(東海大学出版会)の著者でもある丸山宗利氏だ。九州大学総合研究博物館で昆虫分類学研究に従事する、新進気鋭の研究者である。


生物学の分野で大学教員になるのは難しい。昆虫分類学のように博物学的な要素を含む研究分野では、用意されているポジションはとりわけ少ない。競争を勝ち抜いてプロの研究者になる難易度は、さらに跳ね上がる。それを承知で、昆虫分類学研究者として一旗揚げようとする著者のような人間は、尋常ならざる昆虫愛を抱いていなければ、とてもではないが、この世界ではやっていけない。言い換えれば、著者は誰よりも昆虫を愛しすぎた人物なのだ。


昆虫研究者にとっての昆虫とは、すなわち愛人に等しい。誰も邪魔の入らない密室の中で、自らが囲う愛人たちをファインダー越しに愛しながら、慎重にシャッターを切ってゆく昆虫研究者。そんな著者に撮られたからこそ、被写体の虫たちからは性的魅力すら立ちのぼってくるのだろう。撮影機材に特殊なもの使ったのかと思いきや、そういうことはなく、撮影時に光の当て方を工夫して立体感が出るようにしたそうだ。なるほど、地道に培ってきたそんなテクニックも、被写体にさらなる性的魅力をもたせる秘訣だったのである。


もちろん、昆虫たちの迫力ある質感を体現したのは、印刷技術による貢献も大きい。昆虫に取り憑かれた著者と、高度な印刷テクノロジー、そして、出版社の熱意が合わさって、奇跡的な一冊が生まれたのかもしれない。本書はいずれ電子版でもリリースされるかもしれないが、おそらく、紙版のクオリティーには及ばないだろう。本書は、紙の本のさらなる可能性をも感じさせてくれる。


さて、タイトルにある通り、本書は昆虫の中でも甲虫のみを収録している。ご存知の方も多いと思うが、昆虫は地上で最も繁栄している生物群である。その昆虫の中でも甲虫はとくに栄えており、約37万種が知られている。甲虫にはカブトムシやクワガタムシを含むコガネムシ上科をはじめ、オサムシ上科、タマムシ上科、ゾウムシ上科、そして、カミキリムシ上科が含まれる。甲虫が栄えた大きな要因として前翅の硬化が挙げられる。昆虫の他のなかまは二対四枚の羽を使って飛ぶが、甲虫では硬化した前翅二枚は飛翔には使わず、後翅二枚のみで羽ばたく。前翅は後翅を収納・保護する。これにより、天敵から身を守ったり、土の中を潜ることが容易になり、地上の様々な環境に適応することができた。


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プラチナコガネ


種数の多い甲虫だけあり、形態のバリエーションも豊富だ。とりわけ、熱帯地方にはメタル感あふれるきらびやかな色彩を放つ種類が多い。これらの金属光沢は構造色といい、光が当たると発色する。表面の微細構造によって異なる光の波長を反射するため、部位によってさまざまな色に見えるわけだ。人々を魅了してきたこれらのきらめく甲虫たち。種類によっては、高値で取引されることもある。中南米に棲息するプラチナコガネなどは個体数も少なく、重量あたりの取引金額は金よりも高いとか。

ここで、本書に収録されている200種類のうち、私の独断と偏見で選んだかっこいい甲虫ベスト5を発表したい。


第5位 サザナミマダガスカルハナムグリ
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マダガスカル産だが、まるで北斎の作品のようなさざ波模様が粋。


第4位 ニジモンカタゾウムシ
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いきいきとした水玉模様がグッド。


第3位 キラキラアラメムカシタマムシ
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正真正銘のキラキラネーム甲虫。渋くて重厚な色合い。


第2位 イボカブリモドキ
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背に施された突起物がグロ・クール(グロくてクール)で素敵。


第1位 ヤマトタマムシ
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やっぱり日本人にとってヤマトタマムシは永遠のあこがれ。

みなさんも、ぜひ本書の甲虫たちを堪能し、マイベスト甲虫を選定してみてほしい。


ところで著者によると、甲虫の新種は毎年何千も記載されるらしい。それだけ、まだ多数の虫たちが人知れず地上のどこかに潜んでいるわけだ。生物分類学は未知だった生物を全人類に紹介し、さらに科学の俎上に乗せるという、大事な役割をもつ。この学問を蔑ろにすると、そこから先の基礎研究と応用研究は立ち行かなくなる。我が国の現政府は実利的研究以外の分野に冷や水を浴びせようとしているが、著者のような研究者が今後育たなくなれば、我が国の科学研究は土台がもろく先細ったものになってしまうだろう。人類が集合知を作り上げていく上で、今後も著者のような存在は欠かせないのである。

ツノゼミ ありえない虫:丸山 宗利 著


さて、著者によるツノゼミの図鑑もおすすめだ。生存に必要なさそうな、極端な形。こんなありえない形態がなぜ進化したのかを想像するのも楽しい。


昆虫はすごい:丸山 宗利 著


※本記事は書評サイトHONZに寄稿したものです


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【書評】我々は特別な存在か。宇宙的バランス感覚を養う一冊『生命の星の条件を探る』

生命の星の条件を探る:阿部 豊 著


生命の星、地球。都会のようなコンクリートジャングルにおいても雑草が茂り、アリたちが闊歩する。足下をふと見れば道路の片隅にコケが生育していて、そのコケの中にはクマムシがいる。朝晩の電車に乗り込めば、無数のホモ・サピエンスと接触する。生物はそこに居て当然。そんな風に私たちは感じてしまう。だが、地球以外の天体に由来する生命体は、現在までまだ見つかっていない。はたして、生命を育んでいる惑星は、この広い宇宙で地球だけなのだろうか。


生命体が棲息する環境がどのようなものかを考えるとき、もっとも参考になるのは、私たちを育んでいるこの地球の環境である。ある惑星が地球と同じような環境であれば、そこには生命体が居てもおかしくない。もちろん、地球型の生命体とはまったく異なるタイプの生命体も、宇宙のどこかにいるかもしれない。だが、そのような生命体はあくまで空想上の産物にすぎず、実際の探査や検出を行なおうにも、その手段がない。地球生命体という格好のお手本がここにある以上、同じタイプの生命体がいそうな環境を推定するのが合理的である。


生命が棲めるような環境範囲をハビタブル・ゾーンとよぶ。これは具体的には、「液体の水」が存在できる環境範囲のことである。液体の水がある星は、どのような条件を備えているのだろうか。これこそが、本書のテーマである。本書の著者である東京大学理学系研究科の阿部豊准教授は、なぜ地球が生命を培う惑星となったのかを、多角的な視点で検証している。地球の成り立ちにかかわる役者がリレーのように登場し、本書は一冊が壮大なミステリー小説の様相を呈している。


本書を通してわかるのは、我々が想像する以上に、地球が絶妙なバランスで成立してきたということだ。微惑星や原始惑星どうしの衝突を繰り返し、46億年前に地球ができあがったと考えられている。このときに地球が水を獲得できたことが、生命の惑星となるための最初のステップである。太陽からの距離も、地球表面の水が液体で存在できる範囲内に、ちょうどおさまっている。さらに、地球のサイズが適度に大きかったため、重力により大気をとどめておけたのも幸運だった。


太陽からの距離が同じだとしても、もし太陽が現在よりも大きすぎたり小さすぎたりすれば、太陽放射の強度が変化して地球上に液体の水が維持されなかったかもしれない。地球が小さすぎれば大気は宇宙空間へと逃げてゆき、温室効果が失われて凍てつく惑星となってしまうだろう。また、太陽系の他の惑星が今よりも大きければ、重力の影響で地球が太陽系からはじき飛ばされていた可能性もある。とてもではないが、生命が生まれるような惑星にはなっていなかった。


さらに意外なことに、地球上が水一面で覆われていても、生命にとって不都合な環境になるという。


二酸化炭素は温室効果ガスとして地表を暖める効果があるが、この二酸化炭素の循環もほどよい具合に保たれている。火山活動により地中内部から大気に放出される二酸化炭素と、大気中から炭酸塩に固定される二酸化炭素が釣り合っているのだ。地表を現在の気温に維持するのに重要な働きを担うのが大陸の存在であると、著者は主張する。もしも地球に陸地がなく、一面が海に覆われていたとしよう。大気中の二酸化炭素は陸地で炭酸塩に固定されるため、大陸がなければ地中から放出されて大気にとどまる二酸化炭素の量が増え、温室効果により気温は60〜80ºCになるかもしれないという。現存の微生物の中にはこのくらいの温度でも生きられるものもいるが、少なくともヒトが生きられるような環境ではない。


現在の地球は、この惑星の内外の奇跡的なバランスのもとに成立し、我々はおだやかな環境の恵みを享受できているのだ。だが、著者は地球を「奇跡の星」と呼びたくないという。たしかに、銀河系だけでも恒星が1000億個あると言われており、確率論でいえば生命を育む惑星が存在しないほうが不思議である。もっと言えば、知的生命体を宿す惑星だって存在しうる。ケプラー宇宙望遠鏡の活躍により、太陽系の外にある系外惑星の発見も相次いでいる。観測技術の発展により、実際に液体の水を有する惑星が近いうちに発見されるかもしれない。いや、その前に、木星の衛星エウロパや土星の衛星エンセラドゥスへの探査で生命体が見つかるのが早いだろうか。地球外生命体をめぐるロマンは尽きない。


ところで、この地球とて、いつまでも我々にとって都合のよい惑星であり続けることはできない。10億年後には太陽の温度が上昇し、地球への太陽放射が10〜15%増大することが予想されている。そうなれば地球上の温度はなんと1000ºCを超える高温になってしまう。太陽とのバランスが少し崩れることで、この生命の星もいずれは終焉を迎えるのである。こうして宇宙に思いを馳せながら読書を愉しみHONZにレビューを書けるのも、いまの地球がハビタブル・ゾーンにあるからこそ・・・。なんだか感慨深くなってしまった。いずれにしても、本書は宇宙的バランス感覚を養うのに絶好の一冊である。


地球外生命を求めて:マーク・カウフマン 著


人類による地球外生命体探索のこれまでを綴った良書。宇宙生物学者への取材も豊富になされており、臨場感が伝わってくる。


生命はなぜ生まれたのか―地球生物の起源の謎に迫る:高井 研 著


こちらは微生物学者による生命の起源についての考察。最近、この著者はエンセラドゥスへの探査も画策しているようだ。


※本記事は書評サイトHONZに寄稿したものです

【書評】松尾芭蕉マニアもいる?!等身大の北朝鮮がみえてくる『実録・北の三叉路』

実録・北の三叉路:安宿 緑 著


本書は北朝鮮系の人々を描いたノンフィクションである。北朝鮮、といっても、日頃の報道番組が扱うような、政治的な話にフォーカスしたものではない。スポットライトが当てられているのは、北朝鮮に暮らしていたり、北朝鮮にルーツをもつ、いたって普通の人たちだ。ふだん知られることのない彼らの日常が、本書では実にいきいきと語られている。


ベールに包まれている北朝鮮系の人々にアクセスし、取材をすることは容易ではない。本書が日の目を見たのは、著者の生い立ちと経歴によるところが大きい。
本書の著者は朝鮮北部の父と在日韓国人2世の母をもつ、いわゆる在日コリアンである。日本の朝鮮学校に通い、あの朝鮮総聯で働いていたこともある。北朝鮮に親類がいるため、90年代から訪朝を繰り返し、現地の人々との交流も続けてきた。現在は日本で雑誌のライターをしつつ、北朝鮮情報を自身のブログで発信している。著者のどこかとぼけた筆致のせいだろうか、やや深刻な話題であってもなぜか笑いを誘ってしまうことも。


朝鮮学校時代の著者は、使命感に燃えて朝鮮労働党員になる夢を抱く。だが、著者のようなタイプの生徒は稀で、クラスメメイトはいわゆるヤンキーが多く、「祖国愛」に拒否反応を示すタイプが大半だったという。著者はそのままの調子で模範生として成長し、朝鮮総聯にも務めることになる。


朝鮮総聯在任中のある日、拉致被害者が帰国することになった。それまで「いない」と信じ込んでいた拉致被害者の存在を突きつけられた、著者を含む朝鮮総聯関係者。当時の彼らの反応も実に生々しく、人間らしさが漂う。

北朝鮮に住む中学生、案内人、軍人など、さまざまな人々と交流したエピソードも、写真とともに紹介されている。笑顔でおどけている北朝鮮人の姿は、それだけで新鮮に感じてしまう。これも私たちがふだん、ネガティブ一色の北朝鮮報道に馴れきっているためだろう。


北朝鮮に住んでいる一般人が日本をどのように思っているのかも興味深い。北朝鮮は国家をあげて日本を敵対視しときに激しく罵倒するが、一般市民が日本のことを深く憎しんでいたりすることはないようだ。むしろ、日本製品や日本食が好きだったり、ポジティブなイメージすらあるという。松尾芭蕉マニアの作家もいるくらいだ。


ただ全体的には、北朝鮮人は日本に対してそれほど高い関心はないらしい。その一方で、韓国の話題になると皆すごい形相になるという。隣国に対する高いライバル意識がうかがえる。


本書を読み終えた後には、北朝鮮という国が単なる記号ではなく、そこに暮らす、私たちとかわらない普通の人々が一体となったひとつのコミュニティーであるという、当たり前のことに気づかせてくれる。マスメディアでは知ることのできない北朝鮮を知りたい人に、本書を強くおすすめしたい。


BBCが行った世論調査によると、2012年時点で北朝鮮に対してポジティブな印象をもつ日本人の割合はわずか1パーセントだったのに対し、ネガティブな印象ををもつ割合は88パーセントだった(日本を除く21カ国の北朝鮮への印象は、ポジティブ19パーセントに対してネガティブ49パーセント)。依然として、日朝の間に横たわる溝は深い。国単位の外交だけではなく、市民ベースでの相互理解が、両国の関係改善につながるのだろう。


※本記事は書評サイトHONZに寄稿したものです