クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

蓮舫氏の二重国籍問題と国籍法

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※写真は本記事の内容とは関係ありません


民進党の蓮舫氏が保持している国籍状況が話題になっている。クマムシとは関係ないが、重国籍に関する備忘録として、本件について記そうと思う。


・重国籍になる可能性


父母が日本人と外国人の組み合わせをもつ子どもは、日本と外国の二重国籍になりうる。たとえこのような条件でも、外国側での手続きをしなければ、この子どもは外国国籍は有さず、日本の国籍しか持たないこともありうる。ただ、このような場合でも、所定の手続きをすれば、後から外国国籍を取得することは可能だ。


また、アメリカのように出生地主義を採用する国では、生まれた国の国籍も取得することができる。父が日本人で妻が台湾人の子どもがアメリカで生まれた場合、日本、台湾、アメリカの3つの国籍を取得できる可能性がある。


・日本国籍を選択する場合の手続き


日本の国籍法によると、未成年のうちに重国籍を持った場合は22歳までに、成年後に重国籍になった場合はその時から2年以内に、どちらかの国籍を選択しなければならない(国籍法第14条第1項)。


ここで、もし期限内に上に挙げたいずれかの方法で国籍の選択をしなかった場合は、法務大臣が当事者に国籍選択の催告をすることができる(国籍法第15条第1項)。そして催告を受けた日から一月以内に日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失うことがある(国籍法第15条第3項)。


蓮舫氏の件に関して、菅義偉官房長官が「外国の国籍と日本の国籍を有する人は、22歳に達するまでにどちらかの国籍を選択する必要があり、選択しない場合は日本の国籍を失うことがあることは承知している」と述べているが、これは国籍法のこの部分を指している。


とはいえ、仮に法務大臣から催告が来たとしても、役所では当事者が本当に重国籍をもつかを確認するのは難しい。このような理由によって日本国籍の剥奪が行われることは、現実にはほぼないようだ。


ここで日本国籍を選ぶやり方には、次の2つの方法がある。


1. 外国の国籍を離脱する


このやり方では、外国の法令に従ってその国の国籍を離脱する手続きをとり、これを証明する書面を市区町村役場または大使館・領事館に外国国籍喪失届をする(戸籍法106条)。こうすれば、国籍は日本国籍のみとなり、日本国籍の選択が完了する。


2. 日本の国籍の選択の宣言をする


一方で、こちらのやり方では、「日本の国籍を選択し、外国の国籍を放棄する」旨の国籍選択届を市町村役場または大使館・領事館に提出することで、日本国籍の選択が完了する(戸籍法104条の2)。


ただし、日本国籍選択の宣言により日本国籍を選んだ場合、外国国籍の離脱・喪失については国籍法で強制していない。あくまでも、「外国国籍を喪失していない場合は、外国国籍の離脱の努力をすること」という、あいまいな宣告にとどまっている(国籍法16条1項)。


この一連の流れを説明するのが、下の図である。


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国籍Q&A:法務省より


つまり、この2番目のやり方で日本国籍の選択を完了させた場合は、積極的に外国の国籍を離脱・喪失する手続きを行わない限り、重国籍のままとなる。だが、それでも国籍法の選択義務は履行したことになり、国からあらためて催告を受けることもない。


・蓮舫氏のケース


蓮舫氏のケースを見てみよう。蓮舫氏は1967年に台湾人の父と日本人の母のもとに出生したとされる。この時点での日本の国籍法は、父が日本国籍をもつ場合のみ、その子どもも日本国籍を取得できると定めていた。蓮舫氏は出生してからしばらくの間、日本国籍を持っておらず、台湾国籍のみを有していた。


1985年1月1日に国籍法が改正され、父だけでなく、母が日本国籍をもつ場合でも、子どもが日本国籍を取得できるようになった。この改正された国籍法が施行されてから出生した子どもはもちろんのこと、1965年以降に出生し、出生時に母が日本国民であり、申請時も日本国民である場合は、1988年1月1日までに法務大臣に届け出れば、日本国籍を取得することができた。


蓮舫氏は1967年に出生しており、まさにこのケースに当てはまる。本人によると、1985年、蓮舫氏が17歳のときに、日本国籍を取得したとされる。これは国籍法の改正に伴い、日本国籍の取得を申請したためと思われる。


この時点では、蓮舫氏は台湾国籍を喪失しておらず、二重国籍であった可能性がある。蓮舫氏はこのときに未成年だったので、日本国籍を選択する際には、上述したように1. 台湾国籍を離脱するか、2. 日本国籍選択の宣言を22歳までにする必要がある。国籍選択は、1985年1月1日以降に重国籍となった国民が対象となるので、蓮舫氏にも当てはまる。


蓮舫氏によれば、同じ1985年に台北駐日經濟文化代表處(台湾と国交のない国(たとえば日本)との窓口機関)に父親と出向き、台湾国籍の離脱・喪失手続きをしたという。もしこの手続きが完了しており、日本側に外国国籍喪失届を提出していれば、二重国籍は完全に解消されており、現在では日本国籍のみを持っていることになる。


だがもし、日本国籍選択の宣言をすることにより日本国籍を選択していたとすれば、二重国籍状態は今も継続している可能性がある。とはいえ、上述したように、この場合でも国籍選択義務は履行していることになる。


では、はたして蓮舫氏がそもそも国籍の選択自体を行っていない可能性はあるだろうか。これも上述したように、もし22歳までに国籍の選択をしなかった場合は、法務大臣から当事者に対して国籍選択の催告が届くことがある。催告を受け、それでも日本の国籍の選択をしなければ日本の国籍を失うが、そもそも日本国内の役所では蓮舫氏が台湾国籍を保持しているかどうかをきちんと確認する術がないこともあり、日本国籍を強制的に剥奪することはしにくいだろう。


よって、蓮舫氏は1.台湾国籍の離脱・喪失したか、2.日本国籍選択の宣言により国籍選択の手続きを完了したか、3.そもそも国籍選択の手続きを踏んでいないかの、いずれかの可能性がある。このうち2.と3.の場合では、台湾国籍を離脱・喪失していない限りは、日本国籍と台湾国籍の両方を有した二重国籍の状態が継続する。


・国家間で統一したルールはない


重国籍に関する議論で混乱のもとになっているのが、国家間で統一したルールが存在しないことだ。たとえば日本は台湾を国家としては認めておらず、便宜上は中国(台湾)と認識している。日本にいる台湾人は便宜上は中国人ということになっている。しかしそれはあくまでも日本側の認識であり、台湾側は日本にいる台湾人は、もちろん自国民(台湾人)とみなしている。


国籍選択の際も、日本国籍選択の宣言をすれば、「日本では」日本国籍を選択したとみなされ、もはや台湾人でも中国人でもない。だが、たとえ日本国籍選択の宣言をしても、台湾国籍(中華民国国籍)の離脱・喪失をしていなければ、「台湾では」台湾人(中華民国人)として認識され続ける。当事者が重国籍をもつかどうかを日本の役所で調べることも難しい。


それぞれの国には、それぞれのローカルルールがある。このような国家間をまたいだ問題においては、統一見解が得られにくい。マスメディアにも個人メディアにも、そのあたりの認識をごちゃまぜにした議論が多く見られる。


・日本が重国籍者に外国国籍の離脱・喪失を強制しない理由


何度も出てきたことだが、ここで改めて説明する。重国籍者が日本国籍選択の宣言をすれば、日本側は外国国籍の離脱・喪失について強制することはない。今回の蓮舫氏の一件でも絡んでくることだが、最大の混乱のもとになっているのが、このシステムだ。


ではなぜ、日本は重国籍者に国籍選択の義務を課すものの、外国国籍の離脱・喪失について強制はしないのだろうか。おそらくだが、これは他国のルールとの兼ね合いを考慮してのことだと思われる。上でも述べたように、国際的に統一したルールはない。日本のように国籍選択制度を採用する国は少数派である一方で、重国籍を容認する国は多く存在するのである。


一方の国では重国籍を認めるのに、もう一方の国では外国国籍を厳格に認めない。このような場合、どちらの国のルールに優先権があるだろうか。こういった矛盾した状態が生じることになるため、各国との兼ね合いを考えて、日本は重国籍者に対して外国国籍の離脱・喪失を強制できないのではないだろうか。


ちなみに、台湾では、自国民が重国籍を持つことに対して、日本ほど厳しく取り締まることはなく、寛容だという。*1


平成18年度に出生した日本国民の100人に1人以上が、重国籍者である。実際に、大人になっても重国籍者のままの日本人はそのへんにゴロゴロいるのである。多くの日本人にとって、身近な問題なのだ。国家間を行き来する日本人がこれだけ増え、それに伴って重国籍者も増え続ければ、現行の国籍法を厳密に適用するのはいっそう難しくなりそうだ。


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」350号「蓮舫氏をはじめとした重国籍問題について調べてみた」からの抜粋です。

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【参考資料】

国籍法:法令データ提供システム

国籍選択について:法務省

国籍Q&A:法務省

台北駐日經濟文化代表處

蓮舫氏「台湾籍放棄」と改めて強調、“二重国籍”問題で:TBS Newsi

国籍選択届けについてのサジェスチョン

一番じゃなきゃダメですか?:蓮舫 著

*1:台北駐日經濟文化代表處の担当者に問い合わせたところ、このような回答をいただいた

【書評】松尾芭蕉マニアもいる?!等身大の北朝鮮がみえてくる『実録・北の三叉路』

実録・北の三叉路:安宿 緑 著


本書は北朝鮮系の人々を描いたノンフィクションである。北朝鮮、といっても、日頃の報道番組が扱うような、政治的な話にフォーカスしたものではない。スポットライトが当てられているのは、北朝鮮に暮らしていたり、北朝鮮にルーツをもつ、いたって普通の人たちだ。ふだん知られることのない彼らの日常が、本書では実にいきいきと語られている。


ベールに包まれている北朝鮮系の人々にアクセスし、取材をすることは容易ではない。本書が日の目を見たのは、著者の生い立ちと経歴によるところが大きい。
本書の著者は朝鮮北部の父と在日韓国人2世の母をもつ、いわゆる在日コリアンである。日本の朝鮮学校に通い、あの朝鮮総聯で働いていたこともある。北朝鮮に親類がいるため、90年代から訪朝を繰り返し、現地の人々との交流も続けてきた。現在は日本で雑誌のライターをしつつ、北朝鮮情報を自身のブログで発信している。著者のどこかとぼけた筆致のせいだろうか、やや深刻な話題であってもなぜか笑いを誘ってしまうことも。


朝鮮学校時代の著者は、使命感に燃えて朝鮮労働党員になる夢を抱く。だが、著者のようなタイプの生徒は稀で、クラスメメイトはいわゆるヤンキーが多く、「祖国愛」に拒否反応を示すタイプが大半だったという。著者はそのままの調子で模範生として成長し、朝鮮総聯にも務めることになる。


朝鮮総聯在任中のある日、拉致被害者が帰国することになった。それまで「いない」と信じ込んでいた拉致被害者の存在を突きつけられた、著者を含む朝鮮総聯関係者。当時の彼らの反応も実に生々しく、人間らしさが漂う。

北朝鮮に住む中学生、案内人、軍人など、さまざまな人々と交流したエピソードも、写真とともに紹介されている。笑顔でおどけている北朝鮮人の姿は、それだけで新鮮に感じてしまう。これも私たちがふだん、ネガティブ一色の北朝鮮報道に馴れきっているためだろう。


北朝鮮に住んでいる一般人が日本をどのように思っているのかも興味深い。北朝鮮は国家をあげて日本を敵対視しときに激しく罵倒するが、一般市民が日本のことを深く憎しんでいたりすることはないようだ。むしろ、日本製品や日本食が好きだったり、ポジティブなイメージすらあるという。松尾芭蕉マニアの作家もいるくらいだ。


ただ全体的には、北朝鮮人は日本に対してそれほど高い関心はないらしい。その一方で、韓国の話題になると皆すごい形相になるという。隣国に対する高いライバル意識がうかがえる。


本書を読み終えた後には、北朝鮮という国が単なる記号ではなく、そこに暮らす、私たちとかわらない普通の人々が一体となったひとつのコミュニティーであるという、当たり前のことに気づかせてくれる。マスメディアでは知ることのできない北朝鮮を知りたい人に、本書を強くおすすめしたい。


BBCが行った世論調査によると、2012年時点で北朝鮮に対してポジティブな印象をもつ日本人の割合はわずか1パーセントだったのに対し、ネガティブな印象ををもつ割合は88パーセントだった(日本を除く21カ国の北朝鮮への印象は、ポジティブ19パーセントに対してネガティブ49パーセント)。依然として、日朝の間に横たわる溝は深い。国単位の外交だけではなく、市民ベースでの相互理解が、両国の関係改善につながるのだろう。


※本記事は書評サイトHONZに寄稿したものです

英語教師に英語力は必要か

日本人は英語の話題が好きだ。どの媒体でもかならず、英語に関する話題を頻繁に目にする。個人的には英語についての議論はあまり興味がないのでスルーするのだが、さきほど目にしたこの記事に書かれていた教師の英語力について、少しだけ気になった。


toianna.hatenablog.com


この記事は、英語教師のTOEIC平均スコアがわかる情報を適切に引用していない。実際の中学校と高校の英語教師の英語力は、どの程度なのだろうか。ちょっと調べてみたところ、簡単に国の調査報告を見つけることができた。平成26年度の調査によると、TOEIC730点以上を取得している割合は中学校英語教師で28.8%、高校英語教師で55.4%となっている。


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文部科学省「平成26年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果概要」より


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文部科学省「平成26年度 英語教育実施状況調査(高等学校)の結果概要」より


このデータを見るかぎり、中学校と高校の英語教師の能力はじゅうぶんとは言い難い。


・英語教師に高い英語力は必要か


だが実際のところ、英語教師にそこまでの(たとえばTOEIC900点以上)の英語力は本当に必要なのだろうか。


学校教育の目的は、ものごとを論理的に考える能力を養うことである。いろいろな教科を通して、この目的を達成することが学校教育の基本だ。英語という教科においては「英語」というひとつの言語を通して、この論理的思考力を鍛えてゆく。逆にいえば、題材は何でもよく、たとえば中国語やスワヒリ語でもよい。日本語を母国語とする生徒が、あるひとつの外国語について、その構造を理解してゆく過程が大事だ。


学校の英語教育についての議論を眺めていると、「論理的思考力を養うこと」と「英語をペラペラに喋れるようにすること」を混同している場合が多くみられる。中学校と高校の6年にわたり英語を学んでも英語が話せるようにならない、というのは、きわめて当たり前のことなのである。学校の英語教育は英会話教室のそれとは別物だと認識しなければならない。


・実用英語の能力を高めるには


この現実を把握した上で、実用的な英語を使えるようになるにはどうしたらよいだろうか。これにはまず、大きな前提条件があることを認識しなければならない。それは当たり前のことだが、学習者自身に切実なモチベーションがなければ、英語を使えるようにはならないということだ。英語そのものが好き、英語圏の文化に尋常ならざる憧れがある、英語をどうしても使わざるをえない状況にある、どうしても外国人と仲良くなりたい。こういった動機がなければ英語を使えるようにならない。子供はとくにそうだろう。


私の場合は大学生まで上述のような動機がまったくなく、高校三年生の最後に実施された英語のテストでは100点中8点程度だった。私が教わっていた英語教師は、ネイティブスピーカーと何の問題もなくコミュニケーションできるレベルの英語力をもっていたにもかかわらず、である。その後、私はクマムシ研究の道に入り、英語の文献を読んだりアメリカで留学生活をすることになり、結果としてサバイバルレベルの実用英語が身に付いた。


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ヨコヅナクマムシ


結局のところ、大事なのは本人のモチベーションなのである。中学校や高校で英語能力の高い教師を増やしたとしても、英語を使えるようになる子供はそこまで増えないだろう。


最後に、英語を使えるようにするために私が使用した基礎的な教材を紹介して、この記事を終えることにする。


まず、語彙について。これは例文がひじょうによくできているので、例文を暗記するとよい。


DUO 3.0


次に発音。発音記号を覚えると、スピーキングのみならず、リスニング力も確実に向上する。


英語耳[改訂・新CD版] 発音ができるとリスニングができる


これらが終わったら、まとまった文章をシャドーイングするとよい。


究極の英語学習法K/H System (入門編)


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【書評】『持たない幸福論』現代の教祖の有り難い説法

個人的に大好きなニート界のカリスマことphaさんの新著が出た。


持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない


私はだいぶ前からphaさんが好きで、彼のブログもたびたびチェックしているのですが、今回の本はphaさんの哲学の集大成というか、つい周りの目を気にして働きすぎたりプレッシャーを感じてしまう人が読むと肩の力がうまく抜けるような内容になっています。


ただ、よく言われる「心身が健康なのにあえて働かず税金を納めないニートは社会のインフラにただ乗りしているフリーライダーだ」という指摘に対しては、phaさんは本書で回答していませんでした。このあたり、phaさんがどう考えているのかがとても気になっているのですよね。私自身はニートがいても寛容であればよいと思いますが、やっぱりみんながニートになってしまったら社会インフラもできないわけで、便利じゃなくなるよね、と。たまたま同じ国や地域に生まれた者たちが法の下に協調しつつ労働や納税を義務づけられるのもどうなんだ、という話にもなるのだが。まあ、日本がいきなり分断されることはないだろうけど、経済格差によって住む地域がだいぶ分断されていくのではないでしょうか。あとは一定以上の規模の事業をするひとたちがシンガポールにどんどん出て行ったり。


念のために言っておくと、phaさんについては、たとえ税金を一円も納めてなくても、ぼくは何の問題もないと思っています。彼のようなアイディアは多くの人が耳を傾けるだけの価値があると思うし、意見を発信するだけで文化的な資産を世の中に残していると思うからです。まあ、教祖様のような存在ですかね。職もないし働いてないけれど、有り難いことを言ってくれるから、お布施をあげてもいいや、と思わせるタイプ。実際にこの本も面白い。こういう人は貴重なので、むしろみんなで支えていくべきだ。


ということで、本書は広大な宇宙となり、自分が抱えている問題意識を相対的にミクロ化する効能がある。「自分が周りにどう思われるか」をついつい気にしちゃうタイプの人にとくにお薦めである。


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ニート転身で豊かな人生を

ベジタリアン・チーズに見る、バイオテクノロジーが道徳心を刺激する時代の幕開け。

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Photos courtesy of Biocurious


バイオテクノロジーが医療や食料生産に応用されるようになって久しい。遺伝子操作により、ヒトのホルモンを効率よく分泌する大腸菌が作られ、害虫に負けない農作物などが作られてきた。ただ、「人工」や「遺伝子組換」という単語に拒絶反応を示すナチュラル志向派も多い。科学技術の発展にともないたびたび起きてきた公害や薬害に対する印象から、あえて先端医療や遺伝子組換食品を避け、自然療法やオーガニック食材を好む層も一定数存在する。


最近のバイオテクノロジーは、そんなナチュラル志向だったり、道徳心の高い人々をターゲットに利用されるようになってきた。その顕著な例が、遺伝子改変酵母を用いて人工チーズを作ろうとする「ベジタリアン・チーズ」プロジェクトだろう。


このプロジェクトはカリフォルニアのベイエリアにあるバイオハッカースペースのCounter Culture LabsBiocuriousによって進められている。かれらは2014年6月にクラウドファンディングサイト「Indeegogo」で資金を募り、700人近くの支援者から3万7千USドルを集めた。


Real Vegan Cheese: Indeegogo


実は私もこのプロジェクトに支援していたりする。


このプロジェクトでは、酵母にウシのミルクの成分となるカゼインなどのタンパク質をコードする遺伝子を組み込んで、これらのタンパク質を生産しようと計画している。ベジタリアンの人のなかには、劣悪な飼育環におかれている家畜が生産したミルクから作られるチーズを食べたくない人もいるし、家畜を育てるために起こる環境破壊に対してネガティブな感情をもつ人もいる。もしもウシを使わずに人工的にチーズをつくることができれば、この懸念はなくなる。


酵母に入れる遺伝子はウシに由来するので、酵母からできるチーズもウシのミルクからできるそれと同一である。さらに酵母自体は遺伝子組換え生物だが、このチーズは酵母が作ったタンパク質だけが含まれるのでDNAフリーである。つまり、このベジタリアン・チーズ自体は遺伝子組換え食品にあたらない。遺伝子組換え食品嫌いの人も気にしなくてよいというわけだ。


もしもこのベジタリアン・チーズが生産可能になったとすれば、たとえこれが従来のチーズより高い値段であったとしても、ベジタリアンや、上述のような意識をもつ人たちがすすんで購入するはずだ。なにせ、大気汚染を懸念して、かなり割高な電気自動車を使用する人だっているくらいなのだから。もちろん、電気自動車もベジタリアン・チーズも、従来の自動車やチーズよりもコストダウンしていく可能性もじゅうぶんにあるが。


人工物や遺伝子組換えに拒否反応を示す人々を、遺伝子組換え技術でなだめる、という構図もなんだかおかしいように見えるが、バイオテクノロジーも単なる効率向上のみでなく、人々の道徳心を刺激して市場を拡大する方向にどんどんと使われ始めていくのではないだろうか。


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学校と学び

むしマガVol.281オンライン・サイバー高校のことについて書きました。自分が中学生や高校生の頃にこんなところがあったらよかった。なぜそう思ったかというと、自分の通っていた中学や高校が好きでなかったからなんですね。


私が通っていたのは、T学園という私立の中高一貫校です。神奈川県川崎市にある学校なのですが、周囲は山に囲まれており、養豚場から放たれる香りがなかなかきつかった。


さて、6年間この学校に通って何を学べたのか。思い返してみても、あまり胸を張って答えられるものがないことに気づきます。勉強もほとんどしていませんでした。私はもともと勉強嫌いだったのですが、両親にいやいや中学受験勉強をさせられたため、さらに勉強をする気がなくなっていたのです。


同校に通い、それまでの環境はがらりと変わりました。男子校のため、クラスに女子はいません。この状況は6年間続きました。校則は厳しく、体罰も当たり前。ひょろひょろの同級生が体重90キログラムの教師に思いっきり殴られたときは、ダブルアクセルくらい回転しながら宙を舞いました。バットでお尻を思いっきり叩かれた他の同級生は、しばらくの期間、椅子に座ることができず、エア座りをしていました。どれもみな、懐かしい想い出です。


毎週水曜日には、朝に君が代が、夕方に校歌が校内に流れます。君が代が流れる際には国旗と校旗を校庭の鉄柱に上げ、校歌が流れる際には両方の旗を下ろします。君が代や校歌が流れ始めたら、生徒はどこで何をしていても、国旗と校旗のある方向に体を向けて直立不動の体勢をとらなくてはいけません。もちろん、旗が実際に見えていなくてもです。音楽が流れているときに体を動かしているのを教師に見つかれば、注意されたり殴られたりします。私はそのスリルを味わいながら、「だるまさんが転んだ」の要領で、ゲーム感覚でちょっとずつ気づかれないように歩いたりしていました。


同校では、夏と冬に修学旅行らしきものがあります。「らしきもの」というのには理由があり、厳密にはこれは修学旅行ではないのです。これらはそれぞれ、「夏季団体訓練」と「冬季団体訓練」という呼称がついています。通称「団訓」。訓練である以上、旅行ではない。軍隊のそれと同じコンセプトの上に立脚したイベントなわけです。団体の中において、規律正しい行動をいかにきちんと遂行するか。これが団体訓練の大きな目的です。


しかしやはり、縛られれば縛られるほど、そこから逸脱したくなるのが男子の性(さが)というもの。夜中に見張りの教師の目をかいくぐって宿舎を抜け出し、外の自動販売機でコカコーラを買ってくるというミッションを遂行するゲームを実施したりしました。薄いジャージと裸足で吹雪の中を移動したこともあります。ミッションに成功したあのときほど、コーラが美味しいと思ったことはありません。ただ、何度か教師に見つかって耳がキンキンするほど殴られたこともありましたが。


それにしても面白いもので、これだけ嫌な学校であったにもかかわらず、出席日数がギリギリでしたが、まがりなりにも6年間通い続けて卒業したのですよね。他の同級生も、途中で辞めたり不登校になった例はほとんどありませんでした。他校の生徒を暴行して退学になった生徒はいましたが・・・。異常な環境を皆で共有していると正常に思えてくるのでしょうか。あと先天的か後天的かはわかりませんが、同級生もおかしなやつばかりでしたから、通常の感覚を持ち合わせていなかったことが幸いしたのかもしれません。


中学校と高校の6年間で自分が学んだと思えることは、今考えても取るに足らないものであるように感じます。もちろん、他人との付き合い方や、この世の不条理さなど、肌で学んだものはあるでしょう。ただ、過去のことを否定したくはありませんが、どう考えても費用対効果が悪すぎる。だったら、別に学校に通わずに自分で学習していってもいいんじゃないか。


今後、学校組と非学校組の二極化が起きるのではないでしょうか。


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」282号「学校と学び」】の一部です。

クマムシ博士のむしマガVol. 282【学校と学び】

2015年3月8日発行
目次

【0. はじめに】FB夫婦
FBをめぐってもめていた知人夫婦。結局、夫が妻のアカウントをブロック。その後、さらなる争いが生じた。

【1. むしコラム「学校と学び」全文】
多くの子どもたちにとって、学校は今の時代に沿わなくなってきている。その拝啓にあるものとは。

【2. おわりに】
思想雑誌「kotoba」の南方熊楠特集号に寄稿しました。序文を公開。

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テクノロジー・リテラシーを意識しよう

私たちは、テクノロジーの発展により大きな恩恵を受けてきた。電気、自動車、医療、インターネット。これらのテクノロジーが存在しない世界など、とても想像できないだろう。私たちは自分の生活が少しでも便利なものを自然と選択し、その継続的な使用を無意識に行なう。まるで、水が高きから低きへ流れるように。行き過ぎた資本主義社会とテクノロジーの発達を否定して自然回帰を謳うヒッピーたちですら、マリファナをもつ手と反対の手には、iPhone6が握られていたりするほどだ。口先でいくら否定してみても、現代社会では誰もが無意識のうちにテクノロジーの恩恵を受けているのである。


実は先週、僕の知人夫婦の間で、facebook利用をめぐるトラブルがあった。夫から聞いた話では、おおむね以下のようなやり取りだったらしい。


「あなた、なんで私の投稿に「いいね!」を全然押さないの?!他の人には「いいね!」してるのに」


「いや、俺、夫婦間でいちいち「いいね!」押し合ったりするの、ちょっと変だと思うんだよね。だから押さ
ないんだよ」


「でも私はそっちの投稿にはいつも「いいね!」してるでしょ?それも嫌なの?」


「いやいや、別にそっちはこっちに「いいね!」してもいいよ。どう使おうと、使う人の自由なんだから」


「●●(二人の共通の友人夫婦)ちゃんたちだって、夫婦間で「いいね!」押し合ってるよ?あなたが私の投稿に「いいね!」押さないのは変だと思わない?」


「それは人それぞれでしょ。俺は配偶者に「いいね!」するのは変だと思うから。だいたい、いつも一緒に住んでるし、そっちがfacebookに投稿する内容も写真も、普段の生活の中で全部知ってるし見てるじゃん」


「いや、やっぱり夫婦間で「いいね!」しないのはおかしい」


「いちいち命令しないでくれよ。さっきも言ったけど、facebookをどう使うかはその人の自由でしょって。もういいわ。俺、facebookもう使わないから」


現在、夫の方は自分のfacebookアカウントを削除するか、妻を友だち登録解除してブロックするかを考えているとのことだ。この夫婦の関係がさらに悪化しないかが心配である。この身近で起きた問題からも分かるように、一定数の利用者にとっては、facebookはもはやただのウェブサービスのひとつではなく、だいじなだいじな生活の場となっているのである。言い換えれば、まんまとfacebook中毒患者にさせられたのだ。ドラッグが投与され続けるのと同じように、「いいね!」をもらうほどに、利用者の快感度は増す。この状況でもっとも「いいね!」と思っているのは、facebookとマーク・ザッカーバーグなのに。


テクノロジーは私たちの生活に欠かせない。だが、テクノロジーとの付き合い方を間違えると、うっかりとこちらが奴隷になってしまいかねない。人間はあくまでも主であり、テクノロジーは従でなければならない。人生の時間を無用に浪費しないためにも、自分の本当に大切な人たちを失わないためにも、私たちは常にテクノロジー・リテラシーを意識しておくべきだろう。


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」281号テクノロジー・リテラシーを意識しよう】の一部です。


クマムシ博士のむしマガVol. 281【テクノロジー・リテラシーを意識しよう】

2015年3月1日発行
目次

【0. はじめに】学校のかたち
オンラインサイバー学校が開校する。テクノロジーの発展と潜在的な教育需要の高まりで、政府によって提供される教育システムが急速に揺らいでくるだろう。

【1. むしコラム「テクノロジー・リテラシーを意識しよう」全文】
テクノロジーは便利だが、テクノロジーの背後にある思惑を見抜けなければ奴隷になってしまう。テクノロジーのリテラシーを常に意識しておきたい。

【2. 移住するならこの国】
おすすめはマレーシア。東南アジア各国の中でも総合力トップ。

【3. おわりに】
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「博士メガネ男子論」にみる不器用理系男子の需要


マスコミの報道の中で小保方晴子さんが「リケジョ」と称されていることについて、議論が起きている。確かに、同様の報道の中で男性研究者が「リケダン」と呼ばれないことを考えると、ジェンダーを前に出した呼び方は適当でない。研究所のグループリーダに用いる語としても違和感がある。また、「リケジョ」という語は講談社により商標登録されており、この事情もあって事態は少しややこしくなっている。


ただ、リケジョでもサイエンスエンジェルでもサイエンスプリンセスでも理系マドモアゼルでも助手ガールでも何でもよいのだが、理系に進学する女性の比率を高める効果があるのなら、大学の有志などが自発的にこれらの呼称を用いて活動するのは意義があると、私は思う。報道機関だけでなく、理系女子を増やす努力を行っている理系女子学生達に対してまで「リケジョ」を使用することに対して全否定するのは筋違いだろう。


このような活動では理系学部に占める女子学生の比率は増えても女性研究者の増加には繋がらない、という声もある。だが、入り口で数を増やすことにより女性の理系進学が特別ではないという雰囲気を作ることは意義があるだろう。そしていずれ、理系に進学する女性が十分に増えて、これらの用語を使わなくてもよい日が来れば、それに越したことは無い。


ところで、理系女性だけでなく理系男性もプロモーションすることで、男女両方の理系進学率が高まるのではないか。そんなことを考えていたところに、Twitterのタイムラインに流れてきたツイートがこちら。



この「博士メガネ男子論」という薄い本は、いがやちかさんらにより結成された同人サークル「久谷女子」が出版した本だ。昨年のニコニコ超会議で、私も購入した。


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ちなみに、久谷女子が数年前に出した「Webに見た萌え特集」では、なぜか私とバッタ博士が取り上げられた。こちらについてはバッタ博士のブログ記事を読んでいただくとして、ここで「博士メガネ男子論」について紹介したい。


本書は主に京大教授の山中伸弥さんをフィーチャーしつつ、メガネをかけた博士の「男性的魅力」を綴ったものだ。山中さんの他に、となりのトトロに登場するサツキとメイのお父さんの草壁タツオなど、フィクションのキャラクターについても書かれている。


私は視力が悪いが、普段はコンタクトレンズをしている。顕微鏡を頻繁に覗くので、メガネは邪魔になるからだ。だが、それでもメガネ男子好きの知り合いの女性からはメガネをかけるように勧められる。メガネ男子好きの女性は意外と多い。なぜそこまでメガネをかける男に萌える女性がいるのか。その具体的な理由は本書を読むまで判然としなかった。


博士メガネ男子の魅力は、不器用さに集約されるようだ。外見を気にしてコンタクトレンズを装着したり、おしゃれメガネをかけることは、彼女らにとって萌えポイントにはならない。「メガネ男子好き」の女性を意識してメガネをかけることなど言語道断なのだ。専門分野に特化した高い能力をもちつつ、その他のことは平均以下の能力か発揮できない、不器用な博士メガネ男子。メガネは不器用の象徴でなくてはならない。


不器用でもいい。ありのままの自分でいい。そんな理系男子が好きな女子もいる。この事実を知るだけでも、コンプレックスを抱えた一部の理系男子は救われた気持ちになるだろう。


さて、本書を読み終えて、博士メガネ男子についての妄想をよくここまでうまく言語化できるものだ、と感心してしまった。とりわけ、岡田育さんの文章の破壊力が凄まじい。風の谷のナウシカに出てくる巨神兵の最期のように、激しく腐っているのだ。岡田さんの下のツイートに表れている怒りは、男性側による女性個人個人への観察力の欠如に対してのものだろう。



最大公約的にすら女性を分析・カテゴライズできない男性ライターにキレているわけだ。その怒りはごもっともだが、岡田さんや他の久谷女子メンバーと同じレベルの能力を他人に要求するのも酷というものである。


ここでは本書に記述された具体的な表現の引用は控える。インターネットに精通し、かつプロの書き手集団でもある久谷女子のメンバー達が、ウェブでも商業誌でもなく、あえて同人誌で作品を発表していることを考慮したからだ。今のウェブ上に出したくない、あるいは出せない理由は、本書を読めば理解できる。気になる人は、久谷女子のメンバーをフォローして次回の販売機会を待つとよいだろう。


【追記】


岡田育さんからの告知。要望次第では、イベントで本書を入手できるようだ。



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世界に蔓延する偽装魚と食の未来

昨今、日本における食品の偽装問題が取り沙汰されているが、アメリカやヨーロッパでも事情は同様である。記憶に新しいのは牛肉のミンチに馬の肉が使用されていた問題だ。いずれも、より安い品物を求める消費者により、業者間のコスト削減競争が激化していることが背景にあるのだろう。


国際的非営利活動組織海洋保護団体Oceanaの研究調査によると、魚の偽装はアメリカで日常的に行われているようだ。


Oceana Study Reveals Seafood Fraud Nationwide


Oceanaによる調査は2010年から2012年にかけてアメリカの21の州で行われた。寿司屋、スーパーマーケット、魚屋の674店舗から1200の魚のサンプルを入手し、DNAを解析した。この解析手法はDNAバーコーディングとよばれるもので、サンプルの特定の遺伝子領域の塩基配列を調べてデータベースで種を特定する。


調査の結果、全体のうち33%が表記された種類とは別の魚であることが判明した。全店舗のうち44%でラベルの表記とは別の種類の魚を売っていた。とくに寿司店のうちの74%が偽物を提供していた。スーパーマーケットでは18%であった。


アメリカではビンチョウマグロ(シロマグロ)は"white tuna"とよばれる。寿司屋で出されるビンチョウマグロも、71%が偽物だった。代わりに出されていた魚のほとんどがアブラソコムツという種類だった。この写真は、アブラソコムツとビンチョウマグロの切り身を並べて比較した者である。違いが一目瞭然だろう。


そう、アブラソコムツはやたら白いのだ。私もこのやたら白い切り身をwhite tunaとしてアメリカの寿司屋で食べた気がする。白すぎないか、これ、と思いながら。


知らぬが仏ではないが、偽物に全く気付かずに満足して食べていれば、損した気分にはならないだろう。ところが、このアブラソコムツはちょっと怖いのである。アブラソコムツは消化ができないワックスエステルを多量に含む。この魚を30g以上食べると、人によっては下痢や深刻な腹痛を起こし、大量に食べると脱水症状をおこして昏睡状態に陥ることもある。


もはやこうなると、知らぬが仏とは言っておれない。いや、知らぬがゆえに仏になってしまう危険性もあるわけだ。アメリカで仏にならなくてよかった。ちなみに日本では食品衛生法で食用としてアブラソコムツを販売することは禁止されている。


このような偽装が魚の流通のどの段階で起きているかははっきりと分かっていない。アメリカでは食品医薬局(FDA)が食品の取り締まりを行っているが、このように魚の偽装についてはザルの状態である。FDA自体が推奨していない、水銀を多く蓄積しやすい種類の魚も偽装されて出回っている始末だ。このような状況を放置すれば、偽装問題はますます深刻化していくだろう。


魚の偽装については、アイルランド、スペイン、ギリシャなどのヨーロッパ諸国でも問題になっている。現在私が所属している研究室を始め、フランスでもこの偽装がどの程度行われているのか調査を始めたところだ。


さて、それではお魚天国である日本はどのような状況になっているのだろうか。これは推測だが、回転寿司店などが値下げ競争を繰り返し、コストを極限まで切り詰めて儲けを出そうとすれば、安い偽魚を提供する店があっても不思議は無い。実際に、こんな告発サイトまである。


回転寿司の真相と食品のカラクリ



もちろん、これは匿名のサイトなので記述内容の信憑性は不明だ。ただし、マダイの偽装魚としてティラピアの名前を挙げているなど、上述したOceanaの実際の調査結果と合致する記述もある*1


食べても体に悪影響の出ないレベルの偽装であればまだマシだが、コスト削減のために腐ったり不衛生なものが材料として出てくることは非常に問題だ。古い生肉を使ったユッケを食べて死亡した事故があったが、これも、ある意味でコスト削減競争が引き起こした悲しい災いだろう。


消費者である我々が安いものを求続ける限り、この問題に終わりはないのかもしれない。


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*1:このサイトの更新日が2011年9月であり、Oceanaによる調査報告発表は2013年2月である。つまり、このサイトの情報公開の方が早い。

パリでもやしもん


朝、ラボに来たらホワイトボードにこれが描かれていた。


今いるラボは皆微生物屋だが、フランスでもこの業界ではもやしもんが人気のようだ。


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ハロウィンとアメリカ

アメリカではハロウィンは一大イベントであり、いい年をした大人でも、仮装のクオリティーを仲間内で競い合うほど熱がこもる。私がいたNASAの職場でも皆、仮装をして出勤していた(写真)。



そんな老若男女が夢中になるイベントだが、オハイオ大学の学生グループが、ハロウィンでの仮装が場合によっては人種や民族の差別的な表現になりうることを警告し、Facebookなどで話題になっている。



Students Teaching About Racism in Society


例えば日本の芸者や侍の格好をすることが、果たして差別にあたるのかなど、こういった視点については賛否両論分かれるだろう。少なくとも私は、この日本の例に関しては差別とは思わない。それならハリウッド映画に出てくる日本人やその他の民族のステレオタイプ的な表現も、差別にあたることになる。


難しい問題だが、アメリカのように色々な文化的背景をもつ人間が入り交じった環境では、敏感になる人も一定数いるのだろう。とりわけ、アメリカで生まれ育った非白色人種のアメリカ人は、このような仮装を見たときに複雑な心境に陥ることがあるかもしれない。


ただ、この解釈をさらに拡大すると、国外で外国人が経営している日本食料理店なども「差別的」と捉えることを可能にするかもしれない。もっとも、すでに農林水産省は「日本食認定制度」という手を使って、このような料理店にプレッシャーをかけているが。いわゆる寿司ハンターだ。


そのうち動物のコスチュームを着ることも、動物の尊厳を傷つけるという理由で廃止の方向に向かうかもしれない。これを示唆するようなパロディーも出回っている。


いずれにしても、ナチスや宗教色の強いものなど、特定の地域でタブー視されている衣装は着るべきではないだろう。それ以外の民族的衣装であれば、仮装にリスペクトを込めているかどうかで、受け手の印象が大きく変わるのではないだろうか。


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今後、帰国するべきかどうか。

東北大の教授の炎上騒動について、個人を攻撃するクレーマーや、クレーマーを煽動するまとめサイトが社会悪であるという見解を、先日のブログに掲載した。


クレーマーとまとめサイトにより社会が毀損される


この問題に関心のある人も多かったようで、昨日だけでこの記事には4万以上のアクセスがあった。私の意見に同意するコメントも多かっが、中には「twitterで世界に向けて発信する方が悪い」という意見もあった。いや、「世界に発信している」から「不当に大きな社会制裁を加え」てもよい、という理屈にはならないだろう。


さらには、「解雇や減給の措置であれば社会的な制裁だが、大学からの厳重注意は社会制裁ではない」というコメントもあった。いやいや、法を侵しているわけでもないのに自分のことが新聞沙汰になっているわけで、本人の精神的ダメージは甚大なものですよ。こういう炎上沙汰を例えるなら、「わるもの」とか「肉」とか「中」という文字をマジックでおでこに書かれた状態で檻の中に入れられ、街中で見せ物にされる感覚に近いだろう。


こういうコメントをする人は、自分がそういう立場になった時の状況を想像できないのだろう。そして、こういう感覚を持った人が多くいるので、この風潮も無くならない。そもそも、このようなコメントを残した人自体が匿名だし、実名で発信することがどれだけ割に合わないことか分からないのか、と思ってしまう。


いや、実は無意識にそれを理解しているからこそ、匿名で活動しているわけだ。もっと言えば、このような大義名分のように聞こえる理屈を作って、他者を攻撃することを正当化している人も少なくないかもしれない。


日本では「出る杭」=「目立つ個人」を嬉々としながら徹底的に叩く文化がある。インターネットが、この特徴的な文化を加速させる装置として働いている面は否めない。日本は食べものも美味しいし、先進的でユニークな考えをもつ人も多い。総合的に見て、とてもよい国だ。だが、今回の一件、そして私のブログ記事に寄せられるコメントを見て、母国に今後帰って暮らすべきかどうかという迷いが、私の中に生じている。


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」(月額840円・初月無料)の188号に掲載された論文を短縮した簡易論文版です。こちらから購読登録すると完全版を読むことができます。

クレーマーとまとめサイトにより社会が毀損される

東北大の教授のtwitterでの発言が炎上騒ぎになっている。


東北大、教員のTwitterでの「不適切発言」を謝罪


この教授が野球観戦をしながら、自分が応援するチームの敵とその地元を咎める発言をしたことが問題になっているようだ。発言直後から、この教授のtwitterアカウントには非難が殺到して炎上した。そして、まとめサイトにあげられてさらに延焼。この過程で東北大に苦情のメールや電話が多く寄せられたのだろう。昨日になって東北大が公式に謝罪を表明、新聞記事になるまでに至った。


東北大学教員によるツイッターにおける不適切発言について(お詫び)


私は、野球観戦でつぶやいていた独り言が、このような社会的制裁を受けるだけの妥当性は全くないと思う。確かに、この教授の発言内容は、敵対する野球チームのファンや、そのチームの地元にとって不愉快なものだろう。だから、その教授に対して直接抗議をするのは理解できる。


しかし、この個人による行為を所属組織の管理義務に結びつけて大学に苦情を入れるのは常軌を逸しているだろう。苦情を受けた大学側も、公式謝罪する必然性はなかったと思う。結果的に、この教授は不当に大きな社会的制裁を受けることになってしまった。


寛容さを放棄し、すべてに対して監視の目を向け制裁を加えるやり方では、この国の社会はますます息苦しいものとなる。今回の件のように、すぐに叩いたりクレームをつける人々は、自らの行いが社会をますます生きづらいものにしている自覚があるのだろうか。結局、クレームをつけることは、廻り廻って自分のところに返ってくる。自分で自分の首をしめているのだ。


このような社会では、大学教授などの比較的社会的地位の高い肩書きを持つ人は、実名でtwitterやブログをしなくなっていくだろう。ちょっとした不適切な発言でも、すぐにルサンチマンの攻撃対象となり、何の得にもならないからだ。そして、そうした人々が退出すると、オープンな空間での知的な情報交換や議論もどんどん減っていく。これは、結果的に、社会にとっての大きな損失となる。


これらのことを考慮すると、モンスタークレーマーを焚き付ける一部のまとめサイトも、社会的害悪であるとはっきり認定してよいだろう。クレーマーまとめサイトがこの社会を著しく毀損しているのだ。


私の場合は、フランスに住んでいて本当にラッキーだ。仮に私が何かをやらかしたとき、クレームをつけたい人間は、私の所属先であるパリ第5大学にフランス語で苦情を言わなければならないからだ。もっとも、フランス語で苦情を言ってきたところで、事務局のフランス人はクレーマーに逆切れして終わりだろう。フランス人は、組織と個人はまったく別の存在と見なすからだ。中学生が学外で煙草を吸っているのを教師が見つけても、教師は何の干渉もしないくらいだ。


日本の組織も、クレーマーに"No"という勇気をもたないと、この国の社会はますます生きにくいものになってしまうだろう。


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フランス人の生産性の高め方

知的労働者が書籍を出版する方法

おかげさまで拙著「クマムシ博士の「最強生物」学講座」が好評につき、早くも増刷が決定。ご購入いただいた皆さまに感謝。











クマムシ博士の「最強生物」学講座ー私が愛した生きものたちー


日本滞在中に都内の書店を散策していたが、ほとんどの大型書店で本著を平積みにしていただいていた。



写真は丸善お茶の水店


また、書評サイトHONZでは土屋敦さんに熱いレビューを書いていただいた。


黒い情念がゴッゴッゴッ! 『クマムシ博士の「最強生物」学』


著者の私自身もワクワクしてしまうような、今までに見たことのないレビュー。どうも有り難うございます。


さて、今回は本書が書籍化に至った経緯について少し書いておく。私のケースは、特に書籍出版を目標としている知的労働者にとって参考になると思う。


そもそも少し前までは、一般科学書を出版するのは教授等の肩書きのある研究者か、著名な科学ジャーナリストに限られてきた。権威の無い人間が書籍を出版するのは難しかったのだ。


だがご存知の通り、ネット、とりわけブログやTwitter、そしてはてなブックマーク等のネットツールの登場により、優れた文章の書き手が容易に発見される時代が到来した。ブログに書いた文章がSNS上で言及され、その数が評価の指標になるからだ。そして出版社の編集者は、この指標をもとに本の書き手を選定している。書籍出版には、権威ではなく、読み手を惹き付ける内容、中身が大事になってきたのだ。


私のブログは科学、とりわけ生物学を対象にしている。大事なことは、非専門家の読者にも理解できるように記事を書くことだ。本ブログを書いている研究者・専門家は多くいるが、この意識を持ちながら情報を発信している人間は少ない。専門知識があり、なおかつ分かりやすい文章を書ける人間が、書籍の書き手として重宝されるのだ。高度な専門知識をいかにやさしく説けるか。この落差が大きいほど、書物としての価値も高くなる。野茂の落差のあるフォークに多くの打者がついバットを出してしまうのと同じ原理だ。


私の場合、記事を50〜60ほど書いた2011年の末頃から書籍出版の依頼が来始めた。その中で、新潮社からはブログと有料メルマガをベースにしたものを出版したいということだったので、最初の書籍となった。今後、さらにいくつかの書籍を他出版社から出版予定である(出版社のみなさまへ:現在は新規の出版依頼は受付けていません)。


ということで、書籍出版を目標としている人は、以下のステップを踏んでいくとよいだろう。


1. ブログに自分の専門分野周辺の話題を噛み砕いて書く

2. Twitterやはてなブックマークなどで読者の反応をチェック

3. 足りなかったと思える点を次回の記事に反映させる

4. 2と3を繰り返す


このステップを忠実に遂行していれば、いずれ出版社から声がかかってくるだろう。


書籍を出すことで優雅な印税生活を送るのは難しいが、書籍化をきっかけに自分の活動の枠を広げることができ、自由度が増す。本を出すことで得られるこのメリットは、金銭面の収入以上に大きいと感じている。ということで、書籍出版に興味がある人は、とりあえずブログを開設して何か書いてみてはいかがだろうか。


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堀江貴文氏に学ぶ研究者としての生き方

6月23日の日曜日、堀江貴文さんが私のいるフランス・パリ第5大学の研究室まで、クマムシを見に遊びにきてくれた(クマムシの説明についてはこちら)。


堀江さんとはニュースサイトのハフィントンポスト関係者の懇親会の時にお会いしたのがきっかけで、今回の研究室見学へとつながった。堀江さんは顕微鏡でクマムシを熱心に覗きこんでいて、ずいぶんとクマムシを気に入ったご様子。


生物学の話も色々としたが、研究者を相手に話をしているような感覚だった。ライブドア時代にバイオベンチャーのユーグレナに投資をしたり、今もバイオ事業を考えていたりと、さすがにこの分野の知識も豊富だ。嬉しいことに、「クマムシの耐性について面白いことが分かったら一緒に何かしよう」というお話もいただいた。


現在、私はアカデミアにいる研究者としては珍しくキャラクタービジネスをしたり、有料メルマガの発行を通して、組織や政府に頼らず自力で研究費を調達する試みを行っている。これは、堀江さんから受けた影響が非常に大きい。


もう一度いう。政府の補助金なんて当てにする科学技術の発展なんてやめにしよう。: 六本木で働いていた元社長のアメブロ


堀江さんは夢を実現させるために、好きな宇宙開発事業に自らのお金を投資している。そこには、国に頼ろうという発想は皆無だ。これは、私がいるアカデミアの99%の研究者の考えと180º異なる。私自身も、もともとは他の大多数の研究者や同僚と同じような考えだったが、堀江さんの生き方を見ているうちに、自分でも何かやってみようという気持ちになった。


もちろん、政府は基礎研究に十分な予算を付けるべきだ。しかし、現実問題として、研究者が政治をコントロールて予算配分を変えることは難しい。さらに、ポスドク(博士号取得後に1〜3年の任期付で雇用される研究員)などの不安定な立場では、数年後に研究を続けていられるかどうかの保証すらない。組織や政府に頼るだけでは、研究者はときに大きなリスクを抱えることになる。


研究で夢を実現させたければ、自らの手で将来をを変えるしかない。そこで私は自分の研究対象であるクマムシをキャラクター化し、収益を出す試みを始めた。


クマムシさん公式アカウント: twitter


また、堀江さんの有料メルマガの成功を見て、私も有料メルマガを発行するに至った。研究者が最新の科学研究成果を噛み砕いて面白おかしく伝える内容のメルマガで、収益についてはすでに損益分岐点を越えている。


有料メルマガ「むしマガ」・堀川大樹: まぐまぐ


これらの試みを始めてからはまだ日が浅いが、幸いなことに私の活動は各方面から支持を集めつつある。


堀川大樹さん「最強」のクマムシを「ゆるキャラ」に仕立てた: 朝日新聞


この活動が順調に進めば、近い将来、自らの生活費と研究費を確保して、世界中の好きな場所で好きな研究ができるようになる可能性も高い。これが実現すれば、研究者にとっては夢のような生活だ。


もちろん、研究活動の傍らでコンテンツを作って発信するのは大変だし、皆がうまく稼げるという保証もない。しかし私自身、この活動を通して様々な分野で活躍する人に会って刺激をもらえたりと、人生がすごく豊かになった。お金に換えられない経験もできるのだ。実際に、憧れていた堀江さんにもこうして会うことができた。























堀江さん(左)とクマムシさん(中央)と堀川(右)


研究者もそうでない人も、自分のやりたいことをするために何かを発信してみるとよいと素直に思う。できないことを周りのせいにするよりも、自分で変わった方が早い。他人の目など気にせずに、とりあえず動き始めたらいい。堀江さんと話をしていて、改めてそう思った。


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