クマムシ博士のむしブロ

クマムシ博士が綴るドライな日記

NASAが発表した「TRAPPIST-1の系外惑星群」のインパクト

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Image credits: NASA/JPL-Caltech (images used under NASA media usage guidelines)


アメリカ時間の2017年2月22日、NASAは系外惑星に関する新たな発見について記者会見を開いた。その新発見の内容とは、「ひとつの惑星系に7つの地球サイズの系外惑星が存在すること」だった。これら7つの系外惑星のうち、3つは地表に液体の水が存在しうるハビタブル(生命棲息可能)な惑星である可能性が示された。


生命を宿せるような「第二の地球」候補になりうる系外惑星が3つも同じ惑星系内で確認されるのは、初めてのこと。今回の発見は、我々が想像していた以上に太陽系の外には生命の星がありふれていることを示唆する、重要な発見といえる。


・系外惑星とは


系外惑星とは、太陽系の外に存在する惑星のことである。これらは恒星の周りを公転している。観測技術の発達により最初の系外惑星が発見されたのは、1990年代に入ってからのこと。その後の観測精度の向上により、現在までに3449個の系外惑星が確認されている。2016年には、ケプラー宇宙望遠鏡により観測された系外惑星候補のうち、1284個が一気に系外惑星として認定された


これらの系外惑星の中には、地球の数倍〜10倍程度のサイズで、岩石でできているものもある。これらはスーパーアースとよばれる。さらに2016年3月時点では、地球のサイズの2倍以下で、なおかつ液体の水が存在しうるハビタブルゾーンにある系外惑星は、21個が確認されていた。


・TRAPPIST-1の系外惑星


系外惑星をもつ惑星系の中でも、TRAPPIST-1系は、生命を探すアストロバイオロジー研究における「スター」として注目され始めた惑星系である。TRAPPIST-1は赤色矮星であり、太陽系から40光年先の水瓶座の方向に位置する。TRAPPIST-1の大きさは太陽の0.08倍しかなく、表面温度も非常に低い。


2016年、このTRAPPIST-1を周回する3個の地球型系外惑星TRAPPIST-1b、TRAPPIST-1c、そしてTRAPPIST-1dの存在が、トラピスト望遠鏡によって取得されたデータから示された。そしてこれらの系外惑星は、生命を育める可能性があるとして、一気に注目されるようになる。


・3個ではなく7個だった


ベルギー・リエージュ大学のMichael Gillon氏が主導する研究グループは、系外惑星TRAPPIST-1dのデータが少しおかしいことに気づいた。そこで今回、新たにトラピスト望遠鏡を含む複数の地上の望遠鏡と、スピッツァー宇宙望遠鏡による観測により、以前取得したTRAPPIST-1dのデータが、実は1個ではなく4個の惑星をとらえたものであることが判明した。かくして、TRAPPIST-1dはTRAPPIST-1d、TRAPPIST-1e、TRAPPIST-1f、TRAPPIST-1gに増えた。


さらに研究グループは今回、TRAPPIST-1の軌道の一番外側に、新しひとつの惑星TRAPPIST-1hの存在を確認。これにより、もともと全部で3個だと思われていたTRAPPIST-1の系外惑星の数は7個になった。


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Credits: NASA (images used under NASA media usage guidelines)


ところで、なぜこのような間違いが起きたのだろうか。それは、データの取得と分析方法にある。系外惑星を見つける手法の一つに、トランジット法がある。これは、惑星が主星の前を横切る(トランジットする)ときの減光を検出することで、間接的に系外惑星をみつける手法だ。もし主星の減光期間が一定で、周期的に同程度の減光が観測されれば、その恒星の周りを惑星が回っていると推測できる。


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Credits: NASA Ames (images used under NASA media usage guidelines)


前回の研究では、トランジット法による周期的な観測ができなかった。しかも、複数の系外惑星が間を置かずに次々に主星の前を通り過ぎたデータを取得したため、あたかも1個の惑星が主星の減光をもたらしたように見えてしまったのである。このように、論文では捏造でなくても、誤った結果を提出してしまうことがある。論文発表はあくまでも、仮説の提示をすることに過ぎないのである。


・地球に似ている惑星たち


話を元に戻そう。TRAPPIST-1に近い6個の系外惑星は、質量が地球の0.4〜1.4倍、半径が0.77〜1.13倍の範囲に収まることが分かった。非常に地球に似通った惑星であることがうかがえる。


ただし、これらの系外惑星は主星であるTRAPPIST-1にきわめて近いところを周っており、その公転周期も1.5〜12日間と驚くほど短い。それでも、TRAPPIST-1e、TRAPPIST-1f、TRAPPIST-1gなどは地球ー太陽間に比べて主星に20倍以上も近づいているにもかかわらず、地表に液体の水を維持しうると考えられている。これは、TRAPPIST-1が太陽に比べるときわめて低温の赤色矮星であるため、TRAPPIST-1との距離が近くても、惑星はさほど熱くならないと考えられるからである。


ただし、TRAPPIST-1と距離が近すぎるため、これらの系外惑星たちは「潮汐ロック」により、惑星の半面が常にTRAPPIST-1を向いており、もう片方の半面はその反対の方向に面していると考えられる。つまり、片方は常に昼で、もう片方は常に夜という環境である。これは、月も同じ。このような環境が、地球とはだいぶ異なる。


こういった環境条件の惑星は、生命が棲むには厳しいかもしれない。だが、惑星上に局所的に適度な環境があれば、そこに生命がいてもおかしくはないだろう。


・今後は大気を分析


今回の研究により、TRAPPIST-1の系外惑星群の「第二の地球」モデルとしての魅力がいっそうと深まった。今後のアストロバイオロジーの研究対象として、これらの系外惑星のベールがさらに脱がされていくことだろう。


今後、既存の地上や宇宙の望遠鏡により、これらの系外惑星の大気を分析していくことになるはずだ。トランジット分光法という方法により、系外惑星の大気を透過した主星の光を分析することで、大気のどの物質が光を吸収したかを推定できる。とくに、2018年に打ち上げられる予定の次世代宇宙望遠鏡「James Webb Space Telescope」のにより、大気組成の詳細な分析がなされるだろう。


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希望的観測だが、もしもこれらの系外惑星に水や酸素やメタンなどが同時に見つかれば、生命存在の可能性が格段に高まる。これらの分子は、生命活動による積極的な供給がないと、共存できないと考えられているからだ。植物のサインなどキャッチできれば、これは大変なことになる(次世代宇宙望遠鏡のスペックでどこまで高い精度のデータが取れるかは不明だが)。


いずれにしても、宇宙探査は今後ますます生命探査と同義になっていくだろう。太陽系外でも太陽系内でも生命が存在する大きな証拠が得られれば、それは人類の思考の根幹に計り知れない影響を与え、価値観の大転換を促すはずだ。その瞬間が訪れるのがあと10年なのか20年なのかは、誰にもわからないが。


さて、最後に、先日行った「クマムシ博士のNASA会見発表内容予想」の自己採点をしようと思う。正直、今回は予想難易度がだいぶ高かった。当初、「系外惑星の大気の分析」が発表内容だと思っていたが、これは違っていた。だが、次のように、当たっていた部分もある。

その系外惑星の表面温度が「液体の水」を保持できる範囲内である可能性、つまり、ハビタブル(生命棲息可能)な惑星である可能性が強く示唆されるような内容も、今回の発見に含まれるのではないかと予想する。

(中略)

今回はTRAPPIST-1の系外惑星群をフィーチャーした可能性が高い。


「ハビタブルな惑星である可能性が強く示唆されるような内容」、そして、「TRAPPIST-1の系外惑星群」というかなり狭い範囲で特定の系外惑星群を予想できていた。このポイントは高い。よって、今回は総合して65点の出来だったのではないかと思う。この点数が高いか低いかは、各読者のご判断にお任せしたい。


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」374号「NASAが発表した「TRAPPIST-1の系外惑星群」のインパクト」からの抜粋です。

www.mag2.com


【参考資料】

第二の地球を探せ!  「太陽系外惑星天文学」入門 (光文社新書)

第二の地球を探せ! 「太陽系外惑星天文学」入門 (光文社新書)

系外惑星の探索の歴史から、その発見の手法について網羅的に解説した良書。アストロバイオロジーの文脈での系外惑星を知りたい人にとくにおすすめの一冊。


NASA Telescope Reveals Largest Batch of Earth-Size, Habitable-Zone Planets Around Single Star

These seven alien worlds could help explain how planets form

Gillon et al. (2017) Seven temperate terrestrial planets around the nearby ultracool dwarf star TRAPPIST-1. Nature


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NASAの「太陽系外の惑星に関する発見」を予想する

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Image credit: NASA JPL/Caltech (images used under NASA media usage guidelines)


NASAは2017年2月22日(日本時間は23日未明)、「太陽系外惑星についての新たな発見」について記者会見を開催すると公式サイトでアナウンスした。


www.nasa.gov


・系外惑星について何かしらの発見


私、クマムシ博士はこれまでに「ヒ素をDNAに取り込む細菌」や「火星表面に液体の水」、そして2016年には「エウロパの間欠泉」など、NASA発表の予想を的中させてきた。このイベントは恒例になりつつあり、NASAが会見をアナウンスすると、現役のNASA職員からも予想について聞かれるようになった。



ちなみに、こちらの小野さんのようにNASA内部の人だからといって、今回の会見内容を知っているわけではない。NASAにはセンターがいくつもあり、同じセンター内でも部署や専門分野が異なれば、発見内容を知る由もない。私も以前NASAに所属していたが、今回の件については、もちろん何も知らされていない。


さて、今回の発見は「太陽系外の惑星」、いわゆる「系外惑星」に関するものであることが、NASA公式サイトで明示されている。実は、2016年にも系外惑星について同様の記者会見が開かれ、このときは1000を超える多数の系外惑星が認定された、という内容の発表だった。


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しばしばNASAの記者会見アナウンスでは、「ヒ素細菌」のときのように「重大な発見」など、その重要性を強調する形容詞がつけられるが、今回はそのような大げさな感じはない。また、前回の「エウロパ間欠泉」のように、わざわざ記者会見するのかわからないような、科学的インパクトがそれほど大きくない成果を発表することもある。


ただ、今回は科学誌Natureに発表する研究成果ということで、科学的インパクトはそれなりに大きく「セクシー」な内容と思われる。


・記者会見出席メンバーから発見内容を予想する


それでは、今回は系外惑星について、どんな知見が得られたのだろうか。2016年の時のように、また、多数の惑星が系外惑星リストに加えられるのだろうか。


今回の発見の内容を知る手がかりは、記者会見に出席するメンバーにある。各メンバーの属性、つまり、得意とする専門分野を調べれば、どのような内容かを絞り込める。さっそく、ここで公式サイトに掲載されている記者会見出席メンバーを見てみよう。


Thomas Zurbuchen, associate administrator of the Science Mission Directorate at NASA Headquarters in Washington

Michael Gillon, astronomer at the University of Liege in Belgium

Sean Carey, manager of NASA's Spitzer Science Center at Caltech/IPAC, Pasadena, California

Nikole Lewis, astronomer at the Space Telescope Science Institute in Baltimore

Sara Seager, professor of planetary science and physics at Massachusetts Institute of Technology, Cambridge


1人目のThomas Zurbuchen氏はNASA本部の人だ。NASA本部の偉い人は発見内容の本質には無関係な、ただの調整役。なので、この人からは何の情報も引き出せないのでパスする。


2人目のMichael Gillon氏は、ベルギーのリエージュ大学に所属する天文学者。NASAの所属でないのにもかかわらず、わざわざNASA主催の会見に出席するところがポイント。Gillon氏はトラピスト望遠鏡(TRAPPIST)を用いて、系外惑星系の観測を行っている。今回のキーパーソンだろう。


3人目のSean Carey氏はNASA Spitzer Science Centerのマネージャー。Carey氏について検索をしても、彼の専門分野の詳細についてはよくわからない。ただし、彼がNASA GoddardでもNASA Amesでもなく、NASA Spitzer Science Centerの所属というのは、ヒントになるだろう。NASA Spitzer Science CenterはNASA JPLに関係のあるセンターと思われ、スピッツァー宇宙望遠鏡(Spitzer Space Telescope)を運用している。


4人目のNikole Lewis氏はアメリカ・ボルチモアにある宇宙望遠鏡科学研究所に所属する天文学者。彼女の専門は系外惑星の大気の解析。しかも、スピッツァー宇宙望遠鏡を用いた解析にも関わっている。これらは大きなヒントになる情報だ。


5人目のSara Seager氏はマサチューセッツ工科大学の宇宙物理学者。系外惑星の大気の解析などで功績がある。TEDでも系外惑星についてプレゼンをしている。



これら5人のメンバーのバックグラウンド調査からは、「系外惑星」の他に「望遠鏡」や「大気分析」といったキーワードが引き出された。つまり、これらのキーワードをつなげてみると「望遠鏡で系外惑星の大気分析をした」となる。つまり、今回は「系外惑星をたくさんみつけた」という量的な発見ではなく、「特定の系外惑星の大気を分析して何かがわかった」という質的な成果なのだろう。


・生命を育める系外惑星についての報告か


さらに、もうひとつ大事な前提がある。ここ最近の宇宙探査の目的は、地球外生命の探索がメインになっている。これは、アストロバイオロジー(宇宙生物科学)が扱う研究分野だ。実際に、ここ数年、NASAが開くこのような会見はすべて、アストロバイオロジーに関わる成果報告の場になっている。今回の発見も間違いなく、アストロバイオロジーに根ざしたものだろう。


アストロバイオロジーを軸とした、系外惑星の大気の分析。ずばり、今回の発見内容は、「ある系外惑星に生命が存在しうる大気成分がみられた」というものだろう。たとえば、あるスーパーアース(岩石成分でできている地球の数倍程度の大きさの系外惑星)の大気に水蒸気、酸素、二酸化炭素、メタン、オゾンなどが観測された、などである。


これは一部、上の小野さんの予想ともかぶる。私としては、これにプラスアルファとして、その系外惑星の表面温度が「液体の水」を保持できる範囲内である可能性、つまり、ハビタブル(生命棲息可能)な惑星である可能性が強く示唆されるような内容も、今回の発見に含まれるのではないかと予想する。


今回の観測には、スピッツァー宇宙望遠鏡の分光計などを用いたと思われる(分光トランジット観測)。これは、観測されたスペクトルにより大気の成分を予測する方法である。よって、「地球外生命体そのものの検出」はできない。


以上が、クマムシ博士による今回のNASAの会見内容の予想である。


・さらに突っ込んだ予想をしてみる


さて、おまけで、ここからはさらにもう少し突っ込んだ予想をしてみたい。


今回の成果でフォーカスする系外惑星だが、おそらく新規のものではなく、すでに見つかっている既知のものである可能性が高いと考える。有名なスーパーアースとしてケプラー22bやグリーゼ581gなどがあるが、今回はTRAPPIST-1の系外惑星群をフィーチャーした可能性が高い。


TRAPPIST-1は、太陽系から40光年の距離に位置する、きわめて小さな赤色矮星である。2016年には、このTRAPPIST-1の周りを公転する複数の系外惑星の存在がトラピスト望遠鏡により確認された。これらの系外惑星TRAPPIST-1b、TRAPPIST-1c、そしてTRAPPIST-1dは、生命を宿す可能性があるとして注目されている。そしてこの成果は、今回の記者会見に出席するGillon氏が主導する研究チームによるものだ。


Gillon et al. (2016) Temperate Earth-sized planets transiting a nearby ultracool dwarf star. Nature

de Wit et al. (2016) A combined transmission spectrum of the Earth-sized exoplanets TRAPPIST-1 b and c. Nature


もしかすると、今回は、スピッツァー宇宙望遠鏡によってこれらの系外惑星の大気や表面温度を詳細に解析した結果、「第二の地球」にふさわしい条件をもつことがわかったのかもしれない。そうだとしたら、たったの40光年しか離れていないところにも生命体がいる可能性が出てくるわけで、相当に面白い発見である。


ただ一方で、この予想には不安要素もある。現在の技術では、地球より少し大きいくらいの系外惑星を解析するのは難しい。これらの系外惑星の大気を詳細に分析するためには、まだ打ち上げられていない次世代宇宙望遠鏡「James Webb Space Telescope」の活躍を待たなくてはならないと言われている。スピッツァー宇宙望遠鏡のスペックで、系外惑星の大気をどこまで詳細に分析できるのか、疑問が残る。


若干、もやもやした部分が残るが、これが現段階で私が考えうる、NASA会見内容の予想である。当日の会見を、楽しみに待ちたい。


【追記】2017.2.23


NASA会見が行われ、今回の発見内容が判明した。「ハビタブルなTRAPPIST-1の系外惑星についての新知見」という今回の予想が的中。この発見内容について、解説記事を書いたた。

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※本記事は有料メルマガ「むしマガ」373号「NASAの「太陽系外の惑星に関する発見」を予想する」からの抜粋です。


【参考資料】

生命の星の条件を探る

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クマムシ博士のレビューはこちら。

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山門 峻: ガリレオ衛星食を用いた分光観測による木星上層大気の構造解析


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すでに始まっている「子どもの遺伝子改変」

人類の倫理観を変えつつあるバイオテクノロジー「ゲノム編集」と「ミトコンドリア置換」についての解説記事をウェブ・ジャーナル『ハーバー・ビジネス・オンライン』に寄稿しました。

もしかすると、治療目的で子どもを遺伝子改変することは、10〜20年後には珍しいことではなくなっているかもしれない。


だが、忘れてならないのは、受精卵に遺伝子改変を施す場合は、子どもにインフォームドコンセントをすることができないということだ。何も知らされずに遺伝子改変人間となった場合、そのような子どもにはアイデンティティー・クライシスが起きてもおかしくない。


さらに、受精卵への遺伝子改変は、子孫代々に受け継がれることになる。いったん受け渡した遺伝子改変は、子孫を通して拡散してゆく。


我々は、このことについて、よく考えておく必要がある。将来、誰もがこの技術を使う当事者になりかねないのだから。

hbol.jp

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【書評】『ヒトの遺伝子改変はどこまで許されるのか ゲノム編集の光と影』イノベーションに突きつけられた、大きな課題

ヒトの遺伝子改変はどこまで許されるのか ゲノム編集の光と影 (イースト新書Q)

ヒトの遺伝子改変はどこまで許されるのか ゲノム編集の光と影 (イースト新書Q)


生殖医療技術と遺伝子改変技術の目覚しい進展により、人類はすでに、自分たちの遺伝子を改変する時代に入っている。


本書の「遺伝子改変は"どこまで"許されるのか」というタイトルは、いま議論すべき喫緊の課題である。本書では、生命倫理学の専門家である著者が、生殖医療技術と遺伝子改変技術の過去と現在を紹介しつつ、この課題の落としどころを冷静に探ってゆく。


ゲノム編集技術「CRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)システム」の登場により、従来の遺伝子組み換え技術とは比較にならないほど、高効率で容易に、しかも安価に生物の遺伝子改変を行うことが可能になった。CRISPR/Cas9システムを用いた遺伝子改変により、筋肉が増量したマダイやウシなどの農産物や、医学研究のためにヒトの疾患を再現したサルが、すでに誕生している。


そして2016年、ついに世界で初めて、CRISPR/Cas9システムを用いたがん遺伝子治療の臨床試験が、中国で行われた


がん細胞は、自分を攻撃するリンパ球(T細胞)の働きを抑える。そこで研究者らは、がん細胞の作用を受けずに攻撃力を維持したリンパ球を遺伝子改変で作り出すことを思いついた。遺伝子改変したリンパ球にがん細胞を攻撃させることで、がんを治療できると考えたのである。


この臨床試験では、肺がん患者のリンパ球を採取したのちにCRISPR/Cas9システムによって遺伝子改変し、再び肺がん患者の体内に戻した。この肺がん患者のその後の容態については、まだ発表されていない。


ゲノム編集による遺伝子治療は、がんや遺伝病の克服に光明を与えるツールであることは、間違いない。ただ、それと同時に、その安全性についてはまだ未知数なのも事実だ。


ヒトにゲノム編集を施す際に懸念されるのが、ゲノムDNA上の狙った位置以外の部分を編集してしまうことである。これはオフターゲット作用という。オフターゲット作用により、たとえばがん原因遺伝子やがん抑制遺伝子に変異を起こしてしまうと、がんを発症しかねない。


実際に、遺伝子組み換え法で遺伝子治療を受けた少なくない数の患者が、血液のがんである白血病を発症した事例もある。いずれにしても、遺伝子改変による治療を行うにあたって大事になことは、治療によって享受しうるメリットがデメリットを上回ることだ。


ところで、リンパ球のような体細胞に施された遺伝子改変は、子どもに伝わることはない。だが、卵子、精子、そして受精卵などの生殖細胞に遺伝子改変を施す場合は、その遺伝子改変が子孫に代々伝わっていく。


遺伝病の治療や予防のためであっても、生殖細胞を遺伝子改変については、よりいっそうの安全性の検証が必要になる。基礎研究によるデータを吟味し、ヒト生殖細胞への臨床応用は慎重になるべきだ。


だが、本書で紹介されている現状を鑑みる限り、生殖細胞へのゲノム編集治療はいつ起きてもおかしくないと感じる。遺伝病原因遺伝子を保有する患者当事者からも生殖細胞を用いたゲノム編集研究を望む声が出されているし、そのような研究を厳しく規制していない国も多い。


治療目的ではなく、プロスポーツ選手にすべく遺伝子改変で筋肉を増強したゲノム編集ベビーを望む親が出てきてもおかしくない。そのような親からの需要が増せば、生殖細胞への遺伝子改変サービスを提供する闇医療ビジネスもできてくるだろう。


イノベーションは、人類の倫理観を劇的に変えうる。ゲノム編集技術というイノベーションはまさに今、「ヒトの遺伝子改変はどこまで許されるのか」という問いを私たち一人一人に投げかけている。本書を読めば、この大きな課題への理解が格段に深まるはずだ。

ゲノム編集の衝撃―「神の領域」に迫るテクノロジー

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本書のテーマの核にもなっているゲノム編集技術について丁寧に書かれた良解説書。クマムシ博士のレビューはこちら。

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※本記事は書評サイトHONZに寄稿したものです

クマムシール付き『クマムシ博士のクマムシへんてこ最強伝説』を出版します。

クマムシ本新刊『クマムシ博士のクマムシへんてこ最強伝説』を2月下旬に出版します。最強生物クマムシの本なので、本書の帯には「死なない!」がやたら目立っていますが、もちろんクマムシも死にます。それも、意外なくらいにあっけなく。本書ではクマムシの強さよりも、むしろそういう弱い部分を取り上げています。


クマムシ博士の クマムシへんてこ最強伝説

クマムシ博士の クマムシへんてこ最強伝説

  • 作者: 堀川大樹,ナショナルジオグラフィック
  • 出版社/メーカー: 日経ナショナルジオグラフィック社
  • 発売日: 2017/02/24
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る


前作『クマムシ研究日誌』や前々作『クマムシ博士の「最強生物」学講座』とは異なり、本書『クマムシ博士のクマムシへんてこ最強伝説』では、クマムシのちょっとした仕草やへんな習性、そして、研究をする上で重要であるものの語られることのないクマムシtipsなどをイラストともに描きました。


クマムシにしても他の生きものにしても、研究論文では書かれないけれど面白い習性がたくさんあるものです。今回、クマムシに日々向き合い、実際に目にしたことを書けるのは、とても楽しいことでした。クマムシ研究者にとってみれば「あるある!」と首肯してしまうようなものばかり。マニアックなネタばかりだけれど、二次情報からは知ることのできない「へんてこ」なクマムシのナマ生態を少しでも多くの人に知ってもらえれば嬉しいです。


ところで、本書はWebナショジオで連載していた『クマムシ観察絵日記』に大幅な加筆をし、コラムを加えたものです。『クマムシ観察絵日記』のWeb連載で掲載していたクマムシイラストはカラーでしたが、書籍化にあたり事情あってイラストは白黒になっています。その代わり、本書の巻頭には付録として11点のフルカラー・クマムシイラストのシールがついています。おとくまむし。


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一見ゆるい感じの本書ですが、中身は割とマニアックな本格派です。クマムシ好きな大人にはもちろん、小さなお子さんがいる家庭で親子一緒に読むのもマル。


本書の目次は以下のとおり。

クマムシ博士のクマムシへんてこ最強伝説


目次


ここが最強!クマムシの愛すべきエクストリーム・ポイント



第1章 クマムシとは何者か


 “最強生物”クマムシとは

第2章 クマムシ観察絵日記


 1日目「クマムシ、すべる」
 2日目「クマムシのすみか」
 3日目「屏風のトラ、コケのクマムシ」
 4日目「初対面の感動」
 5日目「マイ実体顕微鏡購入のすすめ」
 6日目「コケの中の乾燥生物フレンズ」
 7日目「一網打尽!クマムシ大量捕獲マシーン」
 8日目「美白のシロクマムシ」
 9日目「クマムシ界の猛獣、オニクマムシ」
 10日目「最高にクールなヨロイトゲクマムシ」
 11日目「クマムシ界の横綱、ヨコヅナクマムシ」
 12日目「ビッグ・クマムシ」 
 13日目「「弱さが武器」のクマムシ」
 14日目「食べたものも丸わかり、すけすけボディー」
 15日目「卵のアート」
 16日目「クマムシをあやつる」
 17日目「息苦しい世の中は死んだふりでやり過ごせ」
 18日目「残酷非道な標本作り」
 19日目「クマムシの種類を決める苦行」
 20日目「肉食クマムシの強力キス」
 21日目「生きたままのミイラをつくる」
 22日目「クマムシ界の猛獣を手なずける」
 23日目「クマムシのすべらない話」
 24日目「モグモグ・ベアーズ」
 25日目「おちょぼ口のミニハンター」
 26日目「クマムシ vs センチュウ」
 27日目「全米が泣いた?!『クマムシの恋人』」
 28日目「母さんが残したシェルター」
 29日目「シェルター・ベイビーズ」
 30日目「クマムシの餌を引きはがす」
 31日目「死を招く天敵「モヤモヤ」」
 32日目「悪夢」
 33日目「クロレラとクマムシ」
 34日目「浪費家の恋人に貢げ」
 35日目「手放せない緑の絨毯」
 36日目「さよなら絨毯」
 37日目「女子会好きなヨコヅナ」
 38日目「目に焼きつける、クマムシの色」
 39日目「天空からのインベーダー」
 40日目「ヨコヅナの強さ」
 41日目「透明ドレスのひみつ」
 42日目「寒がりの道産子」
 43日目「橋本聖子仮説」
 最終日「グッバイ人類」

第3章 もっとクマムシ


 クマムシはいかに最強なのか
 鳥羽水族館で生体展示
 クマムシを食べてみた


あとがき


すでにアマゾンで本書の予約注文が始まっています。初版の部数はあまり多くないので、万一の品切れに備えて今のうちに予約しておくと確実に入手できると思われます。


最後に、この本ができた経緯について少し。


ことの始まりは、『Webナショジオ』の人気シリーズ『研究室に行ってみた』でした。2011年、作家の川端裕人さんがこのシリーズの取材のために、私が当時いたフランスの研究室まで来ていただき、記事にしていただきました。


natgeo.nikkeibp.co.jp


翌年の2012年、この記事を担当していたWebナショジオ編集者の齋藤海仁さんから、「クマムシを題材に何か連載ができないか」という打診をいただきました。「クマムシ4コマ漫画」や「クマムシかるた」などの企画案が出たのだけれど、いろいろあってボツに。


齋藤さんがアイディアを練った末、私がクマムシを観察していて面白いと感じたところなどを絵日記風にして紹介する『クマムシ観察絵日記』の連載が決まり、2014年にWebナショジオで始まりました。斎藤さんから最初に連載の企画をいただいてから、実に2年が経過していました。


natgeo.nikkeibp.co.jp


『クマムシ観察絵日記』の連載は2016年に終了。その後、ナショジオからの書籍化が決定。こうして、本書『クマムシ博士のクマムシへんてこ最強伝説』の出版に至りました。書籍化にあたって、ナショジオの葛西陽子さんと尾崎憲和さんにはたいへんお世話になりました。


ナショジオの皆さん、イラストを手伝っていただいたsakiさん、クマムシ研究仲間、クマムシたち、そしてクマムシファンのみなさまがいたからこそ、本書が世にでることになりました。少しでも多くの人が本書を手にとってくれますように。


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クマムシでも分かる。生殖医療・遺伝子治療技術「ミトコンドリア置換法」

2016年と2017年、遺伝子改変を含む生殖医療技術「ミトコンドリア置換法」が施された子どもが相次いで誕生した。今後の生殖医療動向に大きな影響を与える出来事だといえよう。


ゲノム編集による遺伝子治療の臨床試験も本格化し、今後はヒトへの遺伝子改変実施が急速に行われるようになる可能性がある。ここでは、世界で物議を醸しているミトコンドリア置換法について解説する。


ミトコンドリアとは


私たちの細胞には、ミトコンドリアという細胞小器官が多数存在する。ミトコンドリアには、生命活動に必要なエネルギーを作る役割がある。


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図1. クマムシと細胞とミトコンドリア


細胞に存在するDNAの大部分は核の中に収められているが、ミトコンドリアにも独自のDNAがある(ヒトでは37の遺伝子がある)。細胞と同様に、ミトコンドリアもDNA複製を伴いながら分裂、増殖する。


ミトコンドリアはもともとは別個の細菌であり、それが細胞内に入り込んで共生したと考えられている(細胞内共生説)。ミトコンドリアはSF小説『パラサイト・イヴ』のネタにもなっているので、知っている人も多いかもしれない。


ミトコンドリア病


ミトコンドリアDNAは、核DNAに比べて変異しやすい。ミトコンドリアDNAに起きた有害な変異が修復されないと、正常に機能しない異常ミトコンドリアが生じる。


ミトコンドリアに異常があると、エネルギーを生産する機能が低下する。ミトコンドリア病患者は、脳や筋肉など、とくにエネルギーを要する部位で障害が出やすくなる。ミトコンドリア病の15%ほどはミトコンドリアDNAの変異が原因である(残りは核DNAの変異が原因)。*1


生まれてくる子どものうち5000~10000人に1人が、ミトコンドリアDNAの異常に起因したミトコンドリア病に疾患しているとされる。ミトコンドリア病の重篤さの程度は細胞内の異常ミトコンドリアの割合や変異したミトコンドリア遺伝子の種類によるが、多くは成人する前に死亡してしまう。


すべてのミトコンドリアは母親の卵からのみ引き継がれる。よって、母親のミトコンドリアDNAに異常がある場合、その母親の子どもには異常ミトコンドリアが引き継がれることになる。ミトコンドリア病の有効な治療法は、限られているのが現状だ。


ミトコンドリア置換法


ミトコンドリア置換法は、生まれてくる子どものミトコンドリア病を予防する方法として考案された。この方法では、卵の中の異常ミトコンドリアを、第三者の女性の卵に由来する正常ミトコンドリアで置き換える。


ミトコンドリア置換を施された受精卵には、卵由来の核DNA、精子由来の核DNA、そして第三者に由来するミトコンドリアDNAを含む。つまり、この受精卵から発生した子どもは三人の親に由来するDNAをもつことになる。ミトコンドリア置換法は別名「3人体外受精法(three-person in vitro fertilization (IVF))」ともよばれる。


ミトコンドリア置換法には前核移植法(pro-nuclear transfer (PNT))と卵子紡錘体移植法(maternal spindle transfer (MST))がある。


前核移植法


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図2. 前核移植法


1. 体外受精により、異常ミトコンドリアをもつ母親の卵(母親の核DNAを含む)と、父親の精子(父親の核DNAを含む)を受精させる。

2. 受精卵から核DNA(前核DNA、母親と父親の核DNAを含む)を取り出す。

3. 正常ミトコンドリアをもつ第三者女性の卵(第三者女性の核DNAを含む)と、父親の精子を受精させた受精卵を用意する。この核DNA(第三者女性と父親の核DNA)を除いた受精卵に、2の前核DNA(母親と父親の核DNA)を注入する

4. 正常なミトコンドリアをもつ受精卵ができる。細胞分裂がしばらく進んだ後に、母親の子宮にいれる。


卵子紡錘体移植法


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図3. 卵子紡錘体移植法


1. 変異ミトコンドリアをもつ母親の卵から核DNA(紡錘体-染色体複合体)を取り出す。

2. 正常ミトコンドリアをもつ第三者女性の卵から核DNA(紡錘体-染色体複合体)を移植する。

3. 体外受精により、2の卵に父親の精子(父親の核DNAを含む)を受精させる。

4. 正常なミトコンドリアをもつ受精卵ができる。細胞分裂がしばらく進んだ後に母親の子宮にいれる。


ミトコンドリア置換法の実施


2015年、イギリス議会下院は、ミトコンドリア置換法の臨床試験実施の開始について賛成多数で承認された。だが、生殖医療技術の臨床試験実施の可否について実行力をもつイギリスのヒト受精・胚機構(Human Fertilisation and Embryology Authority (HFEA))は慎重な姿勢をとっており、当国での臨床試験は2016年まで実施されていなかった。


2016年、アメリカのNew Hope Fertility CenterのJohn Zhangらは、ミトコンドリア置換法をメキシコで実施したと発表した。母親のヨルダン人女性は、ミトコンドリアDNA変異に起因したリー症候群というミトコンドリア病を患っており、すでに4人の子どもを流産で失い、さらに2人の子どもも出生後に亡くしていた。


メキシコでは、ミトコンドリア置換法の臨床試験の実施についての法的規制は設けられていない。今回は卵子紡錘体移植法により、母親の核DNAを取り出したのち、正常ミトコンドリアをもつ第三者女性の卵に移植した。その後、父親の精子を受精させ、受精卵を母親の子宮に戻した。


この臨床試験により、男の子が誕生。子どもにはとくに目立った異常は観察されていないという。メキシコの他に、ウクライナや中国など、ミトコンドリア置換法について法整備がされていない国ではすでにこの技術の臨床試験が実施されたとする報告がある。


ミトコンドリア置換法のデメリット


一見すると、ほとんど問題のない治療に見えるミトコンドリア置換法だが、懸念材料は多い。まず第一に問題なのが、卵から卵に核DNAを移植する際に、母親由来の異常ミトコンドリアを少なからず持ち込んでしまうことだ。


技術的な限界で、母親の卵から核DNAを取り出す際に、どうしても異常ミトコンドリアも一緒に取り出してしまう。今回メキシコで行われた臨床試験でも、生まれた子どもの細胞には少なからず異常ミトコンドリアが含まれていた。


持ち運ばれた患者由来の異常ミトコンドリアの割合がたとえわずかだとしても、細胞分裂を重ねるごとにこの異常ミトコンドリアの割合が著しく増加する場合があることが、生体外で行われた実験で確認されている。もしそのようなことが今回の男の子に起これば、成長とともにミトコンドリア病を発症してもおかしくない。


また、核DNAとミトコンドリアDNAは進化の過程で協調関係を築いてきたことを示唆するデータも報告されている。異なる系統のマウス間で正常ミトコンドリアを交換した場合、生体リズムが変化したりストレス耐性が低下するなどの生理的影響が見られた。*2


ミトコンドリアはエネルギー生産だけではなく、幅広い細胞機能にも関わっている。ミトコンドリアにはまだ生物学的に未知の部分が多いため、ミトコンドリア置換法には大きな潜在リスクがある。生まれた子どもが異常をもつようになる可能性は高いかもしれない。ヒトへの実施を本格化する前に、ミトコンドリア置換法により出生したマウスやサルなどの実験動物を長期観察する必要があるだろう。


また、これはミトコンドリア置換法に限らないが、遺伝子が改変された子どもの人権も考慮しなければならない。今回のミトコンドリア置換法の実施により誕生したのは男の子なので、この子のミトコンドリアが子孫に受け継がれることはないが、女の子の場合には子どもにも第三者のミトコンドリアを受け渡すことになる。


今後の展望


現時点では、ミトコンドリア置換法を実際に採用するのは時期尚早に思える。ミトコンドリア置換法の実施には、患者由来の異常ミトコンドリアの持ち込みをできるかぎりゼロに近づけること、そして、出生した子どもの長期的な安全性が保証されることが重要だろう。


だが、すでに臨床試験が始まったあとでは、法規制のゆるい国ではミトコンドリア置換法による治療が次々と行われていきそうだ。これは生殖系列への遺伝子改変に対する意識ハードルが下がることにもつながる。ゲノム編集による生殖系列への遺伝子改変も次第に行われる可能性が高まったと言える。


最初は治療目的で、そして徐々に、より優れた特徴をもつ子どもを誕生させる目的で「デザイナーベイビー」を作ろうとする親と医者が出てくる日も、そう遠くないのかもしれない。ただ、今の段階でミトコンドリア置換法を取り入れるのは、上記の理由から、思いとどまったほうがよいだろう。


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」366号「クマムシでもわかる。生殖医療・遺伝子治療技術「ミトコンドリア置換法」」に掲載されたコンテンツの一部です。

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【参考資料】

生殖医療の衝撃: 石原 理 著

ミトコンドリア・ミステリー: 林 純一 著

ヒト生殖細胞系におけるミトコンドリア置換の開始がグローバルポリシーーに与える潜在的影響

ミトコンドリア遺伝病の生殖系列細胞の遺伝子治療へむけた紡錘体置換法

UK moves closer to allowing ‘three-parent’ babies

Reproductive medicine: The power of three

‘Three-parent baby’ claim raises hopes - and ethical concerns

Three-person embryos may fail to vanquish mutant mitochondria

World hails UK vote on three-person embryos

The hidden risks for ‘three-person’ babies

New Herbert lab Nature paper reinforces mitochondrial replacement Achilles heel

Open letter to UK Parliament: avoid historic mistake on rushing human genetic modification

Mitochondrial replacement, evolution, and the clinic

Reproductive BioMedicine Online

【関連記事】

horikawad.hatenadiary.com

*1:核DNAにもミトコンドリアの機能を制御するタンパク質がコードされている。このうちの76の遺伝子によってコードされるタンパク質は、ミトコンドリア由来のペプチドと相互作用する。

*2:これとは逆に、異なる系統マウスのミトコンドリアを置換することで長寿になったとする報告もある。

小飼弾さんのニコニコチャンネル『404ch Not Found』の番組にゲスト生出演します

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2017年1月23日(月)20時から小飼弾さんのニコニコチャンネル『404ch Not Found』の番組にゲスト生出演します。


live.nicovideo.jp


私はだいぶ前から小飼弾さんのブログ『404 Blog Not Found』で書評などの記事をよく読んでいたので、今回、ニコニコ生放送でゲストとして呼んでいただきとても嬉しい。


当日はクマムシの話を中心にする予定だが、何しろあの博学な小飼さんなので、どんな方向に話が飛んでいくかわからない。地蔵にならないように、話すネタのストックを用意しておこう。


あ、ニコニコといえばクマムシチャンネルもよろしくどうぞ。


ch.nicovideo.jp


今年は一、二週間に一度くらいのペースで生放送をする予定。1月14日(土)も一人語りをする。


live.nicovideo.jp

2016年にクマムシ博士が掲載された雑誌や書籍など

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ジュニアエラ2016年9月号より


2016年もさまざまな出版物などでクマムシ博士を紹介していただいた。ここでは、主なものを紹介させていただく。


DVD付 水の生き物 (学研の図鑑LIVE)

DVD付 水の生き物 (学研の図鑑LIVE)


まずは水の生物をフィーチャーした図鑑。クマムシのパートへの資料提供および監修を、荒川和晴さんと藤本心太さんと一緒に担当した。


この図鑑はクマムシもさることながら、他にもあまりスポットライトが当たらない生物も含め、かなりの水生生物の分類群をカバーしている。掲載種数は1300種。系統樹も入っていたりと、なかなか本格的な作りになっているので、大人も興奮できる。


これをながめておけば、海辺や川辺に出かけたときも、楽しさはひとしおだろう。付録のBBC制作DVDも楽しい。年月を経ても読まれ続けるであろう、力の入った図鑑だ。


本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)

本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)


こちらは言わずと知れた堀江貴文さんの著書。ベストセラーになっているようだ。本書では「言い訳しないで行動する」例として、クマムシ博士の活動を取り上げていただいた。他には、カンボジア国籍を取得しオリンピックに出場した猫ひろしさんも紹介されている。


フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。

フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。


こちらは、以前クマムシ一日バーを開催させていただいたバー「月に吠える」のオーナーのコエヌマカズユキさんの著書。ウェブマガジンでもインタビューしてもらった。


magazine.moonbark.net


昨今、フリーライターやウェブライターがジャンクページを量産する駒として扱われている報道をよく目にするが、本書ではそうならずにライターとしてやっていくための指南が示されている。 


フリーライターとして強みをもつ方法はいろいろあるが、そのひとつが誰にも負けない専門知識を身につけることだ。その例として、本書はクマムシ博士を紹介している。


本書はライター志望者に向けて書かれているが、どんな仕事にも参考になるTipsも多い。とりあえず、物書きをする人は読んでおいて損はない。


ジュニアエラ 2016年 09 月号 [雑誌]

ジュニアエラ 2016年 09 月号 [雑誌]


子ども向けジャーナル『ジュニアエラ』9月号には「“最強”生物「クマムシ」のナゾ」と題したインタビュー記事を掲載いただいた。最近はクマムシを知っている子どもが増えて嬉しい限り。


www.aquarium.co.jp


鳥羽水族館の機関紙『TOBA SUPER AQUARIUM』2016年夏号(No.69)には「クマムシ生体展示への道」と題した記事を寄稿させていただいた。鳥羽水族館では、不定期でヨコヅナクマムシの生体展示が行われている。


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Educo No.40/2016年初夏号 - 教育出版


こちらも教育雑誌。Educo No.40/2016年初夏号で、クマムシ研究についての取り組みについて書かせてもらった。


あとはテレビや新聞などにもいろいろと取り上げてもらったが、ここでは割愛する。2017年はクマムシ博士の単著新刊も出る予定なので、またしかるべき時期に告知させていただきたい。


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クマムシしか研究したくない教員と、アリしか研究したくない学生。

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勇ましい姿の岩井くん


私が北海道大学大学院に進学した2002年、研究室の指導教員の東正剛教授の専門はアリの生態学でした。通常であれば、研究室の指導教員は自分の専門に関連したテーマを学生に与えるもの。でも、私はどうしてもクマムシしか研究したくありませんでした。


東教授は何も言わずに、こちらの好きなようにクマムシの研究をさせてくれました。このあたりの経緯は『クマムシ研究日誌』にも書いた通りです。


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そして時は流れて2014年。私は慶應義塾大学で学生を指導する立場になっていました。そのときに一人の学部1年生を指導することになりました。


彼の名は岩井碩慶くん。小さいときから昆虫が好きで、大学に入る前からアリやハチといった社会性昆虫の研究をしていたといいます。高校時代には、学生向けのコンペティションでも賞をもらったりと、なかなかガチ度の高い学生です。


「アリの研究しかしたくない」。岩井くんは、そう主張していました。私はアリについては素人です。研究室の他の教員にも、アリについて明るい人はいません。


私は、岩井くんの指導をすることにしました。12年前に「クマムシしかやりたくない」といってアリの専門家に指導してもらった因果で、今度は「アリしかやりたくない」という学生の指導をすることになったわけです。


岩井くんは、トゲアリという種類のアリの研究をスタートさせました。トゲアリは、他種のアリの巣を乗っ取り、その巣にいる働きアリを奴隷として使う変わった生態をもちます(社会寄生という)。


ある日、山梨県の山中で友人らとトゲアリの調査をしていた岩井くんは、偶然、トゲアリの巣から、青みがかった珍しいアリスアブの幼虫を発見しました。


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発見したアリスアブの幼虫。Iwai et al. (2016) Biodiversity Data Journalより。(CC BY 4.0)


これはおそらく、ケンランアリスアブとよばれる、アリの巣で生活する好蟻性のアブの種類だと推測されました。成虫のケンランアリスアブはその名の通り、メタリックで絢爛な輝きを放つ、美しいアブです。


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ケンランアリスアブの成虫。Iwai et al. (2016) Biodiversity Data Journalより。(CC BY 4.0)


これまでに、ケンランアリスアブの成虫がトゲアリの巣の近くを飛び回るのは目撃されていましたが、本種の幼虫がトゲアリの巣の中から発見されたことはありませんでした。


岩井くんは、見つけたアリスアブの幼虫を持ち帰って飼育し、成虫まで育てることに成功しました。成虫は確かにケンランアリスアブのように見えました。しかし、岩井くん、そして私も、確信をもってアリスアブの種同定をすることはできません。


しかし、我々はラッキーでした。ケンランアリスアブの記載者で、この生物の第一人者が日本にいたのです。『昆虫はすごい』や『アリの巣をめぐる冒険』の著者で、ドキュメンタリーTV番組『情熱大陸』にも上陸経験をお持ちの、九州大学総合博物館の丸山宗利さんです。また、丸山さんの研究室にいる「裏山の奇人」こと小松貴さんもアリスアブに明るい。


岩井くんは以前から丸山さんと小松さんにコンタクトを取っていましたし、私も2013年のニコニコ学会β「昆虫大学サテライト:むしむし生放送」という一般向けのイベントでお二人と一緒に登壇したことがあり、個人的なつながりがありました。


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さっそくお二人にメールでうかがうと、岩井くんが見つけたアリスアブはやはりケンランアリスアブで間違いなさそうとのこと。さらに研究の新規性もあるので、論文にもなりそうだ、とおっしゃっていただきました。


そこで丸山さんと小松さんに共同研究をお願いし、論文に必要なデータを取っていただいたり、アドバイスをいただいたりしながら、投稿論文の執筆を進めました。


そして2016年末、まだ学部生の岩井くんが筆頭で、オンライン科学ジャーナル『Biodiversity Data Journal』にケンランアリスアブの論文が無事に掲載されました。


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これまでは学生限定のコンペなどでの入賞しか経験がなかった岩井くんにとって、国際科学ジャーナルへの論文投稿の経験はハードで堪えた部分もあったようでした。でも、学部生でこのような経験ができたのは非常にラッキーなこと。ぜひとも、この経験を今後につなげてほしいところです。


私としても、今回はクマムシ以外のトピックで初めて責任著者を担当(丸山さんと共同責任著者)し、なかなか勉強になりました。それにしても、もともとは一般向けのイベントでご縁ができた丸山さんや小松さんと、こうして共著で論文を出すことになろうとは、愉快な成り行きですね。


「アリしかやりたくない」と言う学生のお手伝いが、できたこと。「クマムシしかやりたくない」と言う私の指導をしてくれたアリ専門家の恩師に、14年の時を経て、ちょっとだけ恩返しができたような気がした2016年でした。


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※本記事は有料メルマガ「むしマガ」365号「2016年、クマムシ博士的5大ニュースを振り返る」に掲載されたコンテンツの一部です。

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クリスマスにクマムシを24時間生中継します

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今年のクリスマスはクマムシチャンネルでクマムシを24時間生放送します。クマムシチャンネルはこちら


live.nicovideo.jp


中継場所は、渋谷FabCafe MTRLのオープンバイオスペース・BioClub。


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Photo credit: BioClub


www.bioclub.org


放送は2016年12月24日(土)正午12:00から翌日12月25日(日)正午12:00まで。


当日の中継内容はこちら。

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クマムシ博士が飼育しているクマムシをクリスマスイブからクリスマスにかけて24時間生中継します。

ヨコヅナクマムシを乾燥した仮死状態(乾眠)にして、耐久実験の生中継も。クマムシが復活するかをみんなで一緒に見守りましょう。

クマムシ博士主催のクマムシ研究所の仲間とのクマムシトークもあります。

synapse.am


ニコニコ動画のアカウントお持ちでない方はアカウント作成をしてをログインをすると見ることができます。


www.nicovideo.jp


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今年のクリスマスはリア充も非リア充もクマムシとともに聖なる夜を過ごしましょう。

ハチミツ嫌いのマルクス

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マルクスは「ニガイー族」の末裔として生まれた女の子。一族の他の者と同様に、小さい頃より外の世界から隔絶されて過ごしていた。


ここでいう外の世界とは、「アマイー」族の社会のこと。ニガイー族はアマイー族から差別を受け、虐げてられていた。


アマイー族の世界は、怪獣のすみかの地下に広がっている。ここの怪獣たちは、朝食には決まってハニートーストを食べる。怪獣はハチミツをてんこもりに塗りたくったトーストを食い散らかす。このハチミツつきトーストのかけらは、アマイー族の聖食となる。


この日はアマイー族が感謝祭を開いていた。アマイー族は、怪獣からの恵みであるハチミツを皆で大いに楽しんでいた。


ニガイー族のマルクスは、生まれてから一度もハチミツを口にしたことがなかった。


ニガイー族の家庭では、魚の骨や腐ったキャベツなど、粗末な食べ物しか食卓に上らない。これまでずっと、マルクスは、アマイー族がハチミツを美味しそうにほおばるのを、遠くから見ていることしかできなかった。


しかしこの日、マルクスは己の欲望をどうしても抑えることができなかった。ついにニガイー族侵入防止用バリケードを突破し、アマイー族の居住区域に侵入。


すると、大通りでハチミツをふるまっていた優しそうなおじさんと目が合った。


「お、可愛いお嬢ちゃんだね。おや、まだハチミツ食べてないのかい?ほら、どうぞ」


マルクスは安堵した。自分がニガイー族とはバレていない。おじさんからもらったハチミツを口にした。夢にまで見た、黄金色に輝くごちそうだ。


だが、どうしたことだろう。ハチミツを口に含んだとたん、この世のものとは思えない苦味がマルクスの脳天を直撃した。


「げええええええええええ」


それはまるで、この世に溢れる怨念と憎悪のすべてを凝縮したかのような苦しさだった。吐いても吐いても、苦味がとれない。涙も止まらない。


「こ、こいつ!ニガイー族だ!!」


さっきまで笑顔だったおじさんが、平成13年夏場所千秋楽の貴乃花のように、鬼の形相になって叫んだ。


それを聞きつけた他のアマイー族たちが、いっせいに集まってきた。アマイー族の一味は、マルクスに容赦ない暴行を加えた。そして、マルクスは再びニガイー族の居住域に連行された。


マルクスは、ニガイー族が差別されている理由を理解した。


アマイー族の聖食であるハチミツを食べることができないニガイー族は、呪われた一族というレッテルを貼られていたのだ。だから多数派のアマイー族は、ニガイー族を隔離する政策をとっていたわけだ。


生まれながらにしてハチミツを受けつけない、自らのニガイー族の血を呪うマルクス。やがて部屋から一歩も出ないまま、大人になった。


そんなある日、天から、これまでに見たことのない紫色の物体が、アマイー族のエリアの方で無数に降っているのを目にした。どうやら、怪獣が落としたようだ。


久しぶりに家の外に出てその光景を眺めていると、ハチミツと同じ、苦々しい臭気を発していた。たまらず、家の中に引き返した。他のニガイー族も皆、おびえて家の中に引きこもった。


それからしばらくすると、遠くから声が幾重にもなって響いてきた。アマイー族の、断末魔の叫びだった。


ただならぬ事態に、ニガイー族はおそるおそるアマイー族のエリアまで様子を見に出かけた。そこで見たものは、アマイー族の屍の数々だった。アマイー族の脇には、あの紫色の物体が転がっていた。


この物体の正体は、食毒剤だった。グルコースに毒を混ぜたものだ。グルコースはアマイー族の好物なので、アマイー族は皆この物体を食べた。


ニガイー族はグルコースを食べない。苦いからだ。ハチミツが嫌いなのも、グルコースが多量に含まれているためだ。しかしこの習性のおかげで、ニガイー族は生き残ることができた。


その後、マルクスとニガイー族は子孫を繁栄させ、自分たちの新しい世界を作った。もう、アマイー族からも誰からも迫害されることはない。ようやく訪れた平和を、皆が謳歌した。


(おわり)


【参考文献】

Wada-Katsumata et al. (2013) Changes in taste neurons support the emergence of an adaptive behavior in cockroaches. Science, 340: 972-975.


※本記事は有料メルマガ「むしマガ」155号「ハチミツ嫌いのローラ」に掲載された記事を一部修正したものです。

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【書評】『衛生害虫ゴキブリの研究』年季入りの本格書

衛生害虫ゴキブリの研究 (SCIENCE WATCH)

衛生害虫ゴキブリの研究 (SCIENCE WATCH)


「黒塗りの家庭内ランナー」としてお馴染みの生きもの、ゴキブリ。


たったの一匹が加工食品に混入しただけで、ひとつの企業を存続の危機に追いやるほど、この生物は忌み嫌われている。だがはたして、この同居人の実際の姿を知る日本人は、いったいどれくらいいるだろうか。


何のてらいもないタイトルの通り、本書は、屋内で遭遇する衛生害虫ゴキブリの研究書である。著者は、民間の研究所などで50年以上にわたってゴキブリ研究に従事してきており、ちなみに昭和7年生まれ。そして本書には、著者らによる圧巻の研究成果の数々が、これでもかと言わんばかりに詰め込まれている。表紙に描かれたイラストこそゆるふわの脱力系だが、けっして生半可な気分では読了できない本格的なハードコア・ゴキブリ書に仕上がっているのだ。


本書のページを開くとまず目に飛び込んでくるのが、巻頭カラーグラビアを飾っているゴキブリたちだ。これらはいずれも日本の屋内に出没するゴキブリ種ばかりだが、この巻頭グラビアで真っ先に紹介されているのがヤマトゴキブリであるところに注目したい。外来種も多くいるゴキブリたちの中から、あえて日本産のヤマトゴキブリをトップに推してきた著者の心意気がうかがえよう。


この巻頭カラーグラビアはただ鑑賞するだけのものではなく、それ以上の意味をもつ。このグラビアこそが本書内のゴキブリ簡易区別表と密接に連動しており、ゴキブリの種類を調べるのにたいへん便利な仕様となっているのである。本書を利用し、ゴキブリホイホイなどにトラップされたゴキブリの種を同定するのも楽しいだろう。もちろん、子どもの自由研究にも最適だ。


よく知られているように、ゴキブリは三億年前から地球上に存在している。私たちの大先輩である。この生物は世界に3500〜4000種ほどおり、日本では50種強が確認されてきた。しかもこれだけの種数を誇りながら、屋内に出没するのはこのうち1%にも満たない。ほとんどの種類は、森などに生息する屋外性である。


日本でみられる主な屋内性のゴキブリはヤマトゴキブリ、ワモンゴキブリ、コワモンゴキブリ、クロゴキブリ、トビイロゴキブリ、チャバネゴキブリなど。ワモンゴキブリやチャバネゴキブリはアフリカ地域などに由来する外来種である。近年は人類の生活環境が都市化し、冬でも温暖な家屋や施設が増えた。これに伴い、亜熱帯・熱帯性ゴキブリが本州にも進出している。


ゴキブリは増殖力が高いイメージがあるが、著者らによる実際の研究成果から、それが具体的な数字となって証明されている。たとえば、亜熱帯性のチャバネゴキブリ10匹の集団に3グラムの餌を1週間に一度のペースで与え続けると、40〜50日後にはなんと1500匹ほどにまで増える。ゴキブリの餌となる食べかすを、家の中で1週間にたったの3グラム(1日あたり0.4グラム)落としていたら、それだけでゴキブリが大増殖する可能性があるわけだ。


これが1週間に10グラム、いや、20グラムだったら・・・・・・。考えるだけで恐ろしい。仮にゴキブリの99%を駆逐したとしても、ちょっと掃除をしないだけですぐにゴキブリが爆発的に増えることがわかるだろう。ゴキブリを増やさないために肝心なのは、こまめな掃除ということに尽きるのだ。


不死身なイメージのあるゴキブリだが、意外な一面もある。暴れるゴキブリの脚をつかむと簡単にちぎれてしまったり、そのやわらかなボディも強く挟めば死んでしまう。実験作業のときは、ゴキブリをうっかり殺めてしまわぬように炭酸ガスで麻酔するなどして、つまんで移してやる。実は、か弱い生物なのである。ちなみに実験用のゴキブリは調製された餌と水で飼育されているため、とくに不潔ということはなく、素手でつかんでも特に問題ない。


本書には他にもゴキブリの生態や駆除のコツが目白押しだ。とりわけ圧巻なのは、ゴキブリの冬眠についての研究成果の数々である。ゴキブリの休眠をさまざまな温度や日照条件で検証した著者らのデータが紹介されているのだが、クロゴキブリなどは寿命が長いため、ひとつの実験に丸一年以上かかることもある。


このような実験を行うためには、日々のゴキブリ個体のチェックが欠かせない。温度管理も、実験の肝となる。もしも、ゴキブリを飼育している恒温器や飼育室の温度管理システムが実験期間中に故障し、実際の飼育温度が乱れようものなら、実験データはそこで水の泡になってしまう。これは憶測だが、不慮の事故などで、パーになってしまったデータも少なくなかったのではないだろうか。


そんなリスクを経て、長期にわたって得た実験データが、本書にはいくつも掲載されている。まさに、著者の研究の結晶たちだ。このようなデータの一つ一つを見ると、なんだか図表に向かって拝みたくなってくるほどである。


決して、これは万人向けの生やさしい本ではない。むしろ、読み手を選ぶ本だ。ひとつ言えるのは、本書が、半世紀以上にわたってひとつの研究対象に向き合ってきた研究者本人の手によって、記されているということだ。世の中に科学書は数あれど、こんな本は、そうそうお目にかかれない。


年代物のブランデーをじっくりと味わうような読書体験をしたい本読みにこそ、本書はおすすめしたい。


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ゴキブリだもん?美しきゴキブリの世界? (一般書籍)

ゴキブリだもん?美しきゴキブリの世界? (一般書籍)


※本記事は書評サイトHONZに寄稿したものです


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人工肉と人工肉が変える道徳

みんな大好きなお肉。人工肉開発の現場と、人工肉が未来の道徳や倫理観を変えうると考察したコラムをウェブ・ジャーナル『ハーバー・ビジネス・オンライン』に寄稿しました。

今、この記事を読んでいる時点でも、10億頭のブタ、15億頭のウシ、そして190億羽ものニワトリが、人類の胃袋を満たすために、この地上で待機させられている。


人工培養肉は、環境にフレンドリーなだけではない。家畜を殺さずに済むので、動物フレンドリーでもある。人工肉は、その製造コストが十分に下がれば、マーケットには人工肉が一気に広がるだろう。


人工肉は、人類の宇宙進出にも一役買うはず。地球外惑星への移住には、現地での食料の確保が必要だ。タンパク源として家畜を連れて行くよりも、タンクと培養液で作れる人工肉を摂取するほうが現実的だろう。


人工肉が普及した未来では、「本物の肉を食べるのは野蛮な行為」という倫理観が人類に定着するかもしれない。その一方で、特定の性癖をもつ層から、ヒトの細胞から作られる「人工ヒト肉」への需要が芽生えてくるかもしれない。


技術の革新はいつだって、人の倫理観を劇的に変える。人工肉は人類を救うのと同時に、新たな道徳をも生み出すことだろう。

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ノーベル賞と研究費供給

ノーベル賞受賞に絡んで、研究供給をどうするかという問題について考察したコラムをウェブ・ジャーナル『ハーバー・ビジネス・オンライン』に寄稿しました。

研究費の集め方や研究活動のやり方も、多様化している。基礎研究の芽を絶やさないためには、科研費など既存の財源に頼るだけでなく、新しい手段も取り入れていくべきだろう。

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納豆菌の真実、政府公式発表のXデー近づく


Image: 203gow


納豆菌。学名、バチルス・サブチリス・ナットー(Bacillus subtilis var. natto)。


納豆菌は栄養源が枯渇すると、芽胞とよばれる休眠状態になる。この芽胞状態では、宇宙空間でも耐えられるほどの不死身ぶりを発揮する。


なぜ納豆菌はここまで異常なほどの高い耐性能力を備えているのか。それは、彼らが地球の生物ではなく、隕石とともに宇宙から地球侵略のためにやってきたエイリアンだからである。これについては、本ブログで訴え続けてきた。


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政府もメディアも、この隠された事実を決して公開してこなかった。それどころか、農林水産省は毎年のように納豆に賞を贈り、ワイドショーでは納豆摂取による健康増進を喧伝する


納豆の化粧水


政府もメディアも、真実を隠蔽し続けてきた。裏で、納豆菌が糸を引いていたためだ。


だが最近、この様子が変わり始めてきた。地上波のテレビ放送でも、納豆菌の真実がカットされることなく放映されるようになったのである。


これは、民間放送のバラエティ番組内で起きた。あるテレビタレントが、はっきりと次のように語っていたのだ。「納豆菌はエイリアンだ」、と。


これはきわめて驚くべき事象だ。大手メディアの中にも、納豆菌による人類全滅の危機を回避すべく、真実を伝えようとする勇敢な日本人がいる。私は、同じ日本人として、とても誇らしく思った。


だが、この番組の続きを見て、私は目を疑った。このタレントは、食卓のおかずに粉末状のものを豪快にまぶし始めたのである。それが、これだ。


家庭用に販売されている粉末状の納豆菌


なんと、納豆菌だったのだ。そして、納豆菌まみれになった食べ物たちは、さっきまで納豆菌の真実を伝えていたその口の中へと、つぎつぎに運ばれていった。エイリアンと認識している物体を理解していながら、嬉々としてそれらを体内に摂取している。何がどうなっているのか。私は錯乱した。


だが、冷静に考えると、思い当たることがあった。それは、恐ろしい仮説だった。これが、当たってしまったのである。


納豆菌は納豆とともに、体内にとりまれる。納豆を摂取し続けると、納豆が好きで好きで仕方なくなる。毎朝食べないと気分が悪くなるほどに、納豆依存症に陥る。


つまり、納豆摂取者は、納豆菌に洗脳されているのだ。納豆を食べない外国人からは、納豆が腐敗臭を放つ醜い物体としか認識されない。これは、彼らが納豆を摂取していないために、納豆菌による洗脳を受けていないためだ。


納豆菌は摂取されたのちに腸内に居座り、腸内細菌として増殖する。納豆菌に特異的に発現しているナットウキナーゼなどの分子が、複雑な経路を経て脳神経系に作用し、ヒトの嗜好や行動パターンを制御していると推測される。納豆菌摂取者は主体性を失い、納豆菌のお操り人形と化す。


こう考えると、納豆菌の真実を知りながらも、納豆を摂取してしまう矛盾した行動も合点がいく。頭の中で、納豆菌は恐ろしいエイリアンであることを知識として持っていても、納豆菌を摂取する行動を止められないのだ。納豆菌に操られているがために。


これらの事実から、メディア、政府、そして納豆菌の意図がうかがえる。つまり、こうだ。納豆菌の真実が人々に知られたところで、もはや多くの日本国民は完全に納豆菌に洗脳されているため、反勢力にはなりえない。こう考えているのである。だから、大手メディアでも、納豆菌の真実が堂々と伝えられ始めたわけだ。


この説が間違いないことを証明する、さらに戦慄が走る証拠がある。最近になって、あろうことか、納豆菌がエイリアンであることを伝えるメッセージが刻まれた市販の納豆が、日本中に出回り始めたのだ。これが、その決定的証拠である。


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納豆のパッケージにはっきりと、書いてある。異様に大きな目を持ち、不気味な緑色の光沢を放つ小人型のものが「宇宙人」であると。


はじめてこれを目にした時、恐怖のあまり、印籠を見せられた悪代官のごとく腰と膝がくだけ、イトーヨーカドー食品売り場の片隅でしばらくのあいだ立ち上がれなくなってしまった。


この納豆が置いてあるのは、スーパーだけではない。Amazonにも置いてある。遠隔で、どこにでもこのメッセージが届けられるようになっている。


【ミツカン】金のつぶ パキッとたれ 国産小粒納豆


これ見よがしに、納豆菌の手先であることで潤っている納豆企業が、全国民に向けてこの恐ろしいメッセージを送っているのである。


かれらは、もはや、何も恐れていない。日本の征服はもう終了したというわけだ。我々は、詰んだ。あとは、この国の支配者が納豆菌であることを、全国民に知らしめていくだけである。


近いうちに、日本国首相、すなわち、納豆菌の下僕代表が、全国民に向けて納豆菌の真実を公式発表するだろう。その瞬間は、日本、世界、そして地球の歴史が書き変わるときだ。


納豆菌の真実が皆に知らされるXデーは、すぐそこに迫っている。


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